駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

差を認めない料金の不思議

2016年04月27日 | 世の中

         

 手術には上手い下手がある。手術ほど分かり易くはないが、本当は内科系の診察にも上手い下手がある。論文の数とは無関係、論文の内容や質とは少し関係があるかも知れない。

 誰が手術が上手いかは業界の人間は大体分かって居る。勿論、手術にも色々あるから、微妙な所は専門家でないと評価は難しい。多くの場合、手術が必要な症例を見付けてくるのは内科系の医師で、患者の強い希望がなければ自分が評価している外科医に紹介することが多い。普通大学病院や総合病院は院内の外科に患者を回すことが多いのだが、時々外の病院へ送ることもあった。多分、今もあるだろう。

 上手い下手があるといっても、明らかな差が出るのは十例に一例くらいの難しい症例で、殆どは並みの腕で問題はないようだ。ようだというのは私は外科医ではないので、詳しいことは知らないわからないからだ。下手は淘汰されて行くはずだが、希にえっと思うこともある。決して何にも言わないが心の中では納得しにくいことも起きるのだ。

 技術に差があるのは、何の不思議もない。周りを見渡せば直ぐ分かる。時々行く鮨屋は息子より親爺の方が断然旨い。寿司飯とネタを握るだけなのに全然味が違う。一言も言わないのに、この頃は雰囲気を察したか必ず親爺が握ってくれるようになった。改めて書くまでもないと思うが、技術というのは手先の器用さだけではない。大いに脳が関係している。

 微妙な話をざっくりと書いたが、手術料というのは誰が手術しても同じというのが医療保険制度で、この辺りは何だかおかしい。結局は誰がどうやって違いを認めるかで揉めて挫折してしまうのだ。世の中にはこうした判定しにくいから同一認定が多い。一方で才能を過剰評価する世界もある。才能はまあいいが人気となると煽り便乗する人間も多く、何が何だか分からないものもある。

 衆愚と言えば語弊もあり反発もあろうが、衆賢とまでは行かずとも衆知して妥当な判断を導かないと腹膜炎を併発することになる。 

コメント
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