今日は新聞が休み、私のような活字人間には物足りない朝だ。コンピュータ画面の文字は活字というより記号に近い感じがする。おまけに、その情報の半分が狭量な私見で、気に入らない人達を貶めようとするものが多い。程度の差はあるのだが、ワンパターンの意図的な悪口を目的としたものが溢れている。学識がありそうなコメントもあるが、お前は間違っている俺が正しいという基調は変わらない。どうもこうした論調には馴染めず、途中まで読んで止めることが多い。私にはネットは新聞の代わりにはならない。
大統領を引き合いに出して申し訳ないが、どこかこうしたネットの情報はトランプに似ていると感じる。トランプはビジネスマンだから取引感覚で政治をしている、中々賢いという評論家も居る。確かに自分(一族郎党)が得をしさえすればよいという作戦には優れているかもしれないが、果たして世の中、自分が儲かれば良いで回ってゆくものだろうか。この辺りの是非は、とても簡単には論じられないと思うが、自分はトランプのやり方には違和感を覚える。患者さんを診ていても、そう感じる人の方が多いようで、ネットは世間を映していない。暇人と言っては失礼だが、なにか狭量な偏見に取りつかれて、キイを叩き続けている一群の人達が居るように思われる。
残り少ない人生、世の中のことなど脇に置き、せいぜい楽しく過ごせばよいのにと言われそうだが、自分は馬の骨としても、李白ではなく杜甫に連なっているのかもしれない。