駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

医療費の不思議

2008年03月16日 | 医療
 天丼の値段は安くて六百円、高くて二千円くらいだろう。かなり値段に幅があっても、お客さんは実際に食べて評価することができる。満足すればまた来るだろうし、もう一つと思えば他の店にゆくだろう。そして値段は概ね材料費、手間、技術料に比例している(と思う)。ところが医療費は何処で診てもらっても(医院と総合病院では異なる)診察料と処方料は同じだ。値段に差が出てくるのは施行された検査や処方された薬が異なるからだ。天丼に比べれば評価は難しいと思うが、それでも診療の評価がされて、ある程度は医院も選ばれる(地域によっては選択するほど医療機関がないところもあるし、医院を変えるのには勇気もいる)。
 なんだ似たようなものだ、と思われるだろうか。全然違うのである。プロの料理人なら同じ味の天丼を同じテンポで作ることができるだろう。そして十年修行を積んだ料理人と一年目では味が違い、年期の入った方がおいしく良い値段で提供できると思う。ところが医療では一人一人病気も違えば診察の手間も診断の難しさも異なるのに同じ診察料なのだ。そしてベテランの医師の方が効率よく診断できることが多いので、合計の診療報酬は逆に安くなってしまう。どうしてこういうことになっているかというと、医師の能力評価と患者さんごとの診察料を見積もるのとが難しいからだ。卒業十年を過ぎた医師の能力判定は方法も実施も難しい。診察料を一定でなく例えば五段階に分けて、医師に判定させれば、相当のばらつきがでるだろう。そしてその判定が妥当かどうかの検証は極めて困難で調査には手間暇がかかり、守秘義務や個人情報の壁から実際には不可能だ。
 そのために一律概算平均を見なして料金が決まっているわけだ。なんだか非常に不自然で自由競争原理から外れた値段の決まり方だなあと思われるかもしれない。実際、そうなのである。医療の値段は政府(厚生労働省)が公的に無理矢理帳尻から一律概算方式で決めている(形は支払い側と医療提供者の協議となっている)。 来年度から医療制度が見直され、新たな診療報酬体系となる。その内容は、とにかく医療費を削ろうとして、今まで以上に医学的に不合理なものが多く、医師としては受け入れ難い。
 そんなに不満があるなら、評価を市場に任せればよいではないか思われる方もおられるであろう。確かに、それは一つの選択に見えるが、人間を診てきた医師には、そんなことをすればどうなるかが予測できるので(映画シッコのようになる)、それは望まない。医師は国民大多数の医療を守るために国民皆保険制度を維持しながら、よりよい医療ができることを望んでいる。矛盾したことを言っているようだが、人間はそうしたものだ。歴史から学んで欲しい。我々は綱渡りをしてきた。これからも綱渡りをしてゆくのだ。

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2 コメント

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こんにちは (あや)
2008-03-17 22:41:18
医療費とはあまり関係ありませんが、私は、やっぱり話をちゃんと聞いてくれるお医者さんで、信頼できる人に診ていただきたいけど、どこにいけばいいのかわからなくて悩みます。患者としては費用はやはりあまり負担にならない方がいいけれど、、医療費のことやいろんな問題があって、お医者さんも寝ないで仕事したり、大変な思いをされてがんばっていらっしゃる様子を見て、お医者さんも患者さんも安心して過ごせる制度がないのかなあって思います。。。通りすがりの者でした?
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あやさんへ (駅前医者)
2008-03-18 08:41:04
 話がしやすく信頼できる医師はどこにもいると思います。患者と医者の関係は双方向性ですから。良い出会いに恵まれれば幸運ですが、出会いを良いものにしてゆくことも大切ではないかと思います。
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