駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

21世紀の斎戒沐浴

2018年01月16日 | 小考

     

  相撲のことも将棋のことも 暴かれるトランプのことも外交に飛び回る安倍首相のことも書く気がしない。がめ煮に例えれば九州の人に怒られる、何でも放り込んである白日の闇鍋というか、玉石混交といってもほとんど瓦礫ばかりの情報に、21世紀の斎戒沐浴は溢れる情報から身を清め、本当に大切な問題と知識が身に入って来るようにすることかもしれないと感じている。

 必ずしも、静寂や黙考が必要でもないだろう。人と落ち着いて挨拶以上の話をする、肩を触れる、握手をする、匂いに感ずる、目をきちんと合わせる・・といった行為は、今の時代一つの精神身体的斎戒沐浴ではないか思う。勿論、テレビラジオインターネットを離れた自然の中で静かに過ごす時間が持つことができれば、雑音が消えてゆくだろう。

 何だか妙な事を考えた。忙しくて心が疲れているのかもしれない。

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一つでは間違える

2018年01月15日 | 小考

   昨日は珍しく朝日読売毎日の三紙に目を通してみた。五十年前と違って、新聞の個性がはっきりしてきているようだ。そうすると、これは朝日に対して多く強いのだが、ネット上に特定の新聞への誹謗中傷とも思える意見を反射的に書き込む一群の人達が出てきている。たぶん、以前からそうし衝動を持つ人達が居たのだろうと思う。ところで、例えば四月一日などに記事内容を総取っ替えで新聞を出してみたらと思う。読売の内容の朝日を呼んで誹謗する人達の考えに変化があるかもしれない。

 日本は朝日読売毎日日経といった質の高い全国紙を持ち、しかも欧米に比べれば圧倒的に多い購買数がある。これは凄いことのはずなのだが、民度はもう一つに思われる?。中々、毎日複数紙に目を通すことは時間的にも経済的にも難しいことだとは思うが、単一紙が席巻していないことはきわめて重要と感じる。この頃は活字離れと言われ学生さんたちは新聞を読まなくなったかもしれないが、せめて日曜版くらい複数紙に目を通して欲しいと、活字世代は考える。色々が大切、できるだけ広い視野をというのは、先輩医師から教わったことだ。

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人口減少と社会保障の行方

2018年01月14日 | 小考

  人口減少に関する山崎史郎さんの中公新書を読んだ。これからの25年避けられない人口減少社会が待っている。何とかなるだろう、誰かが何とかしてくるだろうなどというのは論外だが、いたずらに心配したり反射的に政府を非難するのは建設的ではない。勿論、批判されるべき所はいくつかあり、国民は眼を光らせていなければならないのだが、この問題に自らが力と知恵を出す用意がなければ、単なる悪口に終わる。

  山崎さんの本を読むと、戦後の早い時期から政府は日本の人口動態に関心を持ち、きちんとした計画を立てていたのが分かる。まあ予測は難しいし、正直に書いてあるがいくつかの失策もあり、ここに来て対応に遅れやずれが生じて喫緊性が増している。

  いづれにしても、この本を読むと問題は極めて難しいこと、政府官僚はきちんと考えてきていたことがわかる。そして気付かなければならないのは地方自治体や草の根的な個人の発意と行動で人口減少が生む社会現象に立ち向かっている動きがあるということだ。

  この一冊だけでは不十分ではあるが、人口減少の抱える問題の広がりと難しさを教えてくれる本だ。そして、社会保障というものが、社会を支えているということも教えてくれる。生活保護をどう捉えているか、その意味価値は何か、自らに問い直させてくれた。誰しも、どこかけしからんという気持ちを持つことがあると思うが、社会の成り立ちに思い至らなければならないだろう。

 

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森繁久彌の場合

2018年01月13日 | 世界

 

  女優のカトリーヌドヌーブさんらフランス女流芸術家や作家100名が連名でルモンドにしつこい女性ハントや不器用な口説きは犯罪ではないとする書簡を公開したと毎日の金言に書いてあった。いかにもフランスらしいとも言えるが、私は大人というか公平とさえ思った。私もやられたと告発された男の三割は犯罪、四割はけしからんから犯罪の間、三割は微妙で武骨や稚拙だったのではと思う。男の私でも絶対許せないと思うのはパワハラが絡んだセクハラと暴力が絡んだセクハラだ。この二つはアウトだ。

 とにかく男と女の関係は微妙ですれ違いも多いようだが、巡り合った相思相愛も多いし、馬には乗ってみよ、人には添ってみよで相思相愛になった夫婦も結構おられるだろう。暴く告白は当然としてもこれが、副作用を生まなければよいがとも思う。

  今は亡き森繁の場合はどうも口説かれたことがあるのがむしろ勲章のようで、単なるご挨拶としか思えないのに?私もと告白される女優が数多く居る。こういうのを何と言えばいいのだろうか。もう残っていないだろうが、森繁の爪の垢などという商品が出れば売れそうだ。

  しかし、森繁が生きていたらアルコールや薬物を使って悪さをする奴は男の屑だと鉄槌を下すだろう。

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分相応、今は昔

2018年01月12日 | 世の中

              

 皆さんは分相応にという言葉をどう捉えられておられるだろうか。その人の身分や能力にふさわしくと辞書には書いてある。まあ身分は不正確なこともあるだろうが能力は有りの儘だろう。昔と違って、謙遜に自らを捉え慎ましく生きようとする人は減っているような感じがする。

 血圧を測るのに上着が厚いと支障がある、診察するにも診察しにくい。診察室の前に大きな文字で上着を脱いでお待ちくださいと書いてあるのに、上着を脱がないで入って来る人が結構居る。そういう人の中には看護師の指示にハイと直ぐ脱がず、あれそうか、そうだっけなどと言いながら、立ち上がりぬっくりと時間を取らせる患者さんが居られる。空いている時ならともかく何十人と後がつかえていると嬉しくない。

 正月休みや夏休みの日程は一ヶ月半前から何カ所かに掲示している。それでも休み前になるといつからだと頻繁に電話で問い合わせがあり、受付をがっかりさせる。

 診察を受けるというのがどういうことか考えていない、この前どうだったかも憶えていないのだ。掲示を見ても頭に入れていない。それなのに、訴えることは人並み以上で、テレビで見たら物忘れは随分良くなるようだし、尿漏れもピタッと治るそうだが、あんまり良くならないなどとちゃんと勉強して一生懸命やっている医者をがっかりさせるようなことを言われる。

 普段なら大して気にならないのだが毎日100人110人の患者が押し寄せ、クタクタの老医には気になる、否気に障る。

 言うまいと思えど、知識もなく考えない人達を煽っているのは週刊誌をはじめとするマスコミの論調で、残念ながら無批判にそれに乗りそれを鵜呑みにする人達が数多い。昔は知識や思慮に不足はあってもという気がする、優れた人はそれに答えようとした、とまあ大袈裟な?結論を導いてしまった。

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