半年ほど前から夜中小用に起きるようになった。三時半から五時の間で、もう一度眠る時とそのまま起きてしまう時とある。れっきとした後期高齢者なのであったり前田のクラッカーの出来事なのだが、患者さんに言い続けてきたことが自分の身に起きるとやれやれと思う。遺憾ながら、これから夜小用に起きないで済む人生は来ない。場合によっては二回起きねばならないような事態も起こりうる。まだ半年だが、いつの間にか夜半に起きることを受け入れるようになった。
不自由不都合をいつの間にか受け入れることのできる能力を人間は持っているようだ。勿論、個人差もあるし不自由不都合の程度にもよる。例えば眼鏡なしで良好な視力を誇っていた人も五十過ぎれば、細かい字を読むのに老眼鏡が必要になる。十一歳から近視で眼鏡をしている私は老眼鏡をごそごそ探す妻を眼鏡は必需品分かるところに入れておかなくちゃと横目で見ていたものだ。
受け入れられる一つの理由は親兄弟隣人がそうした不自由不都合を抱えながら生きているのを見ていること、他には加齢天変地異など避けがたい事象なことがあると思う。
不自由不都合も色々だから容易に受け入れがたいものもあるが、夜半の小用は受け入れて生きていけそうだ。