娘一家が昨日の午後7時半位に帰ってきました。
帰ってしばらく後、私が少し席を外した時に母は私の愚痴や悪口?を娘に言っていたようです。
これは今回に限ったことではなく、また娘に対してだけでもありません。
母自身は気が付いていないようで、それを悪いことだとも思っていないし、私が傷つくとも昔から思っていないようです。
高校時代、大学時代から、友人が遊びにやってくると、そこへ座って私のことをとやかく言い始めます。
母の言い分は身内を良く言うことは恥ずべきこととのことですが、友人達は「あなたのお母さん、変わってるねぇ」
そして、今回も始まりました。
「洗濯物ばかりさせると怒られるばかりする」と母が娘に言っているのが聞こえました。
私は自分の耳を一瞬疑いました。
私がいつそんなことを言った
続いて起こった反応は「情けない」という気持ちでした。
100%ではないし、足らないことはたくさんありますが、それなりに一生懸命しているつもりです。
以前もケアマネさんに「私がこの子を可愛がって来なかったから今、同じ目に合わされるのだろうか」みたいなことを言い、ケアマネさんもこの言葉には唖然とされたようで「恵まれていますよ、本当に。病気でも一人で住んでいる人は沢山いるのですから。実の娘さんと暮らすことが出来て世話もしてもらって本当に幸せですよ」と言われていました。
今回、娘が帰って来て早々の出来事で、私はもうその場に居たくなかったので、自分の部屋に行きました。
情けなくて涙が溢れてきました
「今度言ったらもう一緒にはいれない」と母には言っていました。
娘は「旅をしておいで」と言ってくれました。
私の家に預かるからと。
でも、母は行きたがらないようです。
もう限界を感じました。
でも、行き場所もない。
ここのところしんどくて1人でいることも不安な時があります。
一体どこへ行くことが出来るだろうかと思いました。
誰かにそばにいてほしいとも思いますが、娘は母を連れて帰ることが出来るだけだと言っています。
実際、母が娘のところに行くのはもう体力的に無理です。
娘は娘で嫌み?を言いに来ました。
「 あなたの大好きな友達と旅行してきたら❓」
皆、家庭もあるし、介護もしてるから無理だといつも言っているのですが。
それに仕事をしている人もいます。
「どうしてこんなときに傷口に塩を塗り込むようなことを言うの」と言ったら、また涙が出て来ました。
娘は鬱陶しくなりそうだと思ったようで即、階下へ降りて行きました。
その前に娘の話に寄りますと母は老人ホームを考えていたらしいです。
でも、まだ大丈夫、大丈夫とここまで来たとのこと。
私に謝りたいと娘を通じて言ってきましたが、もう私には気力がありませんでした。
でも、あんなに以前から老人ホームには入りたくない、家で死にたいって言ってたのにと思うともう涙があふれてきました。
なぜこんな老後を過ごさないといけないんだろうと・・・
本心は母は老人ホームへは本当は行きたくないと思います。
でも、入っている人達が意外と快適に暮らしているからそれもいいのかもと考えが変わってきた部分もあるのも確かなようです。
その後、遅くなってしまって、婿が孫達をお風呂に入れてしまって、私の楽しみがなくなってしまいました。
すると娘が「じゃあ、私と入る?」
その後、お台所にいた私に母が謝ってきました。
今、私によくしてもらっていると気が付いたとか。
何❓それって感じでしたが。
でも、老いるって本当に辛いことだと感じました。
私も年を取って来てこの1年位の間で急に白髪が出てきて、しかも疲れやすくなりました。
年を取るって、自由が無くなるって本当に辛い。
多分、母は言いたいことも我慢している部分も多いと思います。
特にデイのスタッフやや医者には言えないようです。
ひたすら我慢の日々。
身体が思うように動かず、情けないとよく言います。
私の友人達も今介護をしている人が多いですが長生きしたくないと言います。
でも、死に方って普通は選べません。
久し振りに泣いたら少しすっきりした気がしました。
娘たちは11時には帰って行きました。
その前に、孫達とシャワー
娘達はまだ若く活力に満ちています。
私もそうでした。
来た道、行く道です。
娘がいる間に、ホームドクターが出して下さった薬を試しに飲んでみることにしました。
前回、半錠で効き過ぎたので今回は4分の1。
それでも、30分もしたらろれつが回らなくなり足元はふらつくし、眠いし・・・。
結局、このような薬は麻痺させるだけなのだと思いました。
ドクターは3日もしたら人生が変わると皆が言うと言っておられましたが、とてもじゃないですが、3日間も飲み続けることは不可能。
娘たちが帰って寝ていたらバヌアツの学生が韓国と北海道のお土産を持って来てくれました。
とても暑い中を、今回は迷わなかったようですが40分かかったと言っていました。
母が「よう忘れないでいてくれたねえ」
通訳したら当たり前だと言っていました。
母が涼しくなったら牛窓にでも行こうねと・・・。
彼は牛窓と家の剪定をしてくれるそうです。
昨日の頂き物。
大阪の知人が娘に託けてくれました。
これは娘婿からのお土産。