2017年7月18日のブログの記事「日野原先生がお亡くなりになりました&大いに反省~母の病いと老い」が公開禁止になっていました。
問い合わせたところ「手紙~親愛なる子供達へ」の訳詩のアップがよくなかったようです。
整体院で読んでとても感動したのでアップしたのですが・・・。
別のものを見つけましたのでここに訂正し再アップします。
今朝、日野原先生がお亡くなりになりました。
105歳。
ホスピス勤務時代(今から15年~20年前)、お会いしてお話したことがあります。
先生の御講演の前にお部屋で、お食事のことなどお話して大笑い。
とてもお忙しい方でしたが、当時から驚くほど少食でいらっしゃいました。
新幹線の中は執筆の時間であり、打合せや面会の時間でもいらしたようです。
休むことなく、人生を駆け抜けていかれた気がします。
最近、母が体がだるくしんどいようです。
92歳という年齢とパーキンソンン病。
それに加えて多くの薬の副作用もあると思います。
母は私の想像以上に忍耐をしていると思います。
でも、私は自分にゆとりがない時ににいらいらすることがあります。
そして、いつも大いに反省します。
今朝も反省し、この詩を思い出しました。
<老人の友人に対する至福 (幸いな人)>
(桐生聖フランシスコ修道院 ブレビアン・ウォルシュ神父作)
私のよろける足どりと、ふるえる手を、理解してくれる人は幸いです。
私の耳は、人のいう言葉を聴きとるためには、大きな努力が必要であることをわかってくれる人は幸いです。
私の目はうすくなり、私の行動はのろいということを善意のうちにわかってくれる人は幸いです。
私がコーヒーをこぼしても、かわりない平静な顔をしてくれる人は幸いです。
しばらく立ち止まって、明るくほほ笑みながら、おしゃべりをしてくれる人は幸いです。
「今日はその話を二度も聞きましたよ。」と、決して言わない人は幸いです。
楽しかった昔を取り戻す方法を、知っている人は幸いです。
私が愛されており、ひとりぽっちでないことを、教えてくれる人は幸いです。
私には十字架を荷なう力がないことを、わかってくれる人は幸いです。
愛情深く、人生の最後の旅路の日々を、なぐさめてくれる人は幸いです。
樋口了一 / TEGAMI (Japanese Version)
http://www.utagoekissa.com/tegamishinainarukodomotachihe.html
心に刻み付けて、日々優しくしてあげたいと思います