今日はマイクの効いている日、これが普通の状態。
効かなかったときは何が邪魔をしていたのかと、マイクのところに紙切れを載せてみる。
もちろん全然問題なし、紙切れを厚くしてみる、それでもいくらか音質は変わるが問題なし。
厚さが15ミリもあるコースターを置いてみる、音はだいぶ変わるが聞こえないことはない。
そう、音は空気の振動、光のようには遮れないのだった。
確かめられたのは、効かないマイクは物理的障害のよるものではないこと。
さあ、わからないぞ。
今日はマイクの効いている日、これが普通の状態。
効かなかったときは何が邪魔をしていたのかと、マイクのところに紙切れを載せてみる。
もちろん全然問題なし、紙切れを厚くしてみる、それでもいくらか音質は変わるが問題なし。
厚さが15ミリもあるコースターを置いてみる、音はだいぶ変わるが聞こえないことはない。
そう、音は空気の振動、光のようには遮れないのだった。
確かめられたのは、効かないマイクは物理的障害のよるものではないこと。
さあ、わからないぞ。
「マイクのテストは、会議の前に済ませておこう」
偉そうにこう書いたその日に、マイクが効かなくなって、Zoomの会に欠席届を送らなければならなくなってしまった。
[トラブルシューティング] では、シュートがみな外れて、実際には役立たなかった。
回答が「問題は発見できませんでした」では、何の役にも立たない。
どうもOSの欠陥のようなのだが、マイクが効く日と効かない日があるというのでは、これは困る。
さて、今日はどうだろうか。
声の聞こえない会議は、耳の不自由な方の会議以外には用をなさない。
リモート会議を始めたら「XXさん、声が聞こえません」とやられて大慌て、今のパソコンには、ほとんどみなマイクが組み込んであるから、声が出てないのは、何かの拍子でマイクが動かなくなっている場合が多い。
どこのサイトか記録し損ねたが、「既にインストールされているマイクをテストするには」という記事があった。
その手順を書いておこう。
1 マイクが外付けの場合には、パソコンに接続してあることを確認する。
2 [スタート]⇒[ギヤ・マーク 設定]⇒[システム]⇒[サウンド]の順に選択。
3 「サウンド」のダイヤログで、[入力] ⇒[マイクのテスト] の項で、マイクが音を拾って動く青いバーを見つける。
バーが動いていれば、マイクは正常に機能している。
4 バーの移動が表示されない場合は、[トラブルシューティング] を選択してマイクに設定を修正する。
マイクのテストは、会議の前に済ませておこう。
会議が始まってから、どうしようと言われると、出席者がみなぽかんと待っていなければならないから。
ワイヤレスホンで、いい気持ちになって音楽を聴いていて、降りる駅に来てあわてて立ち上がる。
ホンが耳からポロっと落ちる。
アッとかかる小声も耳に入らず、その後は片耳ホンになる。
ワイヤレスという名前は気になっても、まあつながっていれば、片耳落ちは防げるわけで。
不要なプログラムを見つけ出して始末したい。
いきなりアンインストールでは、しまったと思ったときに打つ手が限られる。
しまったかな、ぐらいのところで元に戻れるようにする方法は、それをとりあえず動かなくなるようにしておいて様子を見ること。
それらしい .exe ファイルを見つけて、頭に$マークをつけて変名させて置く、これがいちばん簡単。
しまったかなと思ったら、$とお別れさせれば復縁する。
終わりボタンのないアプリに苦渋したら、とりあえずはそれを開かなければよい。
それならば、デスクトップにいつの間にか居すわった起動用アイコンを削除、それがいちばん手っ取り早い対処法だ。
ただし、それは対処で対策にはなっていない。
対策の一つは開けなくすることだが、その前にもっとだいじなことがある。
わからずに手を出さないこと、これが存外に効きそうなのだ。
わからないと突っついてみる、鳥のような習癖がよくないのだ。
何かの作業中には無関係の見極めに注意、ついクリックという癖をなくせば、迷路に踏み入れなくて済む、わかっちゃいるんだるけれどねぇ。
デジカメの写真をパソコンに取り込む、カメラについてきた付属アプリを使って、ケーブルをつないでボタンを1回押せばすぐにOK、そういう簡単な作業が突然できなくなった。
どうしてか、アプリがフォルダーごと消失している。
アプリのダウンロード方法が、古いカメラでは、なかなかネット上で見つからない。
いちばん早いのは、カメラに付いてきたアプリのCDから再インストールなのだが、今使っている超簡素型パソコンにはCDドライブがない。
さあ困った、カメラメーカに直接お尋ねしよう。
撮影対象の周りの人の反応が、撮影意図に大いに力を貸すことがある。
周りの反応を撮影する、それがリアクションショット。
ただしこれに頼り過ぎれば、結果は見え見え、肝心の役者は周りを騒がせることだけに夢中になり、安物のエンタメができあがる。
ナレーション用の原稿がナレ原。
ナレーションの良否は、ナレ原の出来に負うところが多い。
ウソ原は論外で良否の埒外だが、事実を伝えても、受け取る側にどう伝わるか、そこにナレ原の価値が現れる。
ただ走り書きを読ませておけばよいというようなナレ原は、もちろん最低。
二つの画像が溶けるかのように、スルッと入れ替わるディゾルブ、入れ替わりの過程がはっきり見られずに結果が現れる。
入れ替わりのとき、衝撃的なことや大騒ぎをして見せる、政権交代などとは全く異なる技法。
企画や映画・演劇などのあらすじ、これをなぜシノプシスと、わざわざ発音しにくいカタカナ語にして使っているのか。
あらすじと言うより多少上等に聞こえるからだろうか。
スチャラカ喜劇にシノプシスはしっくりこないと思うのだが。
これを呼び分ければ、片方の人は、多分差別だと文句を言うだろう。
香盤表とは、TVや映画の世界では撮影計画の表。
香道での香盤と、升目になっているところだけが似ている。文字に惚れて名付けたのか。
「順序」という要素のみに、その名前とのつながりが感じられる、それもかすかに。、
縁起ものなのだろうか。
映画が始まる。
人物も背景も現れず、黒地に白字の字幕が延々と続く。
映っているのはクレジット、そこには出演者、スタッフの名がずらずらと並んで示される。
そこから目当ての名前を見つけ出せるのは、本人か契約の関係者だけだろう。
カナで「クール」、続き物番組の放送期間の単位にこの言葉を使うのは cours というフランス語。
ドイツ語では Kur が治療の期間、英語では cool が期間とは全く無関係な冷たいとか素敵なとか形容の言葉になる。
もともと違う言葉だから、比べて見ても無意味なのだが。