うっかりユーザのパソコン奮闘記

パソコンを使っていて感じたあんなこと、こんなこと、気ままに書いていきます。

曲がっていても真直ぐ映る

2014年01月31日 | 千差万別

近ごろのプロジェクターは、斜めに映しても映写面には方形の画像を出せる機能が付き、たいそう便利になりました。
ところが、その上を行って、映写面が平らでなくてもOKというプロジェクターができたそうです。

<湾曲した黒板にも歪みを補正して投写できる学校向けプロジェクター>
 ⇒ http://jump.cx/cpj

凸凹先生にお似合いという皮肉でもないでしょうが。

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本当にだめになるのかXP

2014年01月30日 | 千差万別

断言は弱みの裏返しのような気もしますが、こんな記事がありました。

インターネットを利用するなら、「使い続けるという選択肢はない」
 ⇒ http://special.nikkeibp.co.jp/as/201307/wdlc/

あと2ヶ月、だめになったときの用意を確かめておいて、どこまで頑張れるか、というつもりでいたものの、送信メールに乗ってムニャムニャといわれてしまうと、またひと揺れします。
迷惑をかけることはしたくないからですが、どういう方法かはわからないが「ありうるから」というだけでは、異星人の攻撃を怖がっているようなもので、まだ納得がいきません。
面倒な引越しに踏ん切りをつけさせる決定打はないものでしょうか。

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秒を待たずに生まれる人たち

2014年01月29日 | 忘れかけていたこと

冬には孫の誕生日が続きます。
この次の日曜日にはまたその日が来て、焼肉奉行のお勤めということになりそうです。


世界の人口を確かめたくて探していたら、リアルタイムの世界人口が表示されるサイトがありました。

世界人口 リアルタイム
 ⇒ http://www.arkot.com/jinkou/

瞬く間とはどういう意味かなどというおバカ質問への答えに、格好の見本になりそうです。

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リンク~なんだそれ

2014年01月28日 | 忘れかけていたこと

「リンク」まことに巧くできたこの仕組みが、初めての方には理解されにくいようです。

Webの画面、メール文、ワードの文面、エクセルのセルなど、パソコンのデータには、どこかに http://xx.yyy.zz.jp/ のような形をして色の変わった下線入りの文字列が見つかります。
それをクリックすると別の画面が現れて、指定してあるデータを見ることができるという、ごく簡単なものです。

この「リンク」、はじめの頃は、これはすごいぞ只ものではない、と「リンク」に「超」が付いて、「ハイパーリンク」という名が付けられています。
青い文字で見える部分は「場所」、つまり「ここ」という「位置情報」でしかありません。
線が引いてあっても、線に何かが隠れているのではなく、それがあることがはっきり見えるようにしてあるだけのことです。

クリックすると、その場所にあるデータが目の前に引き出されます。それなので、リンク文字列を消し去ってしまうと、目当ての場所に行けなくなってしまうのではないか、リンクの仕組まれたメール文を削除してしまうと、その先にある文面も消えてしまうのではないかと思うあたりで、初めての方の錯覚が始まるようです。

「ハイパーリンク」はその場での案内役、あまり上等なたとえではありませんが客引きの役目しか受け持っていないのです。
客引きが立っていてもいなくても、行き方、入り方がわかっていれば、その場所に入れます。
青い文字は、そこでお出でお出でをしているだけなのです。

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足を運ばなくても見られる図書館

2014年01月27日 | 千差万別

国会図書館の文書も電子化がすすみ、古い資料も足を運ばずに見られるようになりました。
 ⇒ http://dl.ndl.go.jp/

たとえば官報、明治16年7月2日の第1号から見ることができます。

読み込みが斜め置きだったので位置修正はされていません。
読めればよいではないかと、言ってしまえばそれまでですが、折角やるなら徹底してやろうという意気込みは、永田町界隈で仕事をする人たちから蒸発してしまっているようです。

早く終わらせよう、合コンに遅れる、そんな声が聞こえてきそうです。

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変換キーはいくつあるか

2014年01月26日 | 忘れかけていたこと

キーボードの最下段のまん中に、滅多に使わない[変換]キーがあります。
かな-漢字変換は大きくて使いやすい[スペース]キーを常用にしています。便利なほうを使わずに、いつもまじめに隣の[変換]キーを押す人を見かけると、なぜなのかなあと不思議でなりません。
MS_IMEでは、[変換]キーは、確定後に必要になった「再変換」のときだけ使えばよいのですが。

変換に使うキーは、その名の書き込んである[変換]キーだけでなく、キーボードの最上段にもあることに、パソコンを使い始めて間もない方は気付きません。
キーボード最上段には[F1]~[F12]まで12個の「ファンクションキー」が並んでいます。
その中で、[F6]~[F10]の5個が「変換」の役目を果たしてくれるようになっています。
このキーはこの役目と書き出すのは簡単ですが、こんなところで読んでみても、覚える手助けにはならないので止めておきます。

どんな言葉でもよいので、とりあえず「かな」を打ち込んで[F6]~[F10]を押したときどうなるか、順に試してご覧になるのがいちばんです。
私の場合は、[F7]と[F10]、ときどき[F9]、他はあまり使いません。

変換キーは合計7個もあったのです。

この記事は、MS_IMEに限ってのことを書いていますので、ほかの IME の場合は違うかも知れません。全てを確かめるすべを持たないのでご勘弁ください。

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facebook は多面観音

2014年01月23日 | 千差万別

SNSで目にあまる記事にたまに出会うと、ここは地上げ屋の溜まり場か、チクリ・クラブか、と思ってしまうことがあります。

ブログを書いていていると、ファンもどきに執拗に付きまとわれて酷い目にあい、ついに電話攻勢を受け、別荘にまで押しかけられそうになり、嫌になったのでもう止めようかとまで思う、そんなこともあるそうです。

よほど魅力のあるブログなのでしょう。あるいは特別に人をひきつける何かがあるのかもしれません。

こういう記事がありました。
「facebookで仲がこじれる?」
 ⇒ http://jump.cx/fbn

facebook は、人間関係を楽しむ場がインターネット上に移動してきたものと、そこでは言っています。
顔が見えないのに、見えるような名前が付いているのもおかしいのですが、ここでのやり取りは、所詮外面、外面のうちでも人に好かれるような部分の薄い面でしかありません。

そんなところで、本音を聞いてもらってしみじみと話し合おうなどと考えれば、しばらく経ってがっかりするのはあたり前と思うのですが、いかがでしょうか。

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文字を線に沿って書く習慣

2014年01月22日 | 忘れかけていたこと

紙の便箋に特大の文字を書くときには、何行分かを使って書く方法を用いるでしょう。
次の行からまたもとの文字の大きさに戻るとき、空いている行に巧く収めるのはたやすいこと、特にそこで考え込むこともありません。

文字を書く紙に升目や線の入っているものを使い慣れていると、パソコンでテキストファイルを作るときも、はじめのうちは線がないとどこか頼りない気がするものです。

Word にもグリッド線を表示させる機能があって、いつもそれを出しておきたいと思う人もいます。
しかし、Word で途中の行の大きさを変えたいとき、もちろん自由にフォントサイズを選べるのですが、この場合には、次の行で元のサイズに戻っても、グリッド線からずれてしまい、そうなってくると、線のあることが邪魔になってきます。
「Word のグリッド線をフォントサイズに合わせる」
こんな設定ができたでしょうか。

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短縮URLが嫌われた

2014年01月21日 | 千差万別

メーリングリストは、送信者もメンバーの一員ですから、送ったメールが送信者にも配信されます。
これが返ってくれば、みなさんのところに届いている「はず」までは確かめられます。

ところが、ある日を境に、送信したお知らせメールが来なくなりました。
そのころ、お知らせメールに埋め込んだリンクが利かないというトラブルがありましたが、リンクに使っていた短縮URLを変えてみたらリンク不調は解消しました。
送信したお知らせメールが来なくなったのはそのせいだろうか、まあ届いていればよいことにしようと、しばらくそのままにしておきました。

同じメーリングリストに何か返信をしても、それは配信されます。
こちらが第一送信者の場合はどうなのか、それを確かめようと、お知らせでないテストメールを送信してみたら、それも配信されます。お知らせメールだけが返ってこないのです。
そこで、お知らせメールの書き方を変えてみたり、件名を変えてみたり、いろいろ試してみましたが、メンバーの方に用のないメールが配られ迷惑をかけただけに終わりました。

同じお知らせメールで、リンクのURLを書き込まずに送ると、ちゃんと配信されます。
これはやはり本文に書き込んだ短縮URLのせいかと、短縮型でない原型のURLを書き込んでみました。
配信も正常、短縮型にすることが嫌われていたようです。

本文に短縮URLが書き込まれていると、送信者にだけ配信されない、という奇妙な現象です。
どなたか解明してくださいませんか。よろしくお願いします。

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スキャン準備はパッと置くだけ

2014年01月20日 | 千差万別

紙でも本でも、スキャンのときは置き方に苦労します。
周辺がスキャナーの台面に平行でなければ斜めに曲がってスキャンされます。


忙しい人向けに、置き方を気にしないでよいスキャナーができています。
本を開いて置くだけでそのままスキャンできるという「ScanSnap SV600」という装置です。
 ⇒ http://jump.cx/scan

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録画はしてみたけれど

2014年01月18日 | 千差万別

TVの番組からDVD録画に成功、さあ自分の時間ができた、パソコンでゆっくり愉しもう、と思ったら画面が出てこない、がっかりということがあります。
パソコンのデータを入れたCDを、CDプレーヤーに入れてまわしても何も用は足りませんが、その逆のことをやっているようなものです。

ディスク状のメディアには、形は同じでも「記録方式」の違いがあります。
再生互換性は高いけれども、録画にさまざまな制限のあるビデオモードと、VRモード対応DVDプレーヤーとPCソフトのインストールされているパソコンで再生可能なVRモードがあるので、どうして専用用途外の使い方をしたければ、それなりのお勉強と手続きが必要ということになります。
できないことではないので、興味のある方はこちらをどうぞご覧ください。

(ビデオモードとVRモード)
 ⇒ http://kaden.johowave.com/dvd-rec/b-kiroku.html

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さらしておいて見せない方法

2014年01月17日 | 千差万別

SNSに乗り出せない人は、つつましい性格の持ち主なのかもしれません。
見たり聞いたりの受け身だけですませるTVやラジオとは違い、SNSでは、何か発信をしなければ意味がありません。
見せたい聞かせたいまで行かずとも、誰でも見られるようにしておくだけでもよいところに、店を構えることとの違いがあります。

フリーマーケットのようなものでしょうか。
通りすがりの人の目に触れればそれでよい、他の人の手にどうしても渡らなければならないというものでもない、それぐらいのところでも仲間入りはできます。

見せたい反面、穴の開くほど見つめられるといや、何か言われるのがいや、わいわいがやがや身の周りに集まってこられるといや、ツイッターには、その「いや達」を避けながら、すまし顔でいられる方法もあります。

ハッシュタグというしるしを付けておけば、書き留めておくだけのことにも使えます。
通路にメモ用ノートブックを置いて、いつでも見たいときに見られるようにしておくのと同じです。
誰でも見ることはできますが、世の中に他人のメモを丹念に読んで愉しむ人は、それほど多くありません。
見られてもよいことにしておけば、いつでも書き込める、ファイル整理の必要もない、記事探しもハッシュタグで一発整列、こうなると手帳など面倒で持ち歩く気になれません。

誰のものでもない、自分だけがわかっているハッシュタグを作ればよいのです。
作り方は簡単、「 # XXX 」半角スペース半角シャープ半角スペース自分だけわかる記号半角スペース、これを記事の頭に入れておく、それだけでよいのです。

とにかくやってみること、智恵は後から付いてくるものです。

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ツイッターでフォローするユーザーの見つけ方

2014年01月16日 | 千差万別

Webサイトは、ぼやっと眺めていても何かが見えます。
SNSでは、求める行為がなければ何も見えません。
ツイッターなどというものを、いまからでもはじめてみようかという方に、まずどうすればよいのかを教えてくれるサイトがあります。

「どうやってフォローするユーザーを見つけるの?」
 ⇒ http://jump.cx/twifl

初めての方、これからの方、手を出しても食いつかれませんから、どうぞお試しください。

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怖いものは見たくなるもの

2014年01月15日 | 千差万別

普段見ないサイトに入ろうとすると、本当に見るつもりかと警告の出ることがあります。
セキュリティの水準を、特に厳重ではなく通常の設定にしてあっても、それが出ることは稀にあります。
それを見ることが、直接危険に結びつかなくても、そのサイトとリンクされている何かに、不安要素のある場合には、警告を出しておこうという傾向が、強くなっているような感じがします。
これは体感だけのことなので、確かにそうなのかどうかはわかりません。そうしてあるなどと告げまわるのもアホな行為ですから、そんなニュースは流れないでしょう。

商業上の戦略なのか、児戯の類なのかは、あえて区別の必要もありませんが、悪さを仕掛ける人が増えることはあっても減ることはありません。

もし警告が出たら、見ないほうが安全であることに間違いはありません。
そこで見るか止めるかは、それを見ないことによってこうむる損失と、見た場合にウイルスの類を呼び込んで故障を起こす損失と、どちらを選ぶかという判断の結果ということになります。どちらを選んでもプラスの効果はないのです。

何でもよいから「見たい」、何をおいても「見たい」という場合は、リスクを承知で突き進むしかありません。
セキュリティーを緩めてみて、そのときに何でもなかったら幸運です。
しかし、その後で、また設定を戻しておくことを忘れてしまう危険に、気を配らない人が多いことは想像に難くありません。

食わせものは、誘う前に見せる、むかしは街に出ればあちらこちらで必ず見かけました。
いまはWebに乗って悪戯が世界を飛びまわっています。
「見たいサイトは危険」「どうでも見たいはなお危険」
やられるかどうかは運任せ、警告を軽く見るには覚悟が要るということです。

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