うっかりユーザのパソコン奮闘記

パソコンを使っていて感じたあんなこと、こんなこと、気ままに書いていきます。

パッチ当て

2010年12月31日 | 忘れかけていたこと
$ マークのついたフォルダーは、Windows のパッチを当てたときにできるものだから、むやみに捨ててはいけないと、FAQに注意書きがあった。

さて、パッチを当てとはなんだろう。

プログラムにつぎを当てることらしい。
プログラムは所詮人の作ったもので、完璧などありえない。
それが証拠に、悪ガキのばらまいたいたずらウイルスですぐ動けなくなる。

不具合が見つかれば当然手当てが必要だが、プログラムは具合の悪いところだけ入れ替えて直すことができる。
こうして部分修正することを、パッチを当てると言っていたらしい。

最近は、パソコンの動きも、データのやりとりもグングン早くできるようになり、つぎ当てよりも総取替えのほうが面倒がなくなってきた。
そうなると「修正プログラム」という名を付けて入れ替えるのが普通のやり方になる。
それでも「パッチ当て」という名前だけは捨てきれずに使われているようである。
たくさんのプログラム群のなかにある一つのプログラムだから、総入れ替えでも、全体から見ればパッチ当てではないかと、その呼び方はまだ削除されない。

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本年中ずいぶんお目を穢しました。
来年もまたよろしくお願いします。
みなさま、どうぞ佳いお年をお迎えください。

$印のフォルダー

2010年12月30日 | 忘れかけていたこと
年末の大掃除のつもりで、ファイルを整理しようかと、旗マークの[ウィンドウズ]キー+[E]でマイコンピューター画面を呼び出す。

マイコンピューターを呼び出すには、デスクトップのアイコンから、あるいは[スタート]→[マイコンピューター]の手順を使う人が多いと思う。
しかし、滅多に使わないアイコンを探してクリックするのは、それほど手間はかからなくても面倒な気がし、アイコンも目障りなことから、マイコンピューターを呼び出すには、ショートカットキー操作がいつの間にか習慣になった。
私のパソコンには、マイコンピューターのアイコンはどこにもない。

ローカル ディスク(C:)にあるフォルダーを順に見て行き、試しに使ったソフトの残骸や、試しに作ってみたファイルの残骸などを片付けて行き、最後のほうで ¥WINDOWS というフォルダーにたどり着いた。
そこには、名前の前後に $ マークのついた異星人のようなサブ・フォルダーがずらっと並んでいる。

休眠ファイルの有用性を確かめるとき、あたまに $ マークをつけてしばらく様子を見る。
この自己流の方法が頭にあって、 $ マーク付きは使っていない目印、だからもう要らないのではないかとも思った。
ところが、よく見ると名前に Uninstall の文字が入っている。

これはひょっとすると、何かのプログラムをアンインストールするときに、$・・・$という名のフォルダーやファイルを呼び出して使うのかもしれないと気付く。
どうやら、ふだん眠らせておいていざというときに使う埋蔵フォルダーらしい。
いかにもかさ張って邪魔な気もするが、いきなりポイと掃き出すわけにもいかない。

今朝、ラジオで掃除を話題にしていたが、掃除は自分がするもので、ひとがした話もしない話もあまり面白くない。し方の話なら、聞いて読んで頭のどこかに残っていれば、ときには役立つこともあるが、しなかった話では毒にも薬にもなるまい。
おっと、このダラダラばなしも掃除のことから始まっていた。
今年もやはりうっかりで暮れて行きそうだ。

併聴

2010年12月29日 | 忘れかけていたこと
電波状態の悪い建物の中では、ラジコが便利だ。
ラジコでラジオを聴いていて中断、スタンバイ状態にしておいた。


食事を済ませてまた聴き始めると、二つの局の放送が同時に聞こえてくる。
朝、メモリーの空席が大きかったので、最初に聴いていた局の分が溜まっていたのだろうか。

一方は、Gebonを売り物にしている、もの書きのだみ声。
もう一方は、知性と野放図を混ぜ合わせたお笑いさんの声。
その二つが、天井の低いファミレスの雑音のように、交互に聞こえてくる。

そのうちに一方がへたるだろうと、そのまま聴き続けたが、いつまでもやむ様子がない。
いったん停止し、もう一度つないだら一局だけになった。

ラジオの異局同時放送など、嬉しくも有難くもない。

棄詞/回生

2010年12月28日 | 忘れかけていたこと
昨日、日本語でない変換候補の掃除のことを書いた。
最後に「うっかりして使えるものをいったん掃き出しても、戻すこともできるから心配はいらない」としておいたが、その方法に触れよう。

掃き出した文字は消えてしまったわけではない。
「抑制単語」という名札をつけられ、謹慎抑制させられているのだから、抑制から解放し、回生してやればよい。

<抑制単語を回生させる方法>

1.タスクバーあるいはデスクトップの下端にある紫色の道具箱形アイコン[ツール]をクリックする。

2.メニューボックスから[辞書ツール]を選んでクリックする。

3.[単語の一覧]タブに表示されている文字列群の中から、回生させようという単語を選択し、[Del]キーを押す。

4.「選択された単語を削除しますか?」というダイアログボックスが表示される。

5.[はい]のボタンをクリックする。

これでまたその単語が変換候補に現れるようになる。
「削除しますか?」の問いに一瞬ひるむが、この削除は、単語を辞書から削除するのでなく、抑制単語の名札を削除するという意味だから、「はい」といえばよい。
「元に戻しますか?」ときいてくれれば、躊躇なく「はい」といえるのだが、ここで少し考えさせたほうが頭が柔らかくなるだろうとの親切心からと思っておこう。

変換効率

2010年12月27日 | 忘れかけていたこと
かな文字を打ち込みスペースキーを押すと、文字変換候補が並んで出てくる。
几帳面な人は[変換]キーを押すが、小さなキーを探し、位置を確かめて押す必要はなく、大きなスペースキーに慣れたほうが変換効率が良い。

それだけで変換効率の話をおしまいにしてはひどいので、もう少し突っ込むことにする。
ゾロッと並んだ変換候補には、泡沫候補がたくさん入っている。
こんな書き方はしないだろうというのも数ある。
日本語の変換でなく、かなから漢字へ、文字の変換候補をただかき集めただけなのかと思うぐらいである。
ときどき見かける珍妙な誤変換もこれが元凶になっている。日本語以外の、漢字と漢字、漢字とかなの組み合わせが紛れ込んでいるからである。

このことはパソコンに罪はなく、最初に行われたお粗末な登録手続きのおかげである。
だから日本語以外は使わなくしておいたほうが変換効率が良くなる。
それには、変換候補に日本語だけが現れるようにして行けばよい。

<使わない変換候補を表示させない方法>

(1)語句の読みを入力し、[スペース]キーを2回押す。

(2)変換候補一覧の中から使用しない変換候補を↑↓キーで選択し、[Ctrl]キーを押しながら[Del]キーを押す。

(3)『読み「○○」を「□□」と変換されるのを防ぎます』というメッセージボックスが出たら[はい]のボタンをクリックする。

こうして気付いたときに整理していけば、気持ちのよい日本語変換システムが出来上がっていく。
するときは面倒、すれば気持ちがよいのが掃除だから、まめにやっておけば効果が出てくる。
うっかりして使えるものをいったん掃き出しても、戻すこともできるから心配はいらない。

改行

2010年12月26日 | 忘れかけていたこと
「メールを書く場合、相手の環境によっては自動改行にならない場合もあるので、適当な位置で改行したほうがよい」と説く人がいる。
  
自動改行のできないメールソフトがあるのかと、不思議に思ってたずねてみると、なぜそんなことを聞くのかという返事もあったが、そういう珍種もあることがわかった。

自動改行をしないメールソフトは「Wemail32」シェアウェア:3,255円(税込)だった。
機能確認だけのために代金を支払うつもりはないから、教えてくださった方への信頼が唯一の根拠になっている。

主な特徴のひとつに「複数のメールを次々に読むことが出来ます」と挙げているのを見ると、たくさんのメールをまとめて処理するのに向いたソフトのようである。
1行ですむ「ひとことアンケート」のようなものを並べて見るのならば、自動改行はむしろ余計なお世話になるので、できなくしてあるのだろう。

改行に意味を持たない気まぐれな位置で改行したメールを送るのは、相手の用途環境に逆らうことにもなり、むやみに改行するのも考えものである。

読点ごとに改行した、いかにも忙しそうなブログにお目にかかることもある。
発信文の改行があだになって、受信文が途中の2~3文字で改行されることもある。それがところどころに何度も繰り返されると、打ちそこないのブツブツそば模様になり、読んで味わいがない。

改行のすすめは、一種の迷信だと思っている。

署名宣言

2010年12月25日 | 忘れかけていたこと
「以下署名です」
メーリングリストで送られてくるメールのなかに、この文字列をはじめに見たときは、なぜそう書くのかわからなかった。
後に、音声だけでメールを読み取るスーパーマンのためとわかって、なるほどと思った。

音声変換では、句点まで「マル」と読みあげてくれる。
文字に混ざって書かれる記号の連続が、どう読まれるかは確かめてないが、署名の飾りによく用いられる連続記号は、音声変換にとっては多分邪魔ものだろう。

飾り記号を使わない人は、音声変換の邪魔になることを嫌ってのことかもしれない。
しかし、見て読む人には、署名の飾りも、そこから下は読まなくてもいつも同じですという目印になる。

署名の飾りに、記号だけでなく文字を入れると、なおさら妙ちくりんな音声になるだろう。
私の署名も同罪でかねがね気になっていたが、いまさら文字を抜くのも忌々しい。
「以下署名です」ははっきりしてよいが、記事の終わりにそう書くと、署名の下に追加されるメーリングリストの看板記事も署名のうちなのかと、どうもすっきりしない。

下の問題は上で何とかすればよい。
上で処理するにはと一計を案じ、(記事はここまでです)と入れることにした。
ただし、もし下にだいじなお知らせがあるなら、上に書かないと読んでくれない。

カッコも多分音声になって読み上げられるだろうから、余分なようでもあるのだが、文字だけでは格好がつきにくいので、ここは勘弁していただこう。

白い字

2010年12月24日 | 忘れかけていたこと
絵入りの年賀状をつくってみると、宛名面の文字がなんとなく白っぽく印刷されてしまうことがあるらしい。

黒い文字に、黒インクだけでなく、カラーインクで黒を出す印刷方法がとられると灰色がかった文字になるのだろうか。

FAQの記事を探ってみる。
やはり色のことになると、ソフトもいろいろ、プリンターもいろいろだから、現象も原因らしいものも、みないろいろである。

1.グレースケール印刷設定に、「黒インクのみ」というメニューがあり、それを選択すれば黒がくっきり印刷される。

2.ヘッドが目詰まり気味になるとうすく印刷される。

3.ドライバーをインストールし直したら黒がはっきりした。

4.普通紙にインクジェット紙用の設定で印刷すると色が変わって見える。

1.は、まったく色のつかない「メモ帳」などで印刷してみれば、設定との関係がつかめそう。

2.は、印刷された文字全体を見て、まだらになっていればこの原因だろう。

3.4.は、そういうこともあるかというぐらいで、よくわからない。

いろごとはケース・バイ・ケース、微妙かつ難儀なものである。

水平線

2010年12月23日 | 忘れかけていたこと
水平線の入った写真は撮りにくい。
撮るときに意図しようとしまいと、水平線の傾きは見ていて気持ちがよくないから。

私には、シャッターのときに意識してないと、わずかなのだが左に傾く癖がある。
目が弱くなってファインダーの枠と水平線の平行度合いがはっきりしなくなったので、意識していても撮れた画像が傾いていることもある。
デジカメのディスプレイを見ながらのシャッターは苦手で、手持ちの場合はファインダーを使うから、癖と画像が直結する。

土門拳は「モチーフとカメラの直結」を説いたが、ヘボカメラマンが直結させるのは癖と画像でしかない。


画像ソフトの多くは「回転」というコマンドが用意されていて、1/100度まで指定できるものもある。
傾いて撮れた画像も、周囲が少し切れるけれども簡単に修正がきく。

しかし、Jペグ画像は修正やコピーのたびにどんどんボケてくる。
傾きを直し、サイズを調整しているうちに、カメラの解像度などまったく問題にならないほど見るも無残なボケ写真になってしまう。

回転しても、ボケまなこで見る限り画像のボケが気にならない方法がある。
回すときビットマップにし、回し終えたらまたJペグにしておけばよい。

アンドゥ

2010年12月22日 | 忘れかけていたこと
MPSの始祖である安藤さんの思い出話ではない。

アンドゥは元に戻すことなのだが、パソコンでちょっとやりそこなったとき、利用価値の高い仕組みである。
画像の編集にはこれがずいぶん役に立つ。
文字データのように消しては書き、書いては消すのと違って、画像データの編集は上書き、また上書きだから、塗った色を消したところで元の色は下にはもうない。
元の色を復活させるには、それを覚えていてくれるアンドゥさんにお願いするしかない。
何段階も前の失敗を取り戻す手助けをするのだから、パソコンも楽ではない。

アンドゥのきくところではせっせと利用する習慣をつけるとよい。
画像をうっかりいじりまわすと、ご破算で願わなければならなくなるから。
I am undone! という言い回しがある。「なにもかもおしまいだ」なのだが、昼行灯に通じているような気がして可笑しくもあり、情けなくもある。

タテ型のCDドライブは、卓上面積を取らない点では都合がよいのだが、出し入れがしにくい。
中途半端なところで手を離すとクルクルとディスクが中に転がり込んでしまう。
そうなったとき、あわててあちこち触るとドライブが引っ込んでしまう。中でCDが引っかかったりしようものなら始末に終えないことになる。
まずったと思ったらアンドゥが良策である。

向こうに転がったものは、こちらに転がり帰させればよい。ドライブ全体を手前にちょっと傾ければ、コロコロとCDは出てくる。物理的アンドゥである。

アンドゥは便利だが、使わずにすめばそれに越したことはない。
CDドライブでアンドゥ不要にする方法がある。
転入防止、お尻をちょっと持ち上げて置けばよいのだ。

便利

2010年12月21日 | 忘れかけていたこと
ひとの作った便利を喜び、自分で便利にすることを楽しむのは、生物の中で人間だけである。

このブログにも既定ジャンル名に「便利な使い方」というのがある。
便利さは使うことを通じて感じることで、使わない人には便利さがわからない。

便利も曲者で、すべて良いとは限らない。
便利に、もっと便利にとおし進めていくと、使わずに済むことが便利なのだと珍妙な錯覚に陥ることになる。

時節柄のたとえで機嫌を損ねる人もおられると思うが、適例がある。
年賀状作成ソフトがそれである。

文面も図柄もすっかり整ったテンプレートがあって、ひとにらみ1ドラッグで5秒も経たないうちに印刷できる状態に仕上がるというのもある。
大勢の顧客宛に通り一遍の挨拶状として出す場合にはこれが便利だろう。
だが、一瞬で完成する挨拶状は、作るのに便利であるとは言い難い。そこでは作る行為をまったくしてない、作ってできたのではないから。
挨拶に発信者の意が込められていなければ、年賀状も宝くじという多少色のついたただの紙切れではないか。

こんなことを書きながら、一方で、はがきデザインソフトの提灯をかざすようなメールを発信している。これは認知分裂症の兆候か。

”便利さも程を過ぎればあだになり ”

テンプレート

2010年12月20日 | 忘れかけていたこと
template は、鋳型、型板、雛型、定型書式を言い表すことばである。
何かを作るとき、もとになる定型的なデータやファイルをこう呼んでいる。

temple には、区別された神聖なところという意味があって、どなたかが決めてくださったテンプレートと、私らが勝手に作って保存しておくファイルとは、格が違うのかもしれない。漢字で書くと天板、お天道様がくださった板か。

コンピューターは、データをコピーして部分的に修正することが簡単にできる。
よく使う画像や文体をテンプレートとしてあらかじめ用意しておき、便利に使えることはパソコンの便利さのひとつである。
例えば、最近のワープロソフトには、冠婚葬祭のあいさつ文がテンプレートとしてたくさん用意されていて、宛名などを入力するだけで簡単に郵便ができあがる。

何かのテンプレートをもとにして、自分流の修正を加え、気に入ったものができたら保存ファイルとして自分が持っていればよい。
ところが、博愛心に富んだ方は、それを公開してほかの人にも使って欲しくなることもあるらしい。

市販のアプリケーションソフトには、概してテンプレートが多すぎる。
使わないテンプレートは邪魔ものでしかない。
Web の利用が素早くできなかった頃の習性が、ソフト制作者に染み付いていて、画像も定型文書も、その都度ダウンロードしたほうがずっと便利であることに気付かないらしい。
ことによると、ソフトの値付けのために付録を増やしてるのかもしれない。
しかしなかには、テンプレートのたくさん入ったソフトを無料で配布している暢気な会社もあって世はさまざまである。

クリップアートの整理

2010年12月19日 | 忘れかけていたこと
.bmp の整理がすんだら、次はクリップアート。
.wmf を探し出す。

だが、クリップアートのファイルシステムがなかなかの曲者で、1画面1ファイルになってないのもあるらしい。

Word 2003 以降のバージョンには、クリップオーガナイザーという画像取り扱い事務所のようなシステムが組み込まれていて、その窓口を通さないとクリップアートの出し入れができないようになっている。
そこでたくさんのゴミ画像を抱え込んでしまうと、[挿入]→[クリップアート]→だんまり→イライラ、ということになる。
マジメにやればやるほど仕事が溜まって、働きも認められない気の毒な状態になる。


クリップオーガナイザーは、画像ごとに削除の操作もできるようになっている。
消してくださいとたのめばやってくれるが、黙っていればそのままは当たり前のこと。
ファイルの整理はユーザーがやるしかない。

練習用のパソコンの場合には、画像を検索して挿入する方法が体験できればよい。
それには類似の画像は2個もあれば十分。
用のないものはさっさと削除して普通に動くようにしておいたほうがよい。

確認

2010年12月18日 | 忘れかけていたこと
画像データを整理してやろうかと、.bmp ファイルを検索で呼び出す。
うわぁ出てきた!1567個。

表示を「縮小版」に指定しておくと、検索された画像ファイルがずらっと並んで中身がわかる。

ずっと見ていくと、小さな記号やボタンのような図がたくさん並んでいる。
これらはプログラムの動作中に画面に現れるものである。これを削除しては大変だ。
.bmp 画像を削除するときは、あとから保存されたものに限っておいたほうが無難とも言える。

サムネイル画像でもおよその中身はわかるから、これはもう使うことがないというのを選び出して、20個ほど削除した。

Vix を使ってサイズの調整やアップロードする画像の確認をするとき、不要ファイルを見つけるたびに削除しておいても溜まってくるから不思議である。
これが実は、不思議でも何でもないので、篩の目が荒いだけのことなのだが。

ワイルドカード

2010年12月17日 | 忘れかけていたこと
パソコンが急におし黙る。仕事が辛いからである。
Windows98 や WindowsMe までは、そこで本当に動かなくなってしまっていた。
WindowsXP になってからは、動かない振りをしてゆっくりゆっくり仕事をするようになった。

かさばるばかりで使わないデータを整理するのが、パソコンの動きをよくする方法として最有効手段である。
かさばりの要素は、一つひとつの大きさと数、物置にあふれるガラクタと変わらない。

画像データは、パソコンの画面に現れるとほとんどその差に気付かなくても、データの形式によって大きさがグッと違ってくる。
ビットマップ、.bmp という拡張子のついたデータは、いちばんかさばる。

特別に細かい印刷が必要とか、二つのソフトの間でデータを交換する条件になってる場合とか、特別な場合を除けば、ビットマップで保存しておく効用はまったくない。
ところが、Web サイトから画像データをダウンロードするとビットマップになっていることもしばしばある。
画像データを、扱いやすい別の形式で保存しなおしても、前のデータはそのまま残るから、いつのまにか図体の大きい邪魔者がのさばることになる。

こういうデータをいっぺんに始末するには、呼び出して整列させ、削除してしまえばよい。

<同じ形式(この例ではビットマップ)のファイルを呼び出して並べる方法>

1.[スタート]→[検索]

2.検索対象に「ファイル」と書かれているところを選ぶ。

3.ファイル名に[*.bmp]と書き込む。
「*」のアスタリスク記号は、こういう場合ワイルドカードと呼び、「任意の文字」を意味する記号となる。任意ということはひっくるめて何もかもだから、.bmp の拡張子のついたファイルは全員集合ということになる。

4.[検索]ボタンを押す。

こうして捕まえたのを始末すればよい。