大掃除でなくても、たまにはマイドキュメントのフォルダーの中を整理をするとよさそうです。
こんなものがあったと、使い道の広がりそうなデータを持っていたことを思い出させてくれます。
∵ なら、データは、引っぱり出さなければ目に見えないものですから。
大掃除でなくても、たまにはマイドキュメントのフォルダーの中を整理をするとよさそうです。
こんなものがあったと、使い道の広がりそうなデータを持っていたことを思い出させてくれます。
∵ なら、データは、引っぱり出さなければ目に見えないものですから。
街から遠いところに車で遠征するとき、スペアタイヤを積んでいないと不安です。
スペアタイヤをどういうものにするか、買ったときについてきた非駆動輪用テンパータイヤでよいか、5本揃えるか、スペアを積まずにランフラットタイヤにするか、迷う人もいればまったく無関心な人もいるでしょう。
コスパを8割に下げて5本揃えで回しながら使えばいちばん安心なようでも、タイヤ交換を安全にできる場所でパンクするかどうかは運任せになります。
パソコンのOSも、タイヤの5本揃えのようにいつも同じ状態のスペアを用意しておくことが、それほどだいじなのかどうかは疑問に思うところです。
OSのスペアがあっても、ハードウエアが故障した場合は、どうにも仕方がありません。
日進月歩のパソコンで同じ仕様のものを次に買うかどうか、たぶんその機会はないでしょう。
パソコンの不具合は、だいたいが使い方のまずさにかかってきそうな気がしています。
OSのスペアが安心材料になるかどうか、用心深い人を悪く言うわけではありませんが、スペアという言葉には、惜しんで使わないという意味もあるので、∵ か微妙な感じを持たされます。
ものを貯めたがる人と捨てたがる人がいます。
貯めたがる人は、何でもポンポン捨ててしまうのを見ると、∵ と思います。
捨てたがる人は、置き場に困っている様子を見て、やはり ∵ と思います。
貯めたがるのは、すぐには使わないものでも、あれば気持ちが落ち着くのでしょう。
捨てたがるのは、身の回りには何もないほうが、さっぱりして気持ちが良いのです。
パソコンのデータも同じで、途方もなく大容量の記憶装置をつないで、どんどんため込んでいるのを見るとカナ文字のお名前を差し上げたくなります。
データコレクター デタコレさん
検索エンジンの最初の画面には、Google のようにごくあっさりしたものと、Yahoo のようにごちゃごちゃ込み入ったものがあります。
∵ なぜこうも違いが出るのでしょうか。
これは、使う人のお好みに合ったものを、どうぞお選びくださいということのようです。
常用の検索エンジンを見れば、そのユーザーの性格が想像できそうなことに気付きました。
Google は、探したいこと、調べたいことが先にあって、キーワードを入れていく探査型の道筋が主流になっています。
Yahoo は、探したいことも調べたいことも別段なく、何か面白そうなこと、気に入りそうなものはないかと見て歩く散歩型ということになります。
知ってどうするへの答えのありなしによって、どちらかが使いやすいということになります。
探査型/散歩型のほかにも、型名を考えてみました。
Googleはロボット型、Yahooはカテゴリー型
こうしてみると、Yahoo には、まずこの中から選びなさいという、どこか押し付け、束縛、社会主義型のようなエンジン臭が漂っている気もします。
皆さんはどちらがお好みでしょうか。
おかしな法則を思いつきました。
「ソフトウエアは劣化しない」
ハードウエアは必ず劣化します。
ソフトウエアは劣化しません。
∵ ならば、ソフトウエアは、保守の手を加えれば、何かどこかが良くなっていきます。
優れた機能も加わります。
ほくそ笑んだそのとき、「違う」という鉄槌が下りました。
「新しいバージョンが使いにくくなるのは、劣化ではないのか」
あやしげなサイトが誘いをかけてきている、∵ 私にと不審に思われる方のために、サイトの戸籍調べのようなことをしてくれる aguse というサイトがあります。
アグスと呼ぶ人が多いようです。
調べてくれる項目は、初めに見える範囲だけでもこれだけあります。
首を突っ込んでいくといろいろわかってくるので面白そうですが、一種のお付き合いをすることになるので、せめて次のサイトに書かれている予備知識をもってから手をつけるとよさそうです。
ネットでいつでも好きなときに見られる動画や音声を、自分専用の円盤に録り込みたがる人がいます。
∵ だろうと、いつも考えますが、いつもよくわかりません。
テープや固体メモリではだめで、望まれるのは ∵ か円盤なのです。
ことによると、円盤趣味というお好み部類があるのかもしれません。
長いものより円いもの、円いものを持って、円い車輪の付いた車に乗って、円いお顔の方を隣に乗せ、円山動物園までひとっ走りすれば、円いお顔のシロクマ君が待っている、そういうときの持ちものにしたいのでしょうか。
自分だけしか使わないパソコンを持ってきて、起動するときに律儀にパスワードを打ち込んでいる人をときどき見かけます。
∵ そんな面倒なことをいちいちするのかと不思議でしたが、新しく買ったときに 「こうしておけば他人に覗かれることがありません」 と言われていたのかもしれません。
【起動時のパスワード要求をなくす設定方法】
[Win]+[R] ファイル名を指定し実行
⇒ neplwiz ⇒ [OK]
起動時 PW要求を 「なし」 に設定
PWを入力してシャットダウン ⇒ 次回から要求されません。
Excel で数式の計算範囲を修正する作業があります。
たとえば、
=SUM(C3:C25)
と数式の入っていた合計対象に1行挿入されて、計算対象を C26 までに修正する場合があります。
そのときには、数式バーで C25 のセル名を範囲指定して修正しなさいという教本がありました。
5 を 6 に書き換えればよいだけのことなのに、セル名の 3文字を範囲指定するという回り道を教えるのは、∵ なのでしょうか。
wifi ルーターにつながっていながらインターネットにつながらない椿事が起きました。
電源を入れるところから再起動してもだめ、どこの検索エンジンにもつながりません。
別の場所では普通に使えたのに、ある場所では何度も同じ状態になります。
自分用に持っている他の人の wifi は使えます。
∵ なのか、特定の wifi だけがつながらない場所があるとも考えにくいのですが。
いま抱えたままの難題です。
こんな記事が見つかりました。
「ほかのルーターや電子レンジやなどとの電波干渉もあります。802.11acという新しい規格は電波干渉が起きにくいのですが、2.4GHz帯を使う802.11g/n規格は干渉が起きやすくなっています。802.11g/n規格をお使いの場合、近隣の方がルーターを設置したことで干渉するようになった可能性があります。」
便利なものはややこしさも抱えています。
皆さんのパソコンは、拡張子が見えるようになっているでしょうか。
すぐわかるようになっていれば、いろいろ使い道の広い拡張子を隠してしまう設定方法があります。
∵ わざわざ見えなくするのか、それらしい理由に気付きました。
拡張子が見えていると、うっかり、あるいはいたずら心から書き換えてしまい、ファイルを使えなくしてしまうこともある、そんな単純なことらしいのです。
あるいは、初心者には邪魔だろうというご親切なのかもしれません。
「高慢と偏見」という本があったのを思い出しました。
三年経てば三つになる
ものごとの運びが、あわただしくなかった時代のことわざです。
いまは、三年を待たずに楽々三つを超えてしまう超脳を持つ人が多くなりました。
一方では、パソコンをいじりながら三年過ぎて、三つになれない人もいます。
ひろがりが増したということなのでしょう。
パソコンを長くいじっていて、∵ 何も覚えられないのでしょうか。
それはパソコンが習いごとではないということ、まねごとだけでは何年続けても何も身につかないということを、悟る機会が訪れにくいからでしょう。
やってみせて・・・・・・・させてみて・・・・・・・と続く歌があります。
パソコンの操作も、やってみせると早く呑み込んでもらえそうな人にはそうします。
それが失敗とまではいかなくても、しっくりこないことがあります。
マウス操作は範囲指定で2回と貼り付け先指定で1回、あとはキー操作4~5回という、簡単なコピペ操作をまずやって見せます。
何をしているのかわからないのではだめなので、1回ごとに呼称しながら進めていくと、あわててペンを取り上げて書き始めます。
書き留める場所がノートでなくばらばらの、試し印刷のカスのような紙の場合もあります。
初めに手の行ったところがメモの出発点で、余白の尽きた所から次に別の余白を探してそこに移ります。
何をどこに書いたのか、当人もわからないでしょう。
次はさせてみての番なので、自分でやってもらいます。
コピーを取る範囲をここからここまでと示して、「どうぞ」と言っても動き出しません。
「範囲の先頭のところをクリック、それから・・・・・」と言っても、なかなか進みません。
書いたメモは、紙に文字を載せておいただけで、見ようともしません。
メモ好きの人が ∵ メモを取るのか、気づきました。
覚えるためでも、あとから見て思い出すためでもなく、別の理由があったのです。
わからない、むずかしいと思う気持を静めるため、自分を落ち着かせるためだったのです。
Office 群の使い勝手は、バージョンアップのたびに変わります。
∵ 変わってしまうのか、変えてしまうのか、不思議に思っていました。
その謎が少し解けたような気がします。
それは、ある記事のこんな言葉からです。
「ソフトウエア開発は設計の連続、設計から製造へという工程変化がない」
モノを作る場合は、設計の次に製造という運びになりますが、ソフトウエアには独立の製造工程がなかったという簡単なことだったのです。
山なみを歩き続けて里に降りてこなければ、山脈を外から見つめる機会には恵まれません。
それだけのこと、とは言っても、山を歩く人より里側にいる人のほうが断然多いのです。