「急拡大するとどこかが薄くなる」6月12日にこういう標題の記事を書いた。
読み返してみると、何の話なのかよくわからない。
システムの特異性が原因なのだが、事の起こりを書き連ねると、中傷のように受け取られても心外なので控えておいた。
だが、話のもとはもう少しわかった方がよさそうなので、また持ち出すことにする。
読み違えないで欲しいが、これは珍妙なシステムの特性の話なので、個人への苦情では決してない。
問題のシステムは Facebook、これには何でも書き止めて置けるノートという欄がある。
そのノートのトップには、どういうわけか、友達が書き込んだ公開ノートが真っ先に顔を出す。
Facebook と名づけただけあって、友達優先なのだ。
毎日ノートを交換しているようなら、この方式でも違和感がないのだが、もし友達のノート書き込みが3年に1回の場合は、3年間ずっと同じ記事がノートのトップに居座る仕組みになっている。
友達が古いノートを削除すると、こちらのノートのトップからその記事は消える。
しかし、友達のノートに向かって、もういいでしょうとは言い難い。
友達が記事をノート以外の別のところに書けば、こういう具合にはならない。
システムのどこかがおかしい。
私は、ノートを気軽な覚え書きのように使っている。もちろん見られてもかまわないので「公開」にしておく。
ネットに載せておいて見ないで下さいというのは思考分裂である。
載せたからには、まったく知らない人のコメントが入っても不思議でもなんでもない。
ノートという名前を誤解しているのか、設計者と私の、ノートを使う感覚が違うのか、よくわからないが、まさか、ひとさまのノートのトップにいきなり出るようになっているとは思っていなかった。
ノートの下にマイノートという分類があって私はそこを使っているが、私の書いたノートが友達の画面にどう現われているかは、確かめたことがないから知らない。
どう受け取られようと、それは見る人側のことで、こちらは言うだけのことを言う。
システム開設者の気質がそんなところに現われているようである。