うっかりユーザのパソコン奮闘記

パソコンを使っていて感じたあんなこと、こんなこと、気ままに書いていきます。

ピクチャーマネージャー~パソコンを便利にするソフト:2

2014年06月30日 | ソフトいろいろ

スライドの話の出た席で、もうひとつ話題が出ました。
Microsoft Office のピクチャーマネージャーです。

使い慣れた別のソフトを使っていたので、Office の奥座敷に、それがあることに気づいていませんでした。
これがなんと、Office 2003 から標準搭載されているのでした。

ピクチャーマネージャーは、画像の基本編集と、フォルダ内のサムネイル表示もできます。
スキャナやデジカメからの取り込みはできないようです。できないと聞くと、なんだ、だめなソフトだなとつい思いがちですが、そこは考え方次第で、取り込みにはさっさと動く別のソフトを使えばよいのです。
ソフト一本で何でもやっつけるぞ、というのは、職人の世界から趣味の世界にもう移っています。
適ソフ適所、何もかも一つのソフトで間に合わそうとしないほうが、全体の作業効率は上がるでしょう。

 

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パソコンを便利にするフリーソフト

2014年06月29日 | ソフトいろいろ

スライドを作るのによさそうなソフトはないかという話題が出ました。
ちょっと検索してみたら、「無料スライドショー作成ソフト一覧 - フリーソフト100」という見出しが目にとまりました。
おお、100個もあるのかと開いてみると、freesoft-100 というのはソフト名で、集客用命名術がそのまま品名になっているのでした。
 ⇒ http://jump.cx/f100

自分ではスライドを作ってみようと思っていないので、どういうソフトなのか試してみるところまではいきませんが、ふと画面の右側を見ると、「パソコンを便利にするフリーソフト」という見出しがあって、押せばすぐに開く扉がずらっと並んでいます。

例の「右側の帯」なので、開けてみる気にはなりませんが、こんなに便利にしてどうするんだというほど見事に並んでいたので看板文字だけご紹介しておきます。

圧縮・解凍ソフト
スケジュール管理ソフト
付箋紙ソフト
口座管理
家計簿
オフィスソフト
ウェブブラウザ
Web巡回・ページ保存ソフト
RSSリーダー
メールソフト
PDF作成・変換ソフト
PDF加工・編集ソフト
PDF閲覧ソフト
Flash作成ソフト
イラスト作成ソフト
画像加工・編集ソフト
動画管理・編集ソフト
テキストエディタ
バイナリエディタ
FTP / WebDAVクライアント
タイピングソフト
ファイル復元・データ復旧ソフト
ファイル完全削除ソフト
ファイルコピー高速化ソフト
ファイル・文字列検索ソフト
複数ファイル一括置換
ファイル同期・バックアップソフト
フォルダユーティリティ
ランチャー

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遡訳は翻訳なのか

2014年06月28日 | 千差万別

Google の「翻訳」は便利です。
三度目を書いたのは、二度あることは・・・・・のことわざに倣ったとも言えます。
言えますと書いたのは、その思いが先ではなかったということです。
こんなふうに、考えをさかのぼっていくと、だいたいがこじつけか屁理屈に行き着きます。
最近特に目立つ、なぜそう言ったのかを記者会見までして説明させる集まりも、さかのぼり趣味が高じてなのか、利用されているのか、どちらかでしょう。

FAQにも、このことわざの由来はなんですか、こういう言葉はXX時代にありましたかと、そんなことを訊いてどうするという投稿をよく見かけます。
さかのぼることの魅力に誘われてのことなのでしょう。
それなら自分でさかのぼればよいのに、人にさかのぼらせて眺めて楽しむというのは、TV気分のひきずり現象です。
遡行の清々しさは、見ていただけでは味わえません。 


現代文を古文に翻訳してくれるサイトがありました。

 ⇒ http://p.tl/7qcJ

古文に翻訳といっても、文語体にして多少古めかしい味付けをした程度のことではないかと思いますが、さかのぼり好きの人には、お楽しみの道具になるかもしれません。


ところで、翻訳というのは、書いてあることの意味を、身近な別の言葉で知るためにするものと思っていましたが、わざわざ昔の言葉に、それも確かにそうなるとは言えそうもない言葉に変えてみる、頭の働きまで逆にしてみるのも翻訳なのでしょうか。
こういうのを「遡訳」と名づけてみましたが、これはたぶん、粗略な考えなのでしょうね。

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ブログは解説の台本にはならない

2014年06月27日 | 千差万別

ブログは、もともとは、ウェブページのURLに覚え書きや論評などを加え記録している、ウェブサイトの一種であるとされていました。
今は、日記や雑記帳、アルバム、何でもかでも、それらしい形のウェブページを作ればブログと呼んでしまうようです。
汚れた足を洗っても化粧石鹸、無茶苦茶に食べ物を辛くしても調味料、書き散らかしもブログ、使っているものを、まず分類名で表そうとすればそうなるでしょう。

日ごとに何かを書き散らしている、それでは聞こえがよくありません。
日記を書いているとは、あまり人に言わないのに、ブログを書いてますと、テレビに出てきてわざわざ言う人もいます。
ところが、どんなことを書いているのかと見れば、猫が左を向いてから右を見つめていたぐらいのことが多いのです。


ブログには、覚え書きか論評があるはずだから、ひとに話して聞かせることが書かれていなければならず、ウェブページに載せるならその説明もできるだろうと、定義にこだわる人は思いこむかもしれません。

中身が真正のブログである場合には、それも言えると思いますが、XXブログという名のついた書き込み自由のページを借りて使っている書き散らしのようなことに、改まって説明を求められても、歯の磨き方の説明より、もっと中身のない話しかできません。
ああやったこうやったという話ほど、退屈でつまらないものはないので、つまらないとわかっている話をさせる聞かせるという業界のお仕事をまねをしてまで、あくびの数を数えたくはないのです。

出がらしのような記事を、また急須に入れなさい、二番煎じでよいからと言われても、はいどうぞとは、甚だ言いにくいものなのです。
ブログと呼ばれるものは、ものごとの解説の台本には、やはり向かないようです。

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カナ文字訳語

2014年06月26日 | ソフトいろいろ

Google の「翻訳」は便利です。
ここで、おや、と思われた方は、昨日も読んでくださった方です。
同じことを書いたからです。

同じことを繰り返し言うのはボケの始まりかと思っていたら、そうではなさそうです。
何かを認めさせたいとき、同じ相手に同じことを何度も言う、あの手です。
動物の本能に根ざしているのかもしれないこの方法は、方法と改まって言うこともなさそうなほどの常套手段になっています。
「口を酸っぱくして」と、清潔時代には意味の通じそうにない言い回しもありました。
清潔時代というほとんど使われないこの言葉は、蛍雪時代という雑誌名のモジリだったと、書いてみた後で気づきました。
その蛍雪時代、名前の前に「昔あった」と書こうとして、今はどうなのかとググってみると、なんとまだ続いているではありませんか。

「そんなことはない」とのお叱り覚悟で言えば、これまで続いているのは、相手が変わっても同じことを何度も読ませて、それでも役割を果たせるからでしょう。

相手が変わっても同じことを何度も読ませるもの、代表は辞書です。
辞書の電子版もありますが、Google の「翻訳」が、それとはちょっと違うことは昨日書きました。

何度も使われると、それが訳語の代表になる「統計的機械翻訳」では、漢字を使った訳語が一度も出てこなければ、アルファベット表記をカナ書きにしてそのまま訳語の代用にするしかなく、固有名詞もすぐカナ文字になって示されます。
ただし、その原語に該当しない言葉は、カナ文字に変わることもありません。

優れたシステムというのは、こういう当たりまえのことを当りまえにやってのけるものなのでしょう。
当たりまえのことができなければ、いくら宣伝をしても、システムの寿命は延びるものではありません。

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生かされるのは真訳か多数決か

2014年06月25日 | 千差万別

Google の「翻訳」は便利です。
たくさんの国の言葉どうしを、自在に翻訳して、発音まで聞かせてくれます。
聞いてもそのとおり音を出せない言葉もあります。

このシステムは、「統計的機械翻訳」というものだそうです。
知りたい言葉がどう訳されて使われているかを瞬時に調べ上げるという統計処理をして、多用されている言葉を訳語として答える、いわば多数決なのです。

もし辞典の訳とは違う使い方をする人が多ければ、それが訳語としてはじめに出てきます。
言葉は、正しいかどうかより、話が通じるかどうかが先に立ちますから、真訳が後回しになることもあるでしょう。

もの知りらしい人の言ったことが、真説であるかどうかと同じで、見極めの結果は自分に跳ね返ってくるというだけのことです。

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道具は自分が使いやすいものを~拡大鏡雑感:3

2014年06月24日 | ソフトいろいろ

拡大鏡のことでKさんからお便りをいただきました。
Kさんにとって、拡大鏡とスクリーンリーダーは、PC生活に欠かせないもので、Win8.1 標準の拡大鏡を使っていらっしゃるそうです。

昔に比べれば、拡大文字も読みやすく、設定も楽にできるそうです。
拡大鏡設定パネルで、拡大率、縦横の高さ、全画面表示などが設定可能で、パネルの枠外をクリックすれば半透明の虫眼鏡アイコンになって画面に残すことができます。
そのアイコンをクリックすると、すぐに設定パネルが表示されます。この操作は、先日の会合でHさんから教えていただきました。

これに欲を言えば、タスクバーまでポインターをもっていかずにワンタッチで ON・OFF 切り替えができるとよいというご意見です。

いろいろ試してこられて、今までで一番いいなと思ったのは、MSのインテリポイントマウスの拡大鏡だったそうです。
 ⇒ http://jump.cx/mslupe

マウスのホイールスイッチで、拡大鏡のオンオフ切り替えができ、ホイールスイッチを押したまま上下にドラッグすると高さが変わり、左右ドラッグで横幅が変わるという調整機能があります。
またスイッチを押したままホイールを回すと拡大率が変わるという優れものだそうです。

マウスをシェイクしてオンオフする「老眼鏡」というのも良かったそうです。

Kさん、おしらせありがとうございました。

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パソコンはボケ防止に役立つか

2014年06月23日 | 忘れかけていたこと

ボケ防止に役立つパソコンというお勧め言葉は、最近怪しくなってきました。
ボケ防止効果が、あまり期待できそうにないのです。

つい先ごろまでは、パソコンの初歩の扱い方を、書き取りの助けを借りて覚えようと鉛筆を走らせながら、半分無駄でも努力をしてきました。
半分無駄というのは、書いたノートを後から見ても、何が書いてあるのかわからないことが多かったからです。
パソコンの用法など、一度書いたぐらいで覚え込む効果はありません。
書くことによって覚え込むには、百回ぐらい同じことを書かねばならないでしょう。

無駄でなかった半分は、書きながら、あるいは書いた意味を思い出そうとしながら何かを考えていた、それが多少なりとも理解に役立っていたということです。
この残り半分をも、近頃のパソコンは、無駄の領分に引き入れてしまいました。

パソコンの操作過程に、文字を読みとる機会をどんどん減らしてしまったからです。
絵を見て判断し、なにかをする、そういう仕組みです。
判断させるうちはまだよいのですが、判断も不要、ボケっと見ているだけの四角な板に、ディスプレイはなってしまいました。
じっと見ていると、どこかから何ものかが画面に出てきて動き回ります。
そんなものをずっと見ていれば、ボケ防止どころか、ボケ促進になるでしょう。

人間を早くボケさせるものを、なぜ作るのか、それは、なるべく大勢の人にボケてもらったほうが都合がよいことがあるからです。いやですね、こわいですね。

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アクセサリーは本体と釣り合うようにつくられる~拡大鏡雑感:2

2014年06月22日 | ソフトいろいろ

会合で拡大鏡の説明を聞いて、拡大範囲の大きさ、つまりレンズの枠の大きさをタテ・ヨコ別々に調整できる機能があることがわかりました。
これは便利だ、と思いましたが、Windows のアクセサリーですから、バージョンによって機能が違うのではないかと疑問が出て、あとで確かめたらやはりそうでした。
むかしの拡大鏡には「レンズ」というメニューさえ見つかりません。

しかし、枠の大きさを調整できないのではなく、斜め矢印で自在に変えられるのです。Office のオブジェクト操作でよく使う、枠の隅に現れるあの矢印です。

そこにはこんなメッセージウインドウも出てきました。

余計な機能はここではつけないという断り書きです。
市販の画面拡大ユーティリティがどのくらいあるかと見ると、Vectorから60個あまりのソフトが紹介されています。
数が多いというのは、作りやすいのでしょうか、作ると面白いのでしょうか。


ここで思ったのは、アクセサリーは Windows本体や Office と釣り合うようにつくられているということです。
人間がつけるアクセサリーも、顔かたちや着るものと釣り合いがとれていなければおかしいでしょう。
ネズミのような姿に160センチのネックレスは似合いません。


拡大鏡の MS Office との釣り合いは何でしょう。
斜め矢印で簡単に伸縮できたレンズ枠が、新しいバージョンでは、タテ・ヨコ別々に調整するのを見ると、釣り合っているのは、使い方の面倒くささにあるのだと、リボンのややこしさと符合して、妙に納得できたのであります。

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拡大鏡雑感:説明する人の位置はどこがよいか

2014年06月21日 | 千差万別

拡大鏡の機能は、プロジェクターで映しだされたパソコン画面の一部を拡大して見せるとき、たいそう便利です。
説明用に使うパソコンは、スタートメニューに「拡大鏡」の起動用ショートカットを入れておき、必要なときにぱっと使えるようにしておくとよさそうです。
ここまで書いたとき、「必要なとき」とはどういうときだろうと、ドウドウ虫がまた動き始めました。

映写画面の部分拡大が「必要なとき」とは、視力の弱い人やいちばん後ろの席の人が見えないときです。
説明者は、視力の弱い人の実感をつかむわけにいきませんが、いちばん後ろからは見ることができます。
映写画面を使うとき、説明者の位置は最後列がよかったのです。

ボードに字が書けないぞ、それならスクリーンとライティングボードを別にすればよいでしょう。
話を聞く人に顔の向きを変えさせたくなければ、書いたり描いたりは、スクリーンに近づかなくてもできます。
チョークで字を書かないと口が動かない先生には、それなりの道具立てが必要ですが。

まだありました、説明する人の位置は、からだの位置だけでなく目の位置もだいじでした。
映写画面を説明するときは、パソコンではなくスクリーンを見ていれば、よく見えるか見えないか気づくことができるのです。

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SNSのSの正体は

2014年06月20日 | 千差万別

SNS : social networking service を、ソーシャル・ネットワーク・システムと勝手読みしていたのは、ついこの間までのことでした。
サービスであったSを、システムと思っていたのでは、その性格を知って使わせてもらううえで、大きな違いが出てきます。
システムを提供してその蔭で静かに商売をするのと、サービスだ商売だと声高に言うのとでは、利用者の態度は違って当たりまえでしょう。
提供されたシステムであれば、多少の不便さは我慢できても、株式を公開した会社のすることになると、何だこれはと言いたくなります。

Facebook での何だこれは、それは、知らない人が断りもなしにむやみに押し寄せてくるということです。
メールならば、名前を見てすぐ削除、あるいは送信者禁止という手段があるので、大量襲来もさほど気にはなりませんが、Facebook の場合には、開門後間もなく、門前に押し掛けた人波で歩けなくなるような感じになってしまうのです。
超速CPUと超大メモリで、門の幅や門の脇のたまり場に、たっぷり余裕を持たせれば、その状況を解消できることはわかりきっていますが、たかが Facebook で見も知らぬ人の顔写真を眺めるために、そんな用意をする気にはなりません。
駅のホームで知った人同士が声を掛け合うのを見ても苦になりませんが、通路いっぱいにわいわい立ちはだかってくれたのでは、毎日そこを通る気にはなりません。
ある方から投稿があったという知らせが来れば見にいきますが、毎日見ることは、日に一度の腹立ちを強要されることになるのでやめました。

 

SNSのはじめのSも、ソーシャルではなかったのではないかと思うようになりました。
あれはサラウンデッド、つまり「囲われた」という意味なのではないでしょうか。
囲いも上手につくられていれば、通行人に心の和らぎを与えることもできるのですが。

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スマホはパソコンの進化型ではない

2014年06月19日 | 千差万別

スマホが幅を利かせて、パソコンはそのうちに消えてなくなるかもしれないと思う人は、パソコンを、ただ眺めて楽しむだけのものと決めている人でしょう。

気の向くままに、平らな板に現れる画像と書き散らしの短文を眺めているだけなら、どこにでも持って歩ける小型軽量のものが向いています。

携帯電話という企業本位の足かせ具を、私生活の場にまで持ち込ませるには、楽しみにも使える機能がなければ、時間まで縛りきることができず、スマホが生まれました。

スマートと呼べるほどにはスマートさが足りない小道具は、スマホという小細工名のおかげで、もやもやそわそわした親近感が行きわたるまでになりました。

しかし、スマホとパソコンでは、画面サイズという決定的な差があります。
見るだけのスマホは、見せることもできるほどには進化できません。
ここで、見せることができるできないの問答を始めると、話は淫靡の淵に滑り落ちます。

いまはだめでも何十年か先には、というのはスカタン論議です。
そのころにはスマホは過去のものになっているでしょう。

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これは何だろうというアイコンが増えた

2014年06月18日 | 千差万別

ずらっと並んだものの中から、これだというものを見つけやすくするのがアイコンの役割と思っていました。
どうやらそれは間違いだったようです。
見つけにくくしておいて見つけ出すのを楽しませるというアイコンの使い方があるのでした。


矢印には、それから受け取る基本的イメージがあります。
まっすぐな矢印は矢の方向に向かわせ、まがった矢印は矢の方向に回すことを示します。
基本的イメージには、想像力はいりません。
こういうのは幼児向けで、それだけではもの足りないらしいのです。


なじみの薄い、あるいはまだ見たこともなかったアイコンから、本体を探し当てるには想像力が必要です。
想像力は、イメージを形成する能力より、むしろ知覚によって提供されたイメージを変形する能力だと言われます。
変えてみることが楽しい、初めてみるようなものが面白い、想像力を養いなさいという、親切なお勧めです。

アイコンは、人間の頭を混乱させる度合いをだんだん強める方向に増えていっています。
複雑化が進化であるという、ある種の妄想につられてのことかもしれませんが、いかがでしょうか。

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ほめてほしければそれだけのものを見せればよいのに

2014年06月17日 | 千差万別

SNSというものは奇妙なものです。
無数にある誰かが載せた記事を読んだり画像を見たりします。
街を歩いていて、いろんな人とすれ違うのと同じです。
ちょっと目にとまることがあるとじっと見ます。
見ていると何か言いたくなり、黙っていればよいのに、ついそのことを口走ります。
目にとまるのは、どこか目立つことがあるからなのに、それに何か言われると「批判された」という気になるようです。

目立ちたいけれども何も言われたくない、もし言うならほめてほしい、ほめるだけであまり深く立ち入ってほしくはない、ずいぶん手前勝手なことのようですが、そういう投稿が多くそれでもっているのかもしれません。

広告効果が収入の要素であるSNSは、たくさんの人をつかまえなければショーバイになりません。
この産業を繁栄させるのは、大多数を占める手前勝手な人たちということになります。

SNS上でのお付き合いには、「気にしない」ことがいちばんなのですが、みっともなさがお客様の世では、気にしないひとはよいお客になれそうもなく、通行人A・Bでしかないのです、いやはや。

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火事もウイルスも自分で防ぐもの

2014年06月16日 | 忘れかけていたこと

火事を仕掛ける人にほとんど利得がないのと同じように、ウイルスをばらまく人にもほとんど利得はありません。
得られるのは、みずからの悪癖のタネになる隠微な快感だけでしょう。
いたずら心は、利害を考えずに働くようです。
何かに動かされる純粋さ、それは善悪にかかわらず世の困惑のタネになります。

困惑のもとが増えれば、それを防ぐ仕事も増えます。
しかし、ウイルス産業と呼びたいほどに繁盛はしても、その業界をそういう名では呼びません。
火事産業という名がないのと同じでしょう。

火事は自分で防げと言われます。ウイルスも自分で防ぐものです。
言ってみれば「自主的必需」のもの、それに関係する仕事は産業とは呼ばないようです。

ウイルス対策は、今では、していて当たり前のようになっています。
使っていることに、ユーザー自身が気づいていないことさえあります。
おまかせセットアップで使い始めたユーザーには、防御している自覚が生まれにくいのです。

知らないうちに守られている、気にしなくても守ってくれる、それは幸せなのでしょうか。

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