うっかりユーザのパソコン奮闘記

パソコンを使っていて感じたあんなこと、こんなこと、気ままに書いていきます。

早さ軽さ

2011年03月31日 | 忘れかけていたこと

「もっとも節電できるブラウザ・・・」という記事が目にとまった。
http://dt.business.nifty.com/articles/1146.html

最近幅をきかしはじめた HTML5 と呼ぶマークアップ言語がある。
HTML で書いた文書は、絵や音を差し込むことができるが、それぞれの用途に応じた別のプログラムを連れてきて仕事をしてもらわなければならなかった。
つまり、専門の技能をもったところに委託しなければ、自社の直営だけでは仕事ができなかったのだ。
HTML5 は、それが直営でできるようになったらしい。
余分な手続きもいらず仕事が早いから、ブラウザからの注文にもさっと答えられ、ブラウザの消費電力も減るはずである。
ただ、それにはブラウザのほうの動作も、読み取りと反応が早くなければ、どこかに無駄な動きが出て、消費電力も減らない。
英語を使わない国のひとのカタコト英語のようなもので、汗だくはわかっても意味の通じるのは遅れる。
早さを自慢にしていたブラウザも、節電時代になると、あのガソリン食いだったロータリーエンジンのように影が薄くなる。

IE9は、Kさんからの案内どおり、早くて軽くて具合がよいらしい。
ただOSがWin7でないとだめという。
軽くて速い燃費の良い車も、ドライバー次第というわけか。


目盛

2011年03月30日 | 忘れかけていたこと

福島の原子炉から際限なく出る、放射能をもった水蒸気は、爆発するのか噴射ですむのか。
その程度は予想できなくても、このままで平穏におさまることはない。
ここまで追い詰められてしまっては、必然の現象を覚悟しておかなければならない。


Tさんが教えてくださった、神奈川県安全防災局の「環境放射線モニタリング・システム」の公開データは、10分間隔で川崎・横須賀地区13か所の測定値が示されるので、いま、外の空気がどういう状態かを知ることができ、ありがたいと思っている。
http://www.atom.pref.kanagawa.jp/cgi-bin2/telemeter_map.cgi?Area=all&Type=WL

このサイトでは、測定局別に時系列データもグラフにされ、推移がわかるようになっている。
しかし平常時の3倍程度を超えてしまうと、測定値がグラフの目盛の範囲から飛び出して、これはひどいという感覚しかつかめなくなってしまう。
平穏時には安全に推移しているというデータは示せるが、危ないぞというデータはその程度をひと目で知ることができない。

局別には、 nGy/h 値が150を超えたら嫌な感じ、300を超えたらますます嫌な感じ、500を超えたらいよいよ来そうかぐらのつかみ方はできる。
しかし、ずっと続けてその数値とにらめっこをしているわけにはいかない。
ときどきグラフを見て傾向を知ることが、いよいよ覚悟の方向か、とりあえずは安心の方向か、心の持ちようを決める助けになるのである。

県当局には、当然あちこちからこれに似た話が飛び込んで、担当の方々は業務に忙殺されているだろうから、いつ、どう改善されるかはわからない。
グラフの縦軸の単位あるいは目盛の様式を、状況に合わせて変えるぐらいのことを、さっさとできないものかと思うのだが、こんな仕事も、もし外部委託であったら、さぞ手続きも大変だろうと、じりじり半分同情半ばで、何とも言えない気分なのである。


突っつき

2011年03月29日 | 忘れかけていたこと

卓球の技法に「突っつき」というのがある。

相手が強く打ち返し難いように、切れているようでもあり、そうでもないような、短い球を送り続ける。
突っつきに弱い人は、辛抱しきれずに叩いて負ける。

Twitter という、ブログでもない、チャットでもない、140文字制限の、突っつき技を好む人向きの投稿システムがある。

投稿ごとに瞬時に固有のURLが割り当てられ、ひとりごとのような短文が、読む人のところに届く。
読む人がいなければ自分だけのメモになる。壁に向かって突っつくような侘しさも味わえる。

140文字でも、8回続ければ千字文にお釣りがくるので、つなげつなげてメッセージを発信したつもりになる人もいる。

長文は長文、伝えたいことは一つにまとまってこそ文の意味が出てくると思うのだが、電車のようにつながっているものが好きなのか、バラバラにしておけばわかりにくさという特徴を「シッカリと」維持できるからなのか、政府機関にもこれが好みの人がいるらしい。

突っつきに弱い人がこれを見ると、辛抱しきれずに叩きたくなる。

こういう記事が載った。

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【発信者:首相官邸】
Kantei_Saigai
【お知らせ】【住まい】地震等からの避難者の皆様は、雇用促進住宅/公営住宅/UR住宅に一時入居いただけます。詳しくはこちら http://bit.ly/gpSDNW

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「詳しくは」を順にたどって行っても、ご案内記事ばかりで、見れば見るほど不審・不信がつのってくる。
突っつきには突っつきの効果しかないのだから、これで「情報をシッカリと提供しています」などとは言ってほしくない。

突っつきに弱い人は、辛抱しきれずに叩きそこなって負ける。


全角/半角

2011年03月28日 | 忘れかけていたこと

また異変が起きた。

ローマ字ひらかな入力、MS-IMEの入力モードが「あ」の状態から、全角英数に切り替えるとき、[Caps Lock] を押せば「A」にできたのに、それが [ A] になってしまう。

とりあえずはタスクバーまで行って切り替えれば用は済むが、これからずっとそんなことはしていられない。

全角英数字を入れようとして [Caps Lock] を押す、 [ A] がでる、ああそうだったかとマウス・ポインターをタスクバーに持っていく、 [ A] をクリック、「全角英数」をクリック。

ただそれだけにせよ、そんなことをいちいちやってはいられない。

何とかならないかと探し回ったら、方法が見つかった。

1.「あ」の状態で、何でもよいからアルファベットのキーを押す。

2.[F9] で全角英数にする。

3.[Enter] で確定。

こうしておけば、そのあとは今までどおり、「あ」から[Caps Lock] を押せば「A」になる。

知ってしまえばなんだと思うが、知らなければアタフタ・イライラ、からだに良くない。

こんなサイトがあった。
「初心者のためのOffice講座ーはまちゃんらんど」
http://hamachan4.exblog.jp/2225481/

ついでに変なことを発見、「こんなさいと」を変換したら「紺麻糸」になった。


刺身情報

2011年03月27日 | 忘れかけていたこと

パソコン情報には、拙速という欠点がつきまとう。
発信するときの読み直しがおろそかになること、チェック機能が介入しにくいこと、質問がすぐに異論と受け取られやすいことがあげられる。

原稿を紙に書いた場合なら、修正したところを見ながらの読み直しが繰り返しできる。
しかしパソコンの画面上では、読み直しはできても、どこをどう直したのかは記憶が消えればわからなくなる。
直したという感覚が消えれば、さあこれでよいという感覚が先走る。
紙の原稿に赤い字が入ったものより、見やすいはずのパソコン画面のほうが、読み直しがおろそかになるのは事実だが、説明できる理由は見つからない。
ただ実感だけである。

紙の原稿は、執筆者以外の人がチェックしやすい。人の書いた原稿を読み始める前に、まず赤鉛筆を持つ人もいる。
パソコンの画面では、こう書いたけれども見てほしいと、他の人に見せることはなかなかしない。
ドロップフォルダーなどの便利なソフトを、原稿チェックにうまく使えばよいが、それでもここをこう直したらという吹き出しコメントのような付随機能がないと、紙と赤鉛筆のようにはいかない。

質問の仕方も同じで、つい急いでパタパタと入力し、チョンとエンターキーを押してしまうから、文体がきつくなり、苦情や異論と読み取られやすい。

共通して言えることは、パソコンは原稿が出来上がってから、送られて相手が受け取るまでの時間がごく短いので、それにつられてか、発信するのに、早く出さなければという強迫観念のようなものにとらわれるのではないかと思う。
送受信に時間短縮できる分、発信までに温めて置く時間を作ればよいのだが、それをなかなかしない。刺身と違うのだから、おろしてすぐにさあさあと食べさせなくてもよいのだが。


文書の問題だけでなく、指示系統の動きにも、拙速の乱れが電子情報時代の欠点として表れる。
一昨日だったか、Yahooの知恵袋にこんな記事が続いて出ていた。

「東京の水の放射性ヨウ素の乳幼児基準 オーバーについては、見つかった上水場の水が基準内となったとのことです。それにより、利用規制を解除した・・・」

「川口市の水が急に乳児も飲んで良いとなっちゃいました。」

それ危ない、もう大丈夫、半日も経たないうちに水道の水の質が変わるわけがないのに、あたふたと情報だけが転げ回る。

ヒト・モノ・カネの次は情報などと、あまり気分の良くないたとえを、テレビ・トークで得意げに持ち出す人もいるが、四つめの情報は、何かと拙速に走る材料になりそうで、きわもの商売には向いていても、広域の社会を動かす公務にはどうも危なそうである。


悪徒

2011年03月26日 | 忘れかけていたこと

何ごとによらず、まず act 、行動は大事だが、なかには悪徒もいるので気を付けよう。

超満員電車で女の子たちが「地震が起きてから嫌な人に会ったことがない。皆、いい人しかいなかった」と話し合っているのを聞いたと報じている記事があった。
   (2011/03/20 海上 知明=国士舘大学)

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20110317/358455/?r1

いい話なのだが、騒ぎのあと、だんだん落ち着いてくるとどうしても気が緩む。インターネットやメールで、知らないところ、知らない人とのかかわりを持つには十分な用心が必要だ。


不審なメール、知らないWebサイト、寄付の誘い、おすすめ情報、悪徒の手はさまざま。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20110323/358614/?ST=erm

日経BPのこのサイトは、主要記事をさらっと見るだけなら大丈夫、ただし深読みはタダではないからそのおつもりで。


手書き

2011年03月25日 | 忘れかけていたこと

色紙に書くことを求められる職に就く人は、デジタル時代でも筆書きのお稽古をしておいたほうがよさそうである。
筆書きはもちろん毛筆が本流だが、毛筆が用意されず、細書き用のサインペンで「何か書いてください」と、もの知らずのお願いに行き合うと、これがまた厄介なことになる。

毛筆の場合には、筆勢も手伝って悪筆に味が出ることもあるからまだよいが、細めあるいは先の四角なサインペンでは、字の形が整っていないと見られたものではなくなってしまう。

「アナログスタイルのイラスト」という広告文句が目についた。
「drawing素材集」(アレフ・ゼロ著)という本である。
これには、手書き様、鉛筆のかすれ、インクのにじみや溜まりも、そのように表現されたイラストが載っているという。
手元感覚の怪しくなった人間にはうれしい贈り物である。

そのうちに電子色紙などというものができるかもしれない。
ペン入力のタブレットに書くと、下手な字でも何とか見られるように修正されて色紙になって出てくるという仕掛けである。

しかし、技術の見かけ上の進歩は人間の能力を劣化させるから、こういうことを続けていると、21世紀以降は表現能力退化の時代として歴史に残ることになる。安心も感心も気の緩みのもとになるのだ。


読取り

2011年03月24日 | 忘れかけていたこと

避難所の壁に貼られた行方探しのメモの写真を、手際よくテキストデータにして、名簿を作ってしまった人がいる。


「本格読取」というソフトがあって、その手のものを使うとOCRが手軽にできてしまうのだ。
そんなことを今ごろ知ったのかと言われそうなこの時代に、行政の中央にいる人が気づかないわけがない。
民主主義とは、肝心なことにさっさと気を回してトップダウンの行動に出ることはしないものらしい。
トップダウンというのは意思が伝わる方向のことであるのに、最頂点からの指令がそれだということに、都合よく思い込んでいるのかもしれない。


情報

2011年03月23日 | 忘れかけていたこと

むかし、ラジオだったかテレビだったか忘れてしまったが、「見たり聞いたり試したり」という放送番組があった。
情報は見てわかる、聞いてわかる、読んでわかる、そのとおりやってみてわかるものだ。
くどくど「わかる」と書いたのは、わからないのは情報ではないからである。
わかることには、もちろん理解すること以外に感じ取ることなども含まれるが、保存し貯めておくだけのものは情報ではなく、贔屓目に見てもデータと呼ぶぐらいのものである。

災害地で「いま何が欲しいですか」というやや間の抜けた定型質問がある。その返事に「情報」と聞くと、つい情報が腹の足しになるのかと思ってしまう。
答えた人は、いま何がどうなっているのかさっぱり見当がつかないから全貌を知りたいと思ってのことだとは思うのだが。さて知ってどうする、もっと欲しいものがあるだろう。マイナスの生活条件をゼロに近づけるにはいちばん何が欲しいかが被災地、避難場所からの必要な発信情報なのだ。
誰それの行方がわからないから探してほしい。ガソリンが欲しい。薬が欲しい。風呂に入りたい。言われてもその要求をすぐ満たせないことを言わせて慰めになるものでなし、平時の夫婦喧嘩の文句とは違うから、言えば気が済むというものでもない。
データだけ集めても役に立たない。聞いてその通りにしてあげられないことは聞かないほうがよいと思うのだが、どうだろうか。


パソコンでやりとりする情報も、飛び交っている全体量のうち役立っているものがどれぐらいあるのか。たぶんナノレベルの割合ではないかと思う。
いま住んでいるところの放射線のレベルは、いずれ上がっていくことは想像がついても、急上昇は勘弁してもらいたい。だが、情報の活用レベルはどんどん高めてほしいものである。
情報の処理能力には受信側に必要なこともいろいろあるが、活用度に影響のあるのは発信側にかかることが多い。

いまテレビ情報の扱いで、もっとも知恵のなさが目立つのは、ACのCMと義捐金口座の番号と名称だ。
ひとつはウルサイと思い、もう一つはメンドウと思う。
くどすぎればうるさがられ、ややこしければ面倒がられるというごく当たり前のことに全然気を使わずに、ただ決めてそのとおりやっている。小学生並みの頭の使い方しかできなくなっているらしい。
公共の息がかかると、みな急に頭の働きが鈍くなるようである。
原発もそうだがこの方がもっと心配だ。


知/不知

2011年03月22日 | 忘れかけていたこと

ネット上に書き込める会の出欠表がある。
私行きます、行けませんと、電話やメールで連絡しなくても、この表に"1"か"0"かを打ち込めば意思表示ができ、出欠記録にもなる。
まことに便利な表である。

あるときこの表で、どこかにつながるらしい一つのボタンを発見、クリックしてみたら窓が一つあらわれて、真ん中で小さな丸がグルグル回り出した。
しばらく待ったがいつまでも止まらない。
わからないことはやめておこうと右上の×印で中止。


よせばよいのに、何日か後に、またそのボタンをクリックしたら、グルグルが始まってすぐに次の窓が出た。
駅のトイレにときどき立てられる「使えません」の看板と同じようなもの。
やはりだめか。その先に何があるか知らないのだからどうでもいいのだが、なんとなく気になる。
ボタンのわきをよく見ると「リンクを知っている全員」と書いてある。
リンクの意味がわからなければ知りようがない。それを知っている人なら使えるとも読めるが、結局わからない。

知らないことは、やはりわからないのだった。

なぜこういうものが置き去り状態で残るのか。それは、残されたものはすべてだいじに保存しなければならないという気持ちが強すぎるからだろう。

わからないボタンを正常にするには、簡明な方法が一つある。
not available とお断りのくるような使えないものはなくしてしまうことである。


探す:3

2011年03月21日 | 忘れかけていたこと

メモ用の古紙の裏に、十何年か前のメモがあった。
「情報は保存するものではない。保存したとたんに古くなるからで、検索し、捨てていくのが情報のうまい使い方だ」と書いてある。
捨てるのがよいと書かれながら、捨ててもらえずにいて、とうとう捨てられた、矛盾の保存されたノートだった。

情報が検索して捨てるものであれば、検索は、情報の取り扱いの重要部分を占めることになる。
下手に検索すると、運命にかかわるようなガセをつかむことにもなる。

検索にも探索式と散見式がある。
場合にもより、人それぞれで、優劣は方法の選択次第ということになる。
ただ、非常時の検索には、優劣はあっても善悪は困る。選択させようとする悪は最悪である。

人間には思い込みというあまり上等でない脳の働きがある。うっかりユーザーは何度もこれで失敗を重ねてきた。昨日も思い込み以前の単純ミスで、アップロードの場所を間違えた。

ある設備が災害で危機に陥っている。
その設備の存亡は、国の経済、国民生活、とくに周辺住民の生活に大きな影響を及ぼす。
現場では設備が最悪の状態に陥らないよう、関係者が死を覚悟して事に当たっている。
予想外の規模の自然現象で、予想外の事象が起きている。一切合財が想定外だから、国民全体、というよりも世界中の人が不安に陥っている。
問題の設備に関係の深い人ほどその思いは強い。しかし、日本国内にも「富士川以西と北海道は全然無関係」などと、ラジオ放送でうそぶいている大バカ者もいる。

危機に陥っている設備の所有者は、状況の変わるたびにマイナスの評価が積み重なる。
人間には弱いものを悪者に仕立てる悪習があって、企業そのものを白い目で見たがる。
そうなると、何をどうしても気に入らなくなる。そこは悪い会社なのだと思い込むようになる。
そういうときに、その企業に関係した情報の検索にかかると、とにかく悪く見たがる気持が先に立つ。悪く見るだけではなく、ついでに悪さを宣伝したくなる。

設備大災害のおかげで電気まで止められる。
設備企業のホームページには、発表型の情報しか載っていないから、何とかして探り当てようという探査式検索方法でないと、見たいものは見つからない。
作るほうに手がかからないシステムは、使うほうには厄介なものになる。

停電情報は天気予報と違って、自分が住んでいるところ、これから行こうとするところなど、ごく狭い範囲の特定の場所がどうなるのかを知りたいので、町名番地を入れれば停電する日時がわかるようにしておかないと、停電への不満に輪をかけることになるだろう。

優れたネット情報とは、画面のデザインよりも、検索が苦手な人も簡単にわかりやすく答えが得られる、受信者本位のものだと思う。
投げ出しておいて上手に見なさいではだめなのだ、ムズカシー。


探す:2

2011年03月21日 | 忘れかけていたこと

津波の跡地で、流され壊されて溜まり積み重なったもののなかから、衣装箱に入った着物を見つけ出した老婦人がおられた。
住んでいたところからは、何十メートルか離れた場所だという。
永年だいじにしてきたものには、持ち主を引き付ける力がそなわり、持ち主のほうにもそれを見つける無縁の力が働いて、人とものとが再び結ばれる。
苦しい悲しい境遇の中にも、わずかの嬉しさを見いだせることになる。

マンマシンインターフェイスということが、人が扱う機械との関わり方であるなら、マンマテリアルインターフェイスも成り立つのかもしれない。

避難場の壁には行方を探すたくさんのメモが貼り付けられている。
歩いて来てそれを見なくてもわかるようにと、メモを写真にとり、ネットで見られる短縮URLを Google がつくった。


いわき市に住んでいた知人が気がかりで、そういうものができたのなら調べてみようかと開けてはみたが、サムネイルの1コマに何百枚という写真が入っていて、それを全部目で見ていかなければならないので、そこから先には手が出なかった。
それでも、肉親を捜す方々は、行かずにすめばということにはなる。

ウェブだクラウドだと、地球の裏側にさえ瞬時にデータの届く時代なのだから、マンマシンインターフェイスがもう少しうまく働けば、在否の確認だけでも手早くできるのだが。
マシンインターフェイスといっても、この場合はメモに書かれた名前と連絡先を、テキストデータにするだけのことなのだ。

若い元気なパソコンならおまかせという人の、格好のボランティアの場になると思うのだが。
そんなことを思いながら goo.gl/ganbare を検索したら、もう手を付けておられる方がいた。
http://mokablog000.blog129.fc2.com/blog-entry-554.html
俊敏な行動に大いなる感謝と敬意を。


虫食い

2011年03月19日 | 忘れかけていたこと

近頃は殺虫剤が強力になって虫が住みにくくなったが、昔は本にも虫がついた。
本についた虫は紙魚、衣類についた虫は衣魚、両方とも「しみ」と呼ぶ。
虫なのになぜ魚という字を書くのか。それは、身をくねらせて動き回る姿態かららしい。

パソコンに虫がついたという話は聞かないが、筐体を穀物から取ったもので作るようになったらどうだろうか。
固いものでも、食べて毒にならなければ、それを何とかして齧ってやろうとする虫も現れると思うのだが。

賞味期限切れのトウモロコシなど畜産飼料にしていた穀物からも、デンプンを採取して繊維質を結合させれば、難燃性バイオプラスチックができるという。
カシューナッツの殻も、もっている油けが都合よいらしい。

Nucycle と呼ぶ新種の植物性プラスチック、実用技術の完成も間近いそうである。

http://www.nec.co.jp/environment/features/28/index.html

頭も、風通しが悪くなれば虫がつくから、せっせと使ったほうがよさそうである。


探す

2011年03月18日 | 忘れかけていたこと

いま話の引き合いに出すのは不謹慎とお叱りを受けるかもしれないが、大災害で行方がわからなくなった方の探し方に二通りある。
ひとつは、家族や知人のように個人を特定して探す場合と、誰か助けを求めていないかと探す場合である。

パソコンを動かすにはいろいろな設定が必要で、設定にはそれぞれ場合に応じたプログラムを動かさなければならない。
設定用のプログラムは、○○のプロパティとか□□のオプションなどと名前が付けられ、起動指令で呼び出す仕組みになっている。
起動指令にも二通りの出し方があって、一つは所定の窓にコマンドを書き込んでからゴーサインを出す方法、もう一つはアイコンをダブルクリックする方法である。
中にはダブルクリックの嫌いな人もいるので、1クリックのみでゴーサインを出せる設定も、お好みに応じてできるようになっている。


Windows には、コントロールパネルという設定プログラムの総元締めのようなプログラムがある。そのコントロールパネルの表示方法も、二通りのどちらかを選べるようになっている。
一つは、始めに並ぶアイコンの数を限って、入口と道筋をあらかじめ整理してある「カテゴリーの表示」型で、もう一つはあるだけ全部ずらっと並べてさあどうぞという「クラシック表示」型である。
どちらがよいかは場合次第、普段どうして置くかは、どちらの場合が多いかによって決めることになる。好き嫌いや、慣れ不慣れもあるだろう。

選び出すプログラムの名前と置かれている場所を、経験も手伝って覚え込んでいれば、クラシック表示のほうがクリック1発でできるから素早くできる。
あてもなく探し回るにはカテゴリーの表示のほうがやや楽だろうか。

探し方は、「探しあてる」あるいは「選ぶ」という行為をともなうかどうか、目標が定まっているかどうかによっても違ってくるのだった。


操作の基準

2011年03月17日 | 忘れかけていたこと

むかし、パソコンの電源スイッチに、下向きに動かせば「入」というおかしなものがあった。当時は開発途上の特殊分野だったので、そんなこともあるかと思っていた。

むかしのメル友、いまブロ友の記事に、電気の契約アンペアを変えたら、ブレーカーの入切操作方向の違うのがついたという話があった。

新しくついたブレーカーは、レバーを下から上に動かすと「入」になり、前のブレーカーは、レバーを上から下に動かすと「入」になっていたそうである。

これは驚き、スイッチ類の操作方向は、「JIS C 0447:1997 マンマシンインタフェース ― 操作の基準」に準拠して作られ、逆のものなどあるはずはないのだが。

念のため規格を確かめておこうと、JIS のページを開いたら、これまた驚きで、工業標準化法に基づいて決められた日本の国家標準である JIS が、金を払ってダウンロードしないとネット上では閲覧できないようになっているのである。

紙に印刷されたものを見なければならなかった時代ならやむをえなかったものの、法律文もネットで確かめられるようになり、六法全書など無用になったいまの時代に、日本規格協会や図書館にわざわざ出かけていかなければ、ちょっと見るだけもできないとは、ずいぶん遅れた話ではないか。

公的文書の開示は本来税で賄われるものである。太平洋戦争直後に、工業生産復興の必要性から、規格書の配布も有料会員制で行わなければならない時期もあって、この協会が設立されたものと認識している。

規格書の販売収入が協会の台所を支えているのはわかるが、商品生産のためでない知識情報の入手には、それを無償で行わせるぐらいのことをなぜしないのだろうか。

標準規格の普及のために企画書を印刷出版し販売するという事業が、販売収入を得ることを協会存続の前提条件に据えてしまったという、妙なところでの逆転発想が、こういう珍奇な状況から抜け出せない要因になっているのかもしれない。

逆転といえば、ブロ友さんの旧ブレーカで、縦の操作方向が通常と反対だったのは、上下逆転して取り付けられていた以外に理由が考え付かないのである。