火事を仕掛ける人にほとんど利得がないのと同じように、ウイルスをばらまく人にもほとんど利得はありません。
得られるのは、みずからの悪癖のタネになる隠微な快感だけでしょう。
いたずら心は、利害を考えずに働くようです。
何かに動かされる純粋さ、それは善悪にかかわらず世の困惑のタネになります。
困惑のもとが増えれば、それを防ぐ仕事も増えます。
しかし、ウイルス産業と呼びたいほどに繁盛はしても、その業界をそういう名では呼びません。
火事産業という名がないのと同じでしょう。
火事は自分で防げと言われます。ウイルスも自分で防ぐものです。
言ってみれば「自主的必需」のもの、それに関係する仕事は産業とは呼ばないようです。
ウイルス対策は、今では、していて当たり前のようになっています。
使っていることに、ユーザー自身が気づいていないことさえあります。
おまかせセットアップで使い始めたユーザーには、防御している自覚が生まれにくいのです。
知らないうちに守られている、気にしなくても守ってくれる、それは幸せなのでしょうか。