「広告の嫌い方」という奇妙な言葉が頭に浮かびました。
この嫌い方というのは、嫌う方法ではなく、嫌う人は何を嫌っているのだろうかということです。
▼広告を見ておきながら広告を嫌う。
▼ゴチャゴチャ混ざっている広告の中から自分で探りだすのは好きだが、目の前に選んで出されるのを嫌う。
▼昨日見た広告が、翌日すぐに目の前に出てくるのを嫌う。
広告関係者にしてみれば、広告を嫌う方法よりも、何が嫌われるかを知ったほうが身のためになります。
広告関係者でもないのに、何が嫌われるかを考えているのは、知らぬ間に自分から応援団に引き入れられているような、おかしな気分になります。
ネットの広告を見た人が、ある広告を何度見たか、その物を買ったか、もっと欲しがっていそうか、そんなデータを使って特定の個人と特定の商品を結びつけ、さあ買え、もっと買えと追いかけるのが、行動ターゲティング広告の配信システムです。
広告を見た人は、あなたはこれを見たという証拠のようなものを見せつけられると、何か秘密を探られたような錯覚に陥るものなのでしょうか。
行動ターゲティング広告は、ターゲットになった個人に配信されるので、他人とは内容が異なることに気づきにくいようです。
私生活上の事柄をみだりに公開されれば、プライバシーを侵されたことになりますが、自分しか見ないパソコンの画面に、前に見た広告が現れたのを、なぜプライバシー侵害と感じてしまうのでしょうか。
配信を嫌う人の多いのに目をつけて、止めるお手伝いをして上げますという、親切を気取ったサイトが現れたと聞きました。
リンクにはすぐには手を出さない、車道横断に右左を見るのと同様の、一歩停止の習慣がついていますので、そこでリンク先を確かめたら、これがなんと、データ集配の会社なのです。
禁煙クラブの会員登録をしてみたら、禁煙パイプの購入を勧められ、それを作っているのがタバコ会社だったというような話です。
配信を止めさせても、データが集められたところから消えるわけではありません。
広告を見るという行為の結果を、こうでしたねと言われるのが嫌だから、何とかしてくださいとどこかに頼んでみたところで、あの人はこういうことを嫌がっているという、個人の性癖に一層立ち入ったデータがどこかに集積されていくのです。
配信しないでほしいという要求こそがプライバシーであるのに、プライバシーを守るつもりでプライバシーを提供することになり、それが別のところでばらまかれるという結果になりかねません。
ではどうしたらよいのでしょうか。
最上の方法は、手のひら印のあらわれたところで、用もないのにマウスの左ボタンを押さないこと思っているのですが、いかがでしょうか。
疑ったらキリがないと、胸に書かれたTシャツの背中には、信用もホドホドにと印刷されています。
ブラザー上の広告はクッキーなどを小まめに削除するのが無難かも知れません。
「止めてやるから名を名乗れ」
「お断りになって結構です、お名刺を頂戴できれば、こちらで止める手続きをいたします」
そう言った人は、こちらからは見つけられません。