明日12/16(月)夜のテレビ番組をご案内いたします。
番組は、日本紀行「なにわのコイの物語~大阪・旧淀川」です。
NHK-Gで午後7時30分から58分まで放送されます。
内容は私も全く知らないのですが、この番組、高屋敷くん(早実-早大野球部-NHK)がディレクターを務めたというのです。
彼がNHKに就職したのが2010年4月。
最初の赴任先である大阪で四年目を迎えています。
どのくらい大阪の水に馴染んでいるのか、番組から伝わってくるような予感がします。
楽しみです。
番組紹介へのリンク
以前から存在は知っていたものの、観たことのなかった映画をYouTubeで見つけました。
高峰秀子さん主演「秀子の応援団長」です。
1940年(昭和15年)に封切りされた映画なのですが、プロ野球の伝説のスター選手たちが、ユニフォーム姿で登場するのです。
まずは、ご覧ください。
秀子の応援団長
とにかく、凄い顔ぶれなのです。
スタルヒン、水原、中島、吉原、若林、景浦、西沢・・・
今も語り継がれる名選手たちのプレー姿は、何度くり返して見ても飽きることがありません。
しかし、この映画の封切りから1年後、真珠湾攻撃によって日米開戦となり、この映画に登場している吉原、景浦ら何名もの選手が戦死し、水原さんはシベリア抑留という過酷な運命が待っています。
それを思うと、胸が痛みます。
出場選手に関して詳しく説明されているブログに、リンクを貼らせていただきました。
詳しい解説
=======
この映画には、今はなき上井草球場も写っているのだそうです。
現在は早大ラグビー部のグラウンドとなっている場所にかつて存在した球場で、戦後の一時期、六大学野球リーグ戦が行われたことがあったと、早稲田の大先輩から聞いたことがあります。
セネタースのキャッチボール風景、その後のペッパーをしているシーンが上井草球場での撮影とのことです。
========
それにしても、当時16歳であった高峰秀子さんをはじめ、当時の女優さんたちの女学生姿は素敵ですねぇ。
(^_^)
高峰秀子さん主演「秀子の応援団長」です。
1940年(昭和15年)に封切りされた映画なのですが、プロ野球の伝説のスター選手たちが、ユニフォーム姿で登場するのです。
まずは、ご覧ください。
秀子の応援団長
とにかく、凄い顔ぶれなのです。
スタルヒン、水原、中島、吉原、若林、景浦、西沢・・・
今も語り継がれる名選手たちのプレー姿は、何度くり返して見ても飽きることがありません。
しかし、この映画の封切りから1年後、真珠湾攻撃によって日米開戦となり、この映画に登場している吉原、景浦ら何名もの選手が戦死し、水原さんはシベリア抑留という過酷な運命が待っています。
それを思うと、胸が痛みます。
出場選手に関して詳しく説明されているブログに、リンクを貼らせていただきました。
詳しい解説
=======
この映画には、今はなき上井草球場も写っているのだそうです。
現在は早大ラグビー部のグラウンドとなっている場所にかつて存在した球場で、戦後の一時期、六大学野球リーグ戦が行われたことがあったと、早稲田の大先輩から聞いたことがあります。
セネタースのキャッチボール風景、その後のペッパーをしているシーンが上井草球場での撮影とのことです。
========
それにしても、当時16歳であった高峰秀子さんをはじめ、当時の女優さんたちの女学生姿は素敵ですねぇ。
(^_^)
昨夜は、職場の歓迎会。
ちょっと飲み過ぎてしまい、お昼を回る頃までベッドを抜けることができませんでした。
とはいうものの、夕方から東伏見に向かいます。
(^^)/▽☆▽\(^^)
----------
日経新聞に定期的に掲載される、豊田泰光さんのコラム記事が私は大好きです。
豊田さんの文章は、野球に対する深い愛情と誇り、そしてアマチュア球児に対して送る温かなエールが、いつも溢れています。
--------
7月19日のコラムも秀逸でした。
ご自身が甲子園で選手宣誓をした思い出から始まります。
「いざ、入場行進となったら、頭が真っ白になり、オシッコをちびりそうになった」
「緊張の極みにありながらも、(校長先生の指示で、近くの浜辺で行なった)練習のおかげで、口が動いた」
「日本シリーズなどで打ったから、私は緊張とかあがり症に無縁だと思われている。しかし、内心はいつもドキドキものだった」
「それが良かったのかも知れない。ベストのパフォーマンスは、たぶんガチガチに硬くなった、その先にある」
「逃げ出したくなるようなプレッシャーと正面から向き合った時に出るものこそ、人間の底力ではないか」
「張り詰めた空気に身を置く場面も歳をとると少なくなるもので、若いうちに経験しておくに限る」
「夏に挑む選手たちよ、ガチガチでいいんだからね」
このコラムを読んだ私は、朝の横須賀線の車中でジーンとしてしまいました。
外苑茶房も、かくあるべし。
そのように思うものの、豊田さんは、雲の上の存在です。
-------
東伏見に向かう前、この時期にしては涼しい午後のひとときを、DVDを観て過ごしました。
ロバート・レッドフォード主演の「The Natural」です。
農園で育った天才球児が、シカゴ・カブスの入団テストを受けるために、幼なじみの恋人を残して、生まれて初めて汽車に乗ってシカゴに向かう。
落雷で割れた庭の木を削った、手製のバットを携えて。
しかし、そこで事件に巻き込まれて、プロ入りのチャンスを逃す。
それから16年後、紆余曲折を経て、ようやくメジャーリーガーとなり大活躍。
そして、最後に恋人とも再会を果たすのです。
ユニフォーム、グラブ、ベースマット、撮影機材などがクラシックで、実に味わいがありました。
そして、何よりも、ロバート・レッドフォードが格好良いです。
バット・スィングも、なかなかの迫力でした。
--------
野球を題材にした映画で私が好きな作品といえば、
古いところでは、ジーン・ケリーとフランク・シナトラが主演の「私を野球に連れていって」
Take me out to the ball game
最近の作品では、やはり、ケビン・コスナーの「フィールド・オブ・ドリームス」でしょうか。
Field of dreams
なお、この映画の撮影現場が、シカゴ郊外にあります。
フィールド・オブ・ドリームスのムービー・サイト
このウェブサイトで、360度のパノラマ映像を見ることができます。
飛行機マークを目印にして、美しい景色を御覧になってください。
---------
こんな話題を続けて書いていると、メジャーリーグの試合を無性に観たくなってきます。
それでは、今日の最後は、私の愛するグローバーの活躍ぶりをご紹介いたします。
セサミ・ストリート
ちょっと飲み過ぎてしまい、お昼を回る頃までベッドを抜けることができませんでした。
とはいうものの、夕方から東伏見に向かいます。
(^^)/▽☆▽\(^^)
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日経新聞に定期的に掲載される、豊田泰光さんのコラム記事が私は大好きです。
豊田さんの文章は、野球に対する深い愛情と誇り、そしてアマチュア球児に対して送る温かなエールが、いつも溢れています。
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7月19日のコラムも秀逸でした。
ご自身が甲子園で選手宣誓をした思い出から始まります。
「いざ、入場行進となったら、頭が真っ白になり、オシッコをちびりそうになった」
「緊張の極みにありながらも、(校長先生の指示で、近くの浜辺で行なった)練習のおかげで、口が動いた」
「日本シリーズなどで打ったから、私は緊張とかあがり症に無縁だと思われている。しかし、内心はいつもドキドキものだった」
「それが良かったのかも知れない。ベストのパフォーマンスは、たぶんガチガチに硬くなった、その先にある」
「逃げ出したくなるようなプレッシャーと正面から向き合った時に出るものこそ、人間の底力ではないか」
「張り詰めた空気に身を置く場面も歳をとると少なくなるもので、若いうちに経験しておくに限る」
「夏に挑む選手たちよ、ガチガチでいいんだからね」
このコラムを読んだ私は、朝の横須賀線の車中でジーンとしてしまいました。
外苑茶房も、かくあるべし。
そのように思うものの、豊田さんは、雲の上の存在です。
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東伏見に向かう前、この時期にしては涼しい午後のひとときを、DVDを観て過ごしました。
ロバート・レッドフォード主演の「The Natural」です。
農園で育った天才球児が、シカゴ・カブスの入団テストを受けるために、幼なじみの恋人を残して、生まれて初めて汽車に乗ってシカゴに向かう。
落雷で割れた庭の木を削った、手製のバットを携えて。
しかし、そこで事件に巻き込まれて、プロ入りのチャンスを逃す。
それから16年後、紆余曲折を経て、ようやくメジャーリーガーとなり大活躍。
そして、最後に恋人とも再会を果たすのです。
ユニフォーム、グラブ、ベースマット、撮影機材などがクラシックで、実に味わいがありました。
そして、何よりも、ロバート・レッドフォードが格好良いです。
バット・スィングも、なかなかの迫力でした。
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野球を題材にした映画で私が好きな作品といえば、
古いところでは、ジーン・ケリーとフランク・シナトラが主演の「私を野球に連れていって」
Take me out to the ball game
最近の作品では、やはり、ケビン・コスナーの「フィールド・オブ・ドリームス」でしょうか。
Field of dreams
なお、この映画の撮影現場が、シカゴ郊外にあります。
フィールド・オブ・ドリームスのムービー・サイト
このウェブサイトで、360度のパノラマ映像を見ることができます。
飛行機マークを目印にして、美しい景色を御覧になってください。
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こんな話題を続けて書いていると、メジャーリーグの試合を無性に観たくなってきます。
それでは、今日の最後は、私の愛するグローバーの活躍ぶりをご紹介いたします。
セサミ・ストリート
私が幼稚園から小学生に進む時期は、ラジオからテレビへ、マンガも「少年画報」「冒険王」などの月刊誌から「少年サンデー」「少年マガジン」などの週刊誌へと、主役が移行していく時代でした。
それらのメディアを通じて、様々なブームが起きて、子供たちは熱狂しました。
例えば、「忍者」「探偵」「仮面」「ゼロ戦」というような単語をキーワードに、数多くのテレビ番組やマンガ作品が登場してきて、子供たちは夢中になったわけです。
-------
「怪獣」も、欠かすことのできないキーワードの一つでした。
怪獣の身長、体重、得意技、弱点などのデータを番組や雑誌から捜し出して、学校で友達に自慢しあうという、お決まりのパターンで私も大いに楽しみました。
そんな私にとって実に悔しい存在であったのが「怪獣マリンコング」です。
怪獣マリンコングの映像
1960年(昭和35年。伝説の早慶六連戦があった年)に放送されました。
怪獣モノとしては、恐らく日本最初のテレビ番組です。
しかし、私は1956年から1963年の春まで、当時は民放テレビが一つしかなかった富山県滑川市で過ごしたため、マリンコングは放送されておらず、その存在を全く知りませんでした。
東京に戻った後、「なーんだ、ayはマリンコングを知らないのか」と都内で生まれ育った仲間から言われた時、悔しいの何の…
後に、再放送で何度か見ましたが、時すでに遅しでありました。
(T_T)
----------
怪獣は、底知れぬパワーを持ち、ひとたび暴れ出すと、とても人間の力では制御できません。
現代社会においては、さしずめ原子力発電所が怪獣のような存在といって良いのかも知れません。
原発のリスクについては、技術的、経済的な問題に加えて、イデオロギー的要素を背景にした意見や感情的な声もあったりするので、なかなか判断が難しいです。
原発プロジェクトの融資審査を担当した経験が、私にはありません。
今日は、あくまでも一般的なリスク・マネジメントの基本を、新聞等の原発情報に当てはめて、自分の頭の中を整理してみました。
もちろん、お酒を飲みながらなので、それなりです……
(;^_^A
----------
リスク・マネジメントでは、次の4つの手法が基本とされています。
低減(mitigation):担当者の教育、技術改良などを通じて、受容可能なレベルまでリスクを削減する
移転(transfer):保険やリースを利用して、リスクを第三者に移転する
回避(avoidance):リスクの低減や移転を断念して、当該事業から撤退する
受容(acceptance):リスク評価の結果を受けて、ビジネス上のやむを得ないリスクとして、現状のリスクをそのまま受け容れる。
-----------
日本の原発事業を、上記の基本に当てはめてみると、
低減: 予備電源が海抜数メートルにあったり、高熱多湿の環境でも作業する無人ロボットなどの開発を怠ったり、今になって敷地の下に活断層の存在可能性が次々に出てきたりしているようでは、リスク低減に最善を尽くしてきたとは誰も思わないでしょう。
例えば、経産省や保安院の職員の子女が電力各社に就職したりする「原発ムラ」の馴れ合いの中では、牽制機能も働きません。
移転: 民間の保険会社で、原発事業に対する保険を引き受けるところは皆無です。
原発の所有者責任を背負うことのできる民間リース会社もありません。
一歩下がって冷静に考えてみると、保険もリースも利用できないほど高リスクの事業は、そもそも民間企業に馴染まないというべきでしょう。
回避: 他の3つのリスク管理手法が実際には機能しないだろうと考えるならば、「リスク回避」、すなわち原発事業から撤退すべきだという意見も合理的だといえます。
受容: 現在の東電の窮状と、被災地住民の苦境をみる限り、リスクをそのまま受けとめることができる電力会社はいないでしょう。
しかし、電力各社は、有効なリスク管理手法を見出だせないまま、最善を尽くしたとの外観を取り繕いつつも、しかしてその実態は、とてつもない規模のリスクを止むなく受容してしまっているというのが現実だと思います。
-----------
以上のように整理してくると、原発事業を民間企業に委ねるならば、次の方法しかないように私には思えてきます。
国が保険機能を提供する、
あるいは
国が原発施設を保有して所有者責任を背負う一方、電力各社に日常の施設運営を委託する
国策として、当面は原発から撤退できないとするならは、民間企業では受容できないリスクを国が引き受けるしかないということです。
リスク管理に失敗した東電を擁護する気持ちは更々ありません。
しかし、政府も腹を決めて、電力各社からリスクを引き取らないと、今後の展望が開けないと思うのです。
それらのメディアを通じて、様々なブームが起きて、子供たちは熱狂しました。
例えば、「忍者」「探偵」「仮面」「ゼロ戦」というような単語をキーワードに、数多くのテレビ番組やマンガ作品が登場してきて、子供たちは夢中になったわけです。
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「怪獣」も、欠かすことのできないキーワードの一つでした。
怪獣の身長、体重、得意技、弱点などのデータを番組や雑誌から捜し出して、学校で友達に自慢しあうという、お決まりのパターンで私も大いに楽しみました。
そんな私にとって実に悔しい存在であったのが「怪獣マリンコング」です。
怪獣マリンコングの映像
1960年(昭和35年。伝説の早慶六連戦があった年)に放送されました。
怪獣モノとしては、恐らく日本最初のテレビ番組です。
しかし、私は1956年から1963年の春まで、当時は民放テレビが一つしかなかった富山県滑川市で過ごしたため、マリンコングは放送されておらず、その存在を全く知りませんでした。
東京に戻った後、「なーんだ、ayはマリンコングを知らないのか」と都内で生まれ育った仲間から言われた時、悔しいの何の…
後に、再放送で何度か見ましたが、時すでに遅しでありました。
(T_T)
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怪獣は、底知れぬパワーを持ち、ひとたび暴れ出すと、とても人間の力では制御できません。
現代社会においては、さしずめ原子力発電所が怪獣のような存在といって良いのかも知れません。
原発のリスクについては、技術的、経済的な問題に加えて、イデオロギー的要素を背景にした意見や感情的な声もあったりするので、なかなか判断が難しいです。
原発プロジェクトの融資審査を担当した経験が、私にはありません。
今日は、あくまでも一般的なリスク・マネジメントの基本を、新聞等の原発情報に当てはめて、自分の頭の中を整理してみました。
もちろん、お酒を飲みながらなので、それなりです……
(;^_^A
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リスク・マネジメントでは、次の4つの手法が基本とされています。
低減(mitigation):担当者の教育、技術改良などを通じて、受容可能なレベルまでリスクを削減する
移転(transfer):保険やリースを利用して、リスクを第三者に移転する
回避(avoidance):リスクの低減や移転を断念して、当該事業から撤退する
受容(acceptance):リスク評価の結果を受けて、ビジネス上のやむを得ないリスクとして、現状のリスクをそのまま受け容れる。
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日本の原発事業を、上記の基本に当てはめてみると、
低減: 予備電源が海抜数メートルにあったり、高熱多湿の環境でも作業する無人ロボットなどの開発を怠ったり、今になって敷地の下に活断層の存在可能性が次々に出てきたりしているようでは、リスク低減に最善を尽くしてきたとは誰も思わないでしょう。
例えば、経産省や保安院の職員の子女が電力各社に就職したりする「原発ムラ」の馴れ合いの中では、牽制機能も働きません。
移転: 民間の保険会社で、原発事業に対する保険を引き受けるところは皆無です。
原発の所有者責任を背負うことのできる民間リース会社もありません。
一歩下がって冷静に考えてみると、保険もリースも利用できないほど高リスクの事業は、そもそも民間企業に馴染まないというべきでしょう。
回避: 他の3つのリスク管理手法が実際には機能しないだろうと考えるならば、「リスク回避」、すなわち原発事業から撤退すべきだという意見も合理的だといえます。
受容: 現在の東電の窮状と、被災地住民の苦境をみる限り、リスクをそのまま受けとめることができる電力会社はいないでしょう。
しかし、電力各社は、有効なリスク管理手法を見出だせないまま、最善を尽くしたとの外観を取り繕いつつも、しかしてその実態は、とてつもない規模のリスクを止むなく受容してしまっているというのが現実だと思います。
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以上のように整理してくると、原発事業を民間企業に委ねるならば、次の方法しかないように私には思えてきます。
国が保険機能を提供する、
あるいは
国が原発施設を保有して所有者責任を背負う一方、電力各社に日常の施設運営を委託する
国策として、当面は原発から撤退できないとするならは、民間企業では受容できないリスクを国が引き受けるしかないということです。
リスク管理に失敗した東電を擁護する気持ちは更々ありません。
しかし、政府も腹を決めて、電力各社からリスクを引き取らないと、今後の展望が開けないと思うのです。
私たちの世代では、『月光』と聞くと、ジャズならば「ムーライト・セレナーデ」(グレン・ミラー)、ヒーロー物ならば「月光仮面」や「忍者部隊・月光」を思い出します。
--------
しかし今夜は、フェイスブックの友人から、アニメ「美少女戦士セーラームーン」が復活するというニュースをもらい、ちょっと嬉しくなってしまいました。
今は既に社会人となった娘が小さかった頃、一緒にテレビで観ていた番組だったからです。
放送されていたのは、もう二十年近く昔のこと。
私の年齢も30台半ばであったわけです。
(^^)v
忍たま乱太郎、アンパンマンなどと共に、いくつかのストーリーを今も憶えています。
そして、セーラームーンのステッキをオモチャ屋さんで買ってあげたことも思い出しました。
-------
個人的には、セーラームーンのエンディング曲「乙女のポリシー」が気に入っていました。
ちょっと抑制の効いたリズムがYMOっぽい気もします。
セーラームーン『乙女のポリシー』
---------
ところで、セーラームーンの画像を探していたら、ひょんなことから日本海軍の夜間戦闘機『月光』のラジコンの映像にたどり着きました。
こんな大きなラジコンの飛行機があるなんて、私は知りませんでした!!
(◎-◎;)
作るのも、運ぶのも、そして操縦するのも、生半可な知識と気持ちではできないことだと、すぐに判りました。
大空を翔ぶ『月光』のリアルな爆音にしびれるのと同時に、無事に着陸するのかどうか、最後までハラハラドキドキでした
夜間戦闘機『月光』
--------
しかし今夜は、フェイスブックの友人から、アニメ「美少女戦士セーラームーン」が復活するというニュースをもらい、ちょっと嬉しくなってしまいました。
今は既に社会人となった娘が小さかった頃、一緒にテレビで観ていた番組だったからです。
放送されていたのは、もう二十年近く昔のこと。
私の年齢も30台半ばであったわけです。
(^^)v
忍たま乱太郎、アンパンマンなどと共に、いくつかのストーリーを今も憶えています。
そして、セーラームーンのステッキをオモチャ屋さんで買ってあげたことも思い出しました。
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個人的には、セーラームーンのエンディング曲「乙女のポリシー」が気に入っていました。
ちょっと抑制の効いたリズムがYMOっぽい気もします。
セーラームーン『乙女のポリシー』
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ところで、セーラームーンの画像を探していたら、ひょんなことから日本海軍の夜間戦闘機『月光』のラジコンの映像にたどり着きました。
こんな大きなラジコンの飛行機があるなんて、私は知りませんでした!!
(◎-◎;)
作るのも、運ぶのも、そして操縦するのも、生半可な知識と気持ちではできないことだと、すぐに判りました。
大空を翔ぶ『月光』のリアルな爆音にしびれるのと同時に、無事に着陸するのかどうか、最後までハラハラドキドキでした
夜間戦闘機『月光』
ブロードウェイのミュージカル「Godspell」を観ました。
ミュージカルのステージと客席の位置関係は、私が過去に観た作品では全て大隈講堂と同じ。
しかし、今回は大相撲の土俵のように、円形の舞台が中央にあり、周囲を観客が囲むというユニークなものでした。
この舞台には、様々な仕掛けがあります。
例えば、水槽や複数のトランポリンが隠れていまして、重要な役割を果たします。
また、ピアノ、ギター、ベース、ドラムスも、四方に分かれて配置されており、新鮮でした。
音楽は、ロック、ブルース、ラップの組み合わせ。
-------
出演者を事前に調べたところ、若手ばかりで、ブロードウェイに初登場という人も多かったので、実は少し心配していました。
しかし、さすがはブロードウェイ。
歌、踊り、演技、全ての面で、プロフェッショナルの技量を有する俳優さんばかりで感服しました。
ステッキと帽子を使う、伝統的なブロードウェイの踊りも、さらりとこなします。
「ライオンキング」「オペラ座の怪人」「シカゴ」などの日本での有名どころ以外にも、さすがと感心する作品がブロードウェイには沢山あります。
ミュージカルのステージと客席の位置関係は、私が過去に観た作品では全て大隈講堂と同じ。
しかし、今回は大相撲の土俵のように、円形の舞台が中央にあり、周囲を観客が囲むというユニークなものでした。
この舞台には、様々な仕掛けがあります。
例えば、水槽や複数のトランポリンが隠れていまして、重要な役割を果たします。
また、ピアノ、ギター、ベース、ドラムスも、四方に分かれて配置されており、新鮮でした。
音楽は、ロック、ブルース、ラップの組み合わせ。
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出演者を事前に調べたところ、若手ばかりで、ブロードウェイに初登場という人も多かったので、実は少し心配していました。
しかし、さすがはブロードウェイ。
歌、踊り、演技、全ての面で、プロフェッショナルの技量を有する俳優さんばかりで感服しました。
ステッキと帽子を使う、伝統的なブロードウェイの踊りも、さらりとこなします。
「ライオンキング」「オペラ座の怪人」「シカゴ」などの日本での有名どころ以外にも、さすがと感心する作品がブロードウェイには沢山あります。
昨日の日曜日、東伏見のネット裏には西武ライオンズのスカウトの姿がありました。
スカウトの視線の先にある選手は、果たして誰なのか。
そして、その選手がスカウト陣の期待どおりの活躍をみせて、晴れて次のステージに翔ぶことができるのか。
寒風吹きすさぶ東伏見ですが、熱い挑戦が進行しています。
-------
さて、西武ライオンズのマスコット・キャラクターといえば、ジャングル大帝。
手塚治虫さんの代表作として、一般的には「鉄腕アトム」が挙げられるのですが、個人的には「ジャングル大帝」が最も好きな作品です。
手塚治虫さんは、1950年(昭和25年)、今から60年以上も前に、ジャングル大帝をマンガ雑誌で発表されています。
私の生まれる前のことです。
そして、1965年(昭和40年)、私が小学四年生の時に、ジャングル大帝がテレビで放送されることになりました。
テレビっ子、マンガっ子の私でしたから、早くから番組のことを聞きつけて、放送開始の当日はテレビの前に正座して、番組の開始を待っていました。
そして、その私の目に飛び込んできたのは、それまでのテレビ漫画とは比較にならない、壮大なスケール感のある映像でした。
その映像をYouTubeで見つけました。
携帯用リンク
パソコン用リンク
満10歳であった私は、本当に驚き、そして感動しました。
このオープニングを眺めていると、テレビ画面の向こう側にアフリカ大陸の大自然が広がっているように感じたのです。
また、私が圧倒されてしまったのは、富田勲さんの作曲、日本の声楽界を代表するバリトン・平野忠彦さんの歌うテーマソングの素晴らしさもあると思います。
この雄大なオープニングとテーマソングは、テレビ漫画という枠を飛び越えて、「これは映画の世界だ」と子供心に思ったものです。
--------
「ジャングル大帝」は、その後も何度かリメイクされてテレビ放送され、オープニングと主題歌も子供向けに変更されました。
小さな子供たちには親しみやすくなったのでしょうが、オリジナル版に漂う崇高な気品と圧倒的なスケール感は失われてしまい、それが私は残念でした。
-------
そんなジャングル大帝をチームのマスコットとする西武ライオンズには、松下くんと大石くんの2人の早稲田OBが所属しています。
しかし、共に結果を出せずに苦しんでいます。
ぜひ、ジャングル大帝レオのように力強く前に突き進み、かつての輝きを取り戻して欲しいと思います。
ガンバレ、松下くん!
待っているぞ、大石くん!
スカウトの視線の先にある選手は、果たして誰なのか。
そして、その選手がスカウト陣の期待どおりの活躍をみせて、晴れて次のステージに翔ぶことができるのか。
寒風吹きすさぶ東伏見ですが、熱い挑戦が進行しています。
-------
さて、西武ライオンズのマスコット・キャラクターといえば、ジャングル大帝。
手塚治虫さんの代表作として、一般的には「鉄腕アトム」が挙げられるのですが、個人的には「ジャングル大帝」が最も好きな作品です。
手塚治虫さんは、1950年(昭和25年)、今から60年以上も前に、ジャングル大帝をマンガ雑誌で発表されています。
私の生まれる前のことです。
そして、1965年(昭和40年)、私が小学四年生の時に、ジャングル大帝がテレビで放送されることになりました。
テレビっ子、マンガっ子の私でしたから、早くから番組のことを聞きつけて、放送開始の当日はテレビの前に正座して、番組の開始を待っていました。
そして、その私の目に飛び込んできたのは、それまでのテレビ漫画とは比較にならない、壮大なスケール感のある映像でした。
その映像をYouTubeで見つけました。
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満10歳であった私は、本当に驚き、そして感動しました。
このオープニングを眺めていると、テレビ画面の向こう側にアフリカ大陸の大自然が広がっているように感じたのです。
また、私が圧倒されてしまったのは、富田勲さんの作曲、日本の声楽界を代表するバリトン・平野忠彦さんの歌うテーマソングの素晴らしさもあると思います。
この雄大なオープニングとテーマソングは、テレビ漫画という枠を飛び越えて、「これは映画の世界だ」と子供心に思ったものです。
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「ジャングル大帝」は、その後も何度かリメイクされてテレビ放送され、オープニングと主題歌も子供向けに変更されました。
小さな子供たちには親しみやすくなったのでしょうが、オリジナル版に漂う崇高な気品と圧倒的なスケール感は失われてしまい、それが私は残念でした。
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そんなジャングル大帝をチームのマスコットとする西武ライオンズには、松下くんと大石くんの2人の早稲田OBが所属しています。
しかし、共に結果を出せずに苦しんでいます。
ぜひ、ジャングル大帝レオのように力強く前に突き進み、かつての輝きを取り戻して欲しいと思います。
ガンバレ、松下くん!
待っているぞ、大石くん!
由紀さおりさんが米国のバンドと組んで作ったCDが大好評だそうです。
「1969」というタイトルで、「ブルーライト・ヨコハマ」など、1969年(昭和44年)のヒット曲を収録しています。
-------------
由紀さおりさんは、長い間にわたって活躍されている実力派シンガーです。
歌謡曲に全く疎い私が由紀さんの名前に反応する示す理由は、赤塚不二夫さんの描いたキャラクター「ココロのボス」のお嫁さん候補が由紀さんだったからです。
赤塚不二夫さんの傑作「もーれつア太郎」には、ニャロメ、ケムンパス、ベシ、ブタ松の親分など、数々の愉快なキャラクターが登場するのですが、私が大ファンだったのは、ココロのボス。
タヌキのくせに背広を着て、ギャングのボスとして2人の子分がいます。
言葉の語尾にココロをつけるのが特徴で、例えば「今日は、ニャロメに仕返しに行くのココロ」といった具合。
「クーダラナイ、クーダラナイ」「アー、ポックン、ポックン」というのも定番のセリフでした。
そのココロのボスが、あるとき街で綺麗な花嫁さんを目撃し、「ボクもお嫁さんが欲しいのココロ」と婚活を開始。
そこに、一枚のお見合い写真が届き、その写真に写っていたのが、どういうわけか由紀さおりさんだったのです。
(*^_^*)
ココロのボスは「ボクのお嫁さん」「ボクのお嫁さん」と街中に自慢してまわって歓喜の絶頂に至るも、ほどなくお見合い写真は誤りだったと判明して、一転して失意のドン底に…
(T_T)
(以上、おぼろげに記憶する、ちょっぴり悲しいストーリーの結末です)
---------
トボケた味の、そして愛すべきキャラクターのココロのボスを題材にして、深夜放送の人気パーソナリティーだった亀渕昭信さん(早大OB。ニッポン放送の元・社長)が、1970年に発表したシングル盤が「ココロのシャンソン」です。
赤塚不二夫さんが作詞し、加藤和彦さんが作曲するという強力な顔ぶれで生まれた、この曲。
最近、耳にすることは全くありませんが、良い意味で力の抜けた、私の好きな曲です。
※由紀さおりさんの「1969」には、残念ながら収録されていません。
携帯用リンク
パソコン用リンク
歌:カメカメ合唱団(亀渕昭信さんの多重録音)
作詞:赤塚不二夫
作曲:加藤和彦
編曲:クニ河内
1.街のはずれの
草むらに一本
ボクのココロの花が咲いていたのココロ
誰も知らないふりむかない
ボクだけの秘密の花のココロ
花びらを散らして踊ることも知らない
シャンソン・ド・ココロ
シャンソン・ド・ココロ
2.街の広場の
ベンチに一本
キミのココロの花が捨ててあったのココロ
誰も知らないふりむかない
ボクだけの秘密の花のココロ
つぼみ枯らせて咲くことも知らない
シャンソン・ド・ココロ
シャンソン・ド・ココロ
3.誰も知らないふりむかない
ボクだけの秘密の花のココロ
かげろうをゆらせて泣くことも知らない
シャンソン・ド・ココロ
シャンソン・ド・ココロ
----------
私が大学四年生から購読している「東洋経済」今週号は、企業ガバナンスの問題が特集されています。
九州電力に関しては、九電自体のガバナンスにまつわる問題に加えて、枝野経産大臣の「暴君ネロのような発言」(原文のまま)も、看過できない問題として挙げられています。
取締役の信任・不信任は株主に権限があり、進退は大臣が決めることではありません。
枝野さんは、東京電力への融資について、民間銀行に債権放棄を迫り、その法律家らしからぬズレた発言には各界から批判が集まりました。
今回も、相も変わらず法の定めを超えた、勘違い発言が目につきます。
彼の度重なる暴言が、電力各社が過剰に自己防衛に走る一因となっているのではないでしょうか。
弁護士の肩書が泣いています。
また、読売巨人軍の前GMも東洋経済に登場。
オーナーを相手にファン不在の泥仕合を続けていて、その勘違いぶりには、もうウンザリ。
ココロのボスならば、「クーダラナイ、クーダラナイ」と一蹴し、子分を連れて遊びに行ってしまうに違いありません。
「1969」というタイトルで、「ブルーライト・ヨコハマ」など、1969年(昭和44年)のヒット曲を収録しています。
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由紀さおりさんは、長い間にわたって活躍されている実力派シンガーです。
歌謡曲に全く疎い私が由紀さんの名前に反応する示す理由は、赤塚不二夫さんの描いたキャラクター「ココロのボス」のお嫁さん候補が由紀さんだったからです。
赤塚不二夫さんの傑作「もーれつア太郎」には、ニャロメ、ケムンパス、ベシ、ブタ松の親分など、数々の愉快なキャラクターが登場するのですが、私が大ファンだったのは、ココロのボス。
タヌキのくせに背広を着て、ギャングのボスとして2人の子分がいます。
言葉の語尾にココロをつけるのが特徴で、例えば「今日は、ニャロメに仕返しに行くのココロ」といった具合。
「クーダラナイ、クーダラナイ」「アー、ポックン、ポックン」というのも定番のセリフでした。
そのココロのボスが、あるとき街で綺麗な花嫁さんを目撃し、「ボクもお嫁さんが欲しいのココロ」と婚活を開始。
そこに、一枚のお見合い写真が届き、その写真に写っていたのが、どういうわけか由紀さおりさんだったのです。
(*^_^*)
ココロのボスは「ボクのお嫁さん」「ボクのお嫁さん」と街中に自慢してまわって歓喜の絶頂に至るも、ほどなくお見合い写真は誤りだったと判明して、一転して失意のドン底に…
(T_T)
(以上、おぼろげに記憶する、ちょっぴり悲しいストーリーの結末です)
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トボケた味の、そして愛すべきキャラクターのココロのボスを題材にして、深夜放送の人気パーソナリティーだった亀渕昭信さん(早大OB。ニッポン放送の元・社長)が、1970年に発表したシングル盤が「ココロのシャンソン」です。
赤塚不二夫さんが作詞し、加藤和彦さんが作曲するという強力な顔ぶれで生まれた、この曲。
最近、耳にすることは全くありませんが、良い意味で力の抜けた、私の好きな曲です。
※由紀さおりさんの「1969」には、残念ながら収録されていません。
携帯用リンク
パソコン用リンク
歌:カメカメ合唱団(亀渕昭信さんの多重録音)
作詞:赤塚不二夫
作曲:加藤和彦
編曲:クニ河内
1.街のはずれの
草むらに一本
ボクのココロの花が咲いていたのココロ
誰も知らないふりむかない
ボクだけの秘密の花のココロ
花びらを散らして踊ることも知らない
シャンソン・ド・ココロ
シャンソン・ド・ココロ
2.街の広場の
ベンチに一本
キミのココロの花が捨ててあったのココロ
誰も知らないふりむかない
ボクだけの秘密の花のココロ
つぼみ枯らせて咲くことも知らない
シャンソン・ド・ココロ
シャンソン・ド・ココロ
3.誰も知らないふりむかない
ボクだけの秘密の花のココロ
かげろうをゆらせて泣くことも知らない
シャンソン・ド・ココロ
シャンソン・ド・ココロ
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私が大学四年生から購読している「東洋経済」今週号は、企業ガバナンスの問題が特集されています。
九州電力に関しては、九電自体のガバナンスにまつわる問題に加えて、枝野経産大臣の「暴君ネロのような発言」(原文のまま)も、看過できない問題として挙げられています。
取締役の信任・不信任は株主に権限があり、進退は大臣が決めることではありません。
枝野さんは、東京電力への融資について、民間銀行に債権放棄を迫り、その法律家らしからぬズレた発言には各界から批判が集まりました。
今回も、相も変わらず法の定めを超えた、勘違い発言が目につきます。
彼の度重なる暴言が、電力各社が過剰に自己防衛に走る一因となっているのではないでしょうか。
弁護士の肩書が泣いています。
また、読売巨人軍の前GMも東洋経済に登場。
オーナーを相手にファン不在の泥仕合を続けていて、その勘違いぶりには、もうウンザリ。
ココロのボスならば、「クーダラナイ、クーダラナイ」と一蹴し、子分を連れて遊びに行ってしまうに違いありません。
このブログで何度も話題にしている「ウルトラQ」(1966年からTBS系列で放送)。
そこに、報道カメラマン「江戸川由利子(由利ちゃん)」役でレギュラー出演していた桜井浩子さんの自叙伝が出版されています。
(小学館。1575円)
本のタイトルにあるとおり、当時の怪獣映画ファンの子供たちにとって、桜井さんは、まさに女神。
私よりも10歳年上でいらっしゃるので、ウルトラQが始まった時に桜井さんは二十歳を過ぎた頃という計算になります。
-------
さて、東宝映画に登場する怪獣たち(ゴジラ、モスラ、ラドン、キングギドラ等)が重厚で得体の知れない不気味な印象を受けるのに対し、ウルトラ・シリーズに登場する怪獣たち(ペギラ、ガラモン、カネゴンなど)は、身近な印象があります。
この違いは、映画館の大スクリーンでしか見ることのできない、そして実際に登場するまでの前振りも長い映画系の怪獣に対し、小さな画面で30分間という制約の中でサッと登場してすぐに退治されてしまう、テレビ系の怪獣の宿命ということなのでしょう。
-----------
きちんと調べたわけではありませんが、数多くのウルトラ怪獣たちの中で最も知名度が高く、最多登場回数を誇るのは、バルタン星人に違いないと思います。
宇宙忍者と呼ばれるバルタン星人は、狡猾で憎たらしい悪役怪獣として登場しました。
ちなみに「フォッ、フォッ、フォッ」という独特の笑い声は、時代劇での悪代官の高笑いをイメージしたものらしいです。
しかし、登場回数を重ねるうちに、後にはコミカルなキャラクターとしても登場するようになりました。
例えば、麻雀マンガ「ぎゃんぶらー自己中心派」にもバルタン星人が登場。
フリーの雀荘に現れたバルタンが、大きなハサミの中に麻雀牌を隠し持ってイカサマをするという、ひどい役柄でした。
---------
バルタン星人の名前の由来は、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたバルカン半島をヒントに名づけられたという説が、現在は有力のようです。
しかし、私たちの世代では、世界的なアイドル歌手であったシルビー・バルタンから取った名前だと、永らく信じられてきました。
その類い稀な美しさで世界中の男性をとりこにした、シルビー・バルタン。
その美女の名前を、よりによって悪役怪獣の名前に拝借するというのは、大胆不敵というか、奇想天外というか、もの凄い着想だと子供心に感心したものです。
バルカン半島が由来だと言われると、「ああ、やっぱり」と納得するのですが、その一方で、「シルビー・バルタンであって欲しかった」と残念に思う複雑な感情も湧いてきます。
---------
YouTubeで、デビュー間もない頃のシルビー・バルタンが「アイドルを探せ」を歌う映像を見つけました。
映像の中で、天下のビートルズの面々までが、すっかり彼女に骨抜きにされてしまっているような写真も紹介されます。
携帯用リンク
パソコン用リンク
なお、法学部でフランス語を第二外国語として選択していた私ですが、再々履修クラスまでモツレ込んで、やっとの思いで「可」を取って卒業に漕ぎつけた、苦い苦い思い出があります。
それゆえ、「アイドルを探せ」の歌詞の和訳は、見送らせていただきます。
(;^_^A
そこに、報道カメラマン「江戸川由利子(由利ちゃん)」役でレギュラー出演していた桜井浩子さんの自叙伝が出版されています。
(小学館。1575円)
本のタイトルにあるとおり、当時の怪獣映画ファンの子供たちにとって、桜井さんは、まさに女神。
私よりも10歳年上でいらっしゃるので、ウルトラQが始まった時に桜井さんは二十歳を過ぎた頃という計算になります。
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さて、東宝映画に登場する怪獣たち(ゴジラ、モスラ、ラドン、キングギドラ等)が重厚で得体の知れない不気味な印象を受けるのに対し、ウルトラ・シリーズに登場する怪獣たち(ペギラ、ガラモン、カネゴンなど)は、身近な印象があります。
この違いは、映画館の大スクリーンでしか見ることのできない、そして実際に登場するまでの前振りも長い映画系の怪獣に対し、小さな画面で30分間という制約の中でサッと登場してすぐに退治されてしまう、テレビ系の怪獣の宿命ということなのでしょう。
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きちんと調べたわけではありませんが、数多くのウルトラ怪獣たちの中で最も知名度が高く、最多登場回数を誇るのは、バルタン星人に違いないと思います。
宇宙忍者と呼ばれるバルタン星人は、狡猾で憎たらしい悪役怪獣として登場しました。
ちなみに「フォッ、フォッ、フォッ」という独特の笑い声は、時代劇での悪代官の高笑いをイメージしたものらしいです。
しかし、登場回数を重ねるうちに、後にはコミカルなキャラクターとしても登場するようになりました。
例えば、麻雀マンガ「ぎゃんぶらー自己中心派」にもバルタン星人が登場。
フリーの雀荘に現れたバルタンが、大きなハサミの中に麻雀牌を隠し持ってイカサマをするという、ひどい役柄でした。
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バルタン星人の名前の由来は、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたバルカン半島をヒントに名づけられたという説が、現在は有力のようです。
しかし、私たちの世代では、世界的なアイドル歌手であったシルビー・バルタンから取った名前だと、永らく信じられてきました。
その類い稀な美しさで世界中の男性をとりこにした、シルビー・バルタン。
その美女の名前を、よりによって悪役怪獣の名前に拝借するというのは、大胆不敵というか、奇想天外というか、もの凄い着想だと子供心に感心したものです。
バルカン半島が由来だと言われると、「ああ、やっぱり」と納得するのですが、その一方で、「シルビー・バルタンであって欲しかった」と残念に思う複雑な感情も湧いてきます。
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YouTubeで、デビュー間もない頃のシルビー・バルタンが「アイドルを探せ」を歌う映像を見つけました。
映像の中で、天下のビートルズの面々までが、すっかり彼女に骨抜きにされてしまっているような写真も紹介されます。
携帯用リンク
パソコン用リンク
なお、法学部でフランス語を第二外国語として選択していた私ですが、再々履修クラスまでモツレ込んで、やっとの思いで「可」を取って卒業に漕ぎつけた、苦い苦い思い出があります。
それゆえ、「アイドルを探せ」の歌詞の和訳は、見送らせていただきます。
(;^_^A
今朝、豪雨の音で目覚めました。
昨夜の時点では、東伏見に行こうか、あるいは神宮球場で早実と日大三高の試合を観に行こうか等々、考えていました。
しかし、ザーザーと響き渡る雨の音を聞き、これはダメだと休日出勤に切り替え、午前8時過ぎから8時間ばかり仕事に専念。
仕事は確かにはかどりましたが、結局、高校野球も、東伏見の紅白戦も、見損ねてしまいました。
早実、あと一歩でしたね。
(><)
---------
仕事を終え、源兵衛で一杯やってから帰宅。
特にやることもないので、DVDで「若大将トラックス」を見ながら飲み直しました。
このDVDは、加山雄三さん主演映画である若大将シリーズの中から、加山さんが歌うシーンだけをピックアップしたものです。
--------
初期の作品では、歌われる曲が歌謡曲そのものというか、ナイトクラブで歌われるような曲を挿入歌としてあてがわれています。
映画の中で歌う加山さんも、心なしか義務感で歌っているような表情。
しかし、「ハワイの若大将」あたりから、加山さん自身の作曲によるアメリカン・ポップス調の作品が挿入歌に使われるように。
すると、がぜん加山さんの持つ洗練されたポップス感覚が前面に出て、歌う姿が若々しくダイナミックになりました。
そして、ベンチャーズが起爆剤となった当時のエレキギター・ブームも相まって、一気に若大将サウンドが一世を風靡することになりました。
------------
例えば、シリーズ第5作である「海の若大将」で歌われた「ブーメラン・ベイビー」。
これは加山さんの作詞・作曲による英語の歌。
これは、正真正銘のポップスで、映画が公開された1965年当時、時代の最先端をゆくサウンドでした。
「ブーメラン・ベイビー」携帯用
「ブーメラン・ベイビー」パソコン用
--------
かたや、若大将シリーズの映画の主題歌は、広瀬健次郎さんの作品が多く使われました。
しかし私が一番好きな主題歌は「日本一の若大将」
1963年に公開されたシリーズ第三作です。
慶応ボーイの加山さんが歌うのですが、作詞:青島幸男、作曲:中村八大という早稲田出身者による主題歌です。
良い意味で昭和30年代という時代を感じさせる、ノリの良いサウンドです。
「日本一の若大将」携帯用
「日本一の若大将」パソコン用
なお、「日本一の若大将」は、マラソン走者として加山さんが走るシーンを神宮絵画館前や明治通りなどでロケしています。
東京五輪の前年である、昭和38年当時の神宮界隈の風景を見ることができる点でも、個人的にはとても興味深い映画です。
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さて、明日も東伏見では午前中に紅白戦が予定されているのですが、果たして天気はどうなりますか…
昨夜の時点では、東伏見に行こうか、あるいは神宮球場で早実と日大三高の試合を観に行こうか等々、考えていました。
しかし、ザーザーと響き渡る雨の音を聞き、これはダメだと休日出勤に切り替え、午前8時過ぎから8時間ばかり仕事に専念。
仕事は確かにはかどりましたが、結局、高校野球も、東伏見の紅白戦も、見損ねてしまいました。
早実、あと一歩でしたね。
(><)
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仕事を終え、源兵衛で一杯やってから帰宅。
特にやることもないので、DVDで「若大将トラックス」を見ながら飲み直しました。
このDVDは、加山雄三さん主演映画である若大将シリーズの中から、加山さんが歌うシーンだけをピックアップしたものです。
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初期の作品では、歌われる曲が歌謡曲そのものというか、ナイトクラブで歌われるような曲を挿入歌としてあてがわれています。
映画の中で歌う加山さんも、心なしか義務感で歌っているような表情。
しかし、「ハワイの若大将」あたりから、加山さん自身の作曲によるアメリカン・ポップス調の作品が挿入歌に使われるように。
すると、がぜん加山さんの持つ洗練されたポップス感覚が前面に出て、歌う姿が若々しくダイナミックになりました。
そして、ベンチャーズが起爆剤となった当時のエレキギター・ブームも相まって、一気に若大将サウンドが一世を風靡することになりました。
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例えば、シリーズ第5作である「海の若大将」で歌われた「ブーメラン・ベイビー」。
これは加山さんの作詞・作曲による英語の歌。
これは、正真正銘のポップスで、映画が公開された1965年当時、時代の最先端をゆくサウンドでした。
「ブーメラン・ベイビー」携帯用
「ブーメラン・ベイビー」パソコン用
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かたや、若大将シリーズの映画の主題歌は、広瀬健次郎さんの作品が多く使われました。
しかし私が一番好きな主題歌は「日本一の若大将」
1963年に公開されたシリーズ第三作です。
慶応ボーイの加山さんが歌うのですが、作詞:青島幸男、作曲:中村八大という早稲田出身者による主題歌です。
良い意味で昭和30年代という時代を感じさせる、ノリの良いサウンドです。
「日本一の若大将」携帯用
「日本一の若大将」パソコン用
なお、「日本一の若大将」は、マラソン走者として加山さんが走るシーンを神宮絵画館前や明治通りなどでロケしています。
東京五輪の前年である、昭和38年当時の神宮界隈の風景を見ることができる点でも、個人的にはとても興味深い映画です。
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さて、明日も東伏見では午前中に紅白戦が予定されているのですが、果たして天気はどうなりますか…