外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

小さな大投手

2010-02-01 18:19:40 | スポーツ全般
私が高校に入学したのは1971年(昭和46年)。

それまで、高校野球は、年上のお兄さんたちがやるものと思って観ていました。
しかし、自分自身が高校生になったことで、新しい視点で同世代の球児たちの躍動する姿を観るようになりました。

その年の夏の甲子園で、大活躍したのが福島の磐城高校。
日大一高に1対0、静岡学園に3対0、郡山高校に4対0と三試合連続の完封勝ちで、あれよあれよという間に決勝戦に進出。
その快進撃を、私はテレビに噛りついて夢中になって観ていました。

その快進撃の原動力となったのは、身長165センチの田村隆寿投手。
抜群の制球力とシンカーを武器に次々と強豪校を完封する田村投手は、いつの間にか新聞やテレビで「小さな大投手」と呼ばれるようになっていました。

また、地元から甲子園に向かう大応援団を乗せたバスの車列を激励しようと、市街地でも水田地帯でも沿道を延々と人々が埋め尽くし、「ガンバレ~!」「応援、頼んだぞ~」と声援がかけられたという、微笑ましいエピソードも残っています。

さて、注目の決勝戦は、お互いに一歩も譲らずに0対0で迎えた七回裏、急に降り始めた夕立の影響で、決め球のシンカーを投げようとした田村投手の指先が滑りました。

そこを桐蔭打線が見逃さず痛打し、三塁から土屋捕手(現・桐蔭学園監督)が生還して虎の子の先取点。

そして、試合は0対1のまま終了し、磐城高校は惜しくも優勝を逃しました。

高校一年生の夏に、この熱戦によって高校野球の醍醐味を味わった私は、二年生の時には日大桜ヶ丘や津久見の活躍に、三年生では怪物・江川と試合巧者・広島商業の活躍に胸を踊らせました。

小学生の頃から六大学野球を時々観戦していましたが、大学生になってから本格的にどっぷり浸かることになったのは、間違いなく磐城高校の大健闘に始まる高校三年間の感動の蓄積があったからだと思います。



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2 Comments

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懐かしいです。 ()
2010-02-05 19:02:14
タイトルからは少し離れてしまいますが・・・
津久見高校、日大桜丘と云う名前に思わず懐かしいと思ってしまいました。
当時小学校6年生だった私は偶然付けたテレビでやっていた甲子園大会の放送を見てすっかり野球というスポーツの虜になってしまいました。
それからは好きな選手を追って甲子園とプロを行ったり来たりでした。
ほんの少しだけ大学野球に嵌ったことは有りますが、今の様になったのは斎藤君が進学してからです。
今でもその一瞬の偶然が無かったら…野球にも興味を持たなかっただろうと・・・
まさか3*年後にこんなにも早稲田のファンになるなんて・・・夢にも思いませんでした。
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磐城対桐蔭学園 (mytochigiotoko)
2010-02-01 21:45:11
両校からは卒業後六大学のレギュラーになった
選手がでています。
磐城の先崎・若尾は立教で桐蔭の土屋は法政で
小島は慶応で
先崎遊撃手と小島外野手は六大学ベスト9に選ばれています。
田村(磐城)はのちに安積商の監督で甲子園出場を成し遂げて土屋さんも桐蔭学園の名監督になって
います。土屋さんが初めて桐蔭から六大学に進学
した選手です。
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