1985年に日航ジャンボ機が墜落した御巣鷹山。
その登山道が、土砂崩れのために当分の間、登れなくなったとのニュースが流れています。
あの事故で、私は都立青山高校の同期生を失いました。
当時、彼は日本興業銀行大阪支店に勤務していました。
事故直後の新聞で搭乗者一覧に目を通していたら、その中に見覚えのある氏名が私と同じ年齢と共に掲載されていたのです。
びっくりして、やはり興銀に勤務している高校の同期生に電話したら、重い沈黙…。
何も聞かなくても、事故にあったのは同期の彼だと分かりました。
聞けば、間近に迫った結婚式の打合せのために、東京の実家と大阪を頻繁に往復していたと。
言葉が出ませんでした。
他にも、高校の同期生の結婚式に主賓で出席されていた方、取引先の社長さんがお亡くなりになりました。
あの事故では、私が直接面識のある方だけでも、三名もの貴い命が失われたのです。
あれから、ほぼ四半世紀。
決して短い年月ではありませんが、御巣鷹山と聞くだけで沈痛な思いを抱く人は、今も少なくないはずです。
その登山道が、土砂崩れのために当分の間、登れなくなったとのニュースが流れています。
あの事故で、私は都立青山高校の同期生を失いました。
当時、彼は日本興業銀行大阪支店に勤務していました。
事故直後の新聞で搭乗者一覧に目を通していたら、その中に見覚えのある氏名が私と同じ年齢と共に掲載されていたのです。
びっくりして、やはり興銀に勤務している高校の同期生に電話したら、重い沈黙…。
何も聞かなくても、事故にあったのは同期の彼だと分かりました。
聞けば、間近に迫った結婚式の打合せのために、東京の実家と大阪を頻繁に往復していたと。
言葉が出ませんでした。
他にも、高校の同期生の結婚式に主賓で出席されていた方、取引先の社長さんがお亡くなりになりました。
あの事故では、私が直接面識のある方だけでも、三名もの貴い命が失われたのです。
あれから、ほぼ四半世紀。
決して短い年月ではありませんが、御巣鷹山と聞くだけで沈痛な思いを抱く人は、今も少なくないはずです。
いらっしゃって、自分が同じ立場だったら、あそこまで冷静になれるだろうかと自問しました。
東京-大阪間。いろいろと考えさせられました。
最近、山崎豊子さんの「沈まぬ太陽」を読んだので、このテーマに思わず反応してしまいました。
本当に大変な出来事でした。ちょうど私はこの日、生後1か月になる長男と1歳のお姉ちゃんを連れて、実家から自宅に帰ってきたのでした。これから始まる日々に不安を感じていた私にとって、この事故はなんとも言えない衝撃でした。
掲示板とは違い、ブログはブログ主がトピックを立てないと何も始まらないという当たり前のことの厳しさを、改めて感じている毎日です。
これからも、よろしくお願いいたします。