「小さな大投手」のトピックで、磐城高校の田村投手が雨のためにコントロールを乱した一球が、決勝戦の勝敗を分けたエピソードをご紹介いたしました。
大会日程に制約のある甲子園では、多少の雨でも試合が強行されがちです。
それが様々なドラマを生み出してきました。
私の高校時代では、その1971年の磐城高校と桐蔭学園の試合、そして怪物・江川が押し出しでサヨナラ負けした1973年の作新学院と銚子商業との雨中決戦が印象に残っています。
最近では、2004年の千葉経大付属と東北高校の雨中延長戦があります。
東北のエースはダルビッシュ投手、そして千葉経大のエースで四番打者は松本啓二朗投手でした。
雨の降る九回裏に、東北高校の三塁手の悪送球で同点に追い付いて息を吹き返した千葉経大は、延長戦10回にダルビッシュから二点を奪って、初出場ながらベスト4に進出したのでした。
(写真は、九回裏に生還した走者を笑顔で迎える迎える松本選手。そして無念の表情でスコアボードを確認するダルビッシュ投手)
あの試合、松本啓二朗選手は、打者として二安打一四球。守備位置も投手-センター-投手と変わる大車輪の活躍をみせ、一躍、全国区の人気球児になりました。
もし東北高校の三塁手の悪送球がなければ、千葉経大はベスト8どまり。
そうなっていたら、その数ヵ月後に松本くんが受験した早稲田の自己推薦入試の合否も、どちらに転んだか分かりませんでした。
確かに、千葉経大の成績がベスト4でも、ベスト8でも、松本くん個人の実力に変わりはありません。
でも、雨の中で起きた逆転劇から、松本くんの運命は大きく変わり始めました。
そして、彼が進学することになった早稲田の野球部でも、その三年後に達成されることになる久し振りの大学日本一に向かって、静かに歯車が動き始めたのでした。
こうして考えると、甲子園の長い歴史の中で、雨によって変えられた勝負と球児たちの運命、そして大学やプロ球団の運命は、数えきれないほどありそうですね。
大会日程に制約のある甲子園では、多少の雨でも試合が強行されがちです。
それが様々なドラマを生み出してきました。
私の高校時代では、その1971年の磐城高校と桐蔭学園の試合、そして怪物・江川が押し出しでサヨナラ負けした1973年の作新学院と銚子商業との雨中決戦が印象に残っています。
最近では、2004年の千葉経大付属と東北高校の雨中延長戦があります。
東北のエースはダルビッシュ投手、そして千葉経大のエースで四番打者は松本啓二朗投手でした。
雨の降る九回裏に、東北高校の三塁手の悪送球で同点に追い付いて息を吹き返した千葉経大は、延長戦10回にダルビッシュから二点を奪って、初出場ながらベスト4に進出したのでした。
(写真は、九回裏に生還した走者を笑顔で迎える迎える松本選手。そして無念の表情でスコアボードを確認するダルビッシュ投手)
あの試合、松本啓二朗選手は、打者として二安打一四球。守備位置も投手-センター-投手と変わる大車輪の活躍をみせ、一躍、全国区の人気球児になりました。
もし東北高校の三塁手の悪送球がなければ、千葉経大はベスト8どまり。
そうなっていたら、その数ヵ月後に松本くんが受験した早稲田の自己推薦入試の合否も、どちらに転んだか分かりませんでした。
確かに、千葉経大の成績がベスト4でも、ベスト8でも、松本くん個人の実力に変わりはありません。
でも、雨の中で起きた逆転劇から、松本くんの運命は大きく変わり始めました。
そして、彼が進学することになった早稲田の野球部でも、その三年後に達成されることになる久し振りの大学日本一に向かって、静かに歯車が動き始めたのでした。
こうして考えると、甲子園の長い歴史の中で、雨によって変えられた勝負と球児たちの運命、そして大学やプロ球団の運命は、数えきれないほどありそうですね。
最近で印象的なのは、
85回全国高等学校野球選手権大会の
駒大苫小牧対倉敷工
4回裏二死まで8-0で駒大苫小牧がリードしていたのですが、雨でノーゲーム。
翌日の再試合で2-5で駒大苫小牧は負けてしまいます。
このゲームは現地で見ておりましたが、駒苫かわいそうでしたね。
この悔しさが翌年の全国制覇につながったと思います。
ちなみにこの直後のゲームで先頭打者ホームランを放った広陵のトップバッターが上本博紀でした。
その昔、甲子園でコールドゲームが審判の判断にまかされていた時代、反撃中にコールドゲームとなり、敗者が潔く従った、という話を読んだことがあります。
如水館対高知ですね。
中止になった2試合とも甲子園にいましたよ。
史上初だったということですが、こういう史上初に立ち会っても.....。
ちなみに主審は東京六大学リーグ戦でもおなじみの桑原さんで2試合ともノーゲームのコールをされました。