現在、日経新聞「私の履歴書」を、ノーベル賞受賞者の物理学者・益川敏英さんが担当されています。
そのコラムの中で、素粒子に関するお話を益川さんが平易に説明されることが時々あり、私も必死に理解しようと読んでいます。
でも、何に役立つ研究なのか、正直なところ、私にはサッパリ理解が及びません。
ただ、研究者の方々の日常生活が銀行マンと全く異なることに改めて驚くと共に、「さぞかし凄いことを解明されたんだろうなあ」と、ぼんやり思うのみ。
私のような生粋の文系人間(=文系科目が得意というよりも理系科目がダメな人間)にとって、理系人間に対する畏敬の念とコンプレックスは、どうすることもできません。
(;^_^A
さて現在、新政権の肝入りでスタートした事業仕分け作業において、科学技術分野の研究開発費にもメスが入り、高名な科学者、大学関係者の方々から一斉に反発の声があがっています。
事業仕分の詳細な事情を私は知りませんが、想像するに、科学技術の研究開発の意義そのものに異論を唱える「仕分人」は一人もいないと思います。
それなのに仕分け対象となっている理由は何なのか。きっと問題は別のところにあるはずです。
例えば10億円の予算を確保しても、その金額のかなりの部分が独立行政法人の天下り官僚などの事務方の人件費として消えてしまい、その残額が現場の研究者に届くのみという極めて非効率な仕組み。
直接給付方式を極力避けて、“中間搾取”を可能とする「○○事業団」「△△支援機構」「××財団」といった間接部門・団体を資金の流れの間に噛ませるのが、これまでの官庁の常套手段でしたから。
また、既に実績をあげて発言力のあるベテラン研究者(=その分野の“ドン”)に複数の予算がつき、新分野を研究しようとする若手には極めて不利な状況という話も耳にしたことがあります。
ビジネスの世界と同様、過去に立派な実績をあげた方だからといって、現在も引き続き意義のある仕事をされているという保証はありません。
過去に科学技術分野で社会に貢献された方々への“報奨”と、未来に向かって新たな研究開発に取り組む方々への支援はきちんと区別しなければならないのは至極当然のことです。
いずれにしても科学技術の分野に第三者の目を入れることは、国民全体にとって実に有意義なことだと確信しています。
ちなみに、非効率な仕組みを改め、全体の予算額を減らしても現場の研究者の皆さんの手取り金額は減らない、加えて国家として期待する新分野にもきちんと資金配分できるよう努めるというのが、私の考えるベストの姿です。言うは易しなのですが。
仕分人の中にも私のような理系オンチ人間がいらっしゃるとは思いますが、切り込むべきは支援の制度の在り方です。
仕分けの結果を最終的に実行するかどうかは、大臣レベルの判断に委ねるのですから、仕分け作業は自らの信じるところによって、思いっきりやれば宜しいかと。
科学者の方々も、仕分担当者の見識が問われるなどと専門家特有の「上から目線」、「素人が何を言っているか」というような調子で声高に文句を唱えるのではなく、必要性や効率性などを、科学の専門家ではない仕分担当者にも理解してもらえるような説明ができなかった担当官僚の不勉強、準備不足こそを責めるべきです。
それこそ、ご自身の見識が問われます。
担当官僚も、ある意味で国民的ヒーローのノーベル賞受賞者たちの知名度を利用して世論を動かそうとする姑息な戦術は、即刻止めてもらいたいものです。
仕分担当者の皆さんは、様々な賞を受けられた高名な科学者の皆さんの威光と反論に怯むことなく、ネジリ鉢巻で頑張ってもらいたいと思います。
ところで、今日は「大学野球」秋季リーグ戦決算号の発売日。
さっそく丸善で買ってきました。
昼休みにざっと目を通しましたが、勝てなかったシーズンはどうしても気持ちが昂ぶりませんねえ…
そして、目を真っ赤にして学生席に挨拶する早稲田の四年生たちの写真を、私は正視できませんでした。
「大学野球」の中で、東都の秋季リーグ戦で3位となった国学院の竹田監督が「今季の東都リーグは、四年生のベンチ入り人数の多い順にチームの順位が並んだ感じ」とおっしゃっています。
早稲田についても、早慶戦で四年生の頑張りがあったものの、やはりシーズンを通してグラウンドでチームの牽引する強力なリーダー役が不在であった感は、やはり否めません。
これは人材面だけでなく、選手の起用方針の問題でもあります。
ともあれ、大学スポーツは、実戦の中で最上級生がチームを引っ張らなければ土壇場で勝てません。
例年の比べて選手層が薄いのではないかという声も聞く現在の二年生、一年生たち。
でも、彼らが最上級生になった時に、チームの核となる選手が途絶えることがないようにしなければなりません。
各学年にリーダーを育成していくことの重要性を、改めて思い知らされたシーズンとなりました。
そのコラムの中で、素粒子に関するお話を益川さんが平易に説明されることが時々あり、私も必死に理解しようと読んでいます。
でも、何に役立つ研究なのか、正直なところ、私にはサッパリ理解が及びません。
ただ、研究者の方々の日常生活が銀行マンと全く異なることに改めて驚くと共に、「さぞかし凄いことを解明されたんだろうなあ」と、ぼんやり思うのみ。
私のような生粋の文系人間(=文系科目が得意というよりも理系科目がダメな人間)にとって、理系人間に対する畏敬の念とコンプレックスは、どうすることもできません。
(;^_^A
さて現在、新政権の肝入りでスタートした事業仕分け作業において、科学技術分野の研究開発費にもメスが入り、高名な科学者、大学関係者の方々から一斉に反発の声があがっています。
事業仕分の詳細な事情を私は知りませんが、想像するに、科学技術の研究開発の意義そのものに異論を唱える「仕分人」は一人もいないと思います。
それなのに仕分け対象となっている理由は何なのか。きっと問題は別のところにあるはずです。
例えば10億円の予算を確保しても、その金額のかなりの部分が独立行政法人の天下り官僚などの事務方の人件費として消えてしまい、その残額が現場の研究者に届くのみという極めて非効率な仕組み。
直接給付方式を極力避けて、“中間搾取”を可能とする「○○事業団」「△△支援機構」「××財団」といった間接部門・団体を資金の流れの間に噛ませるのが、これまでの官庁の常套手段でしたから。
また、既に実績をあげて発言力のあるベテラン研究者(=その分野の“ドン”)に複数の予算がつき、新分野を研究しようとする若手には極めて不利な状況という話も耳にしたことがあります。
ビジネスの世界と同様、過去に立派な実績をあげた方だからといって、現在も引き続き意義のある仕事をされているという保証はありません。
過去に科学技術分野で社会に貢献された方々への“報奨”と、未来に向かって新たな研究開発に取り組む方々への支援はきちんと区別しなければならないのは至極当然のことです。
いずれにしても科学技術の分野に第三者の目を入れることは、国民全体にとって実に有意義なことだと確信しています。
ちなみに、非効率な仕組みを改め、全体の予算額を減らしても現場の研究者の皆さんの手取り金額は減らない、加えて国家として期待する新分野にもきちんと資金配分できるよう努めるというのが、私の考えるベストの姿です。言うは易しなのですが。
仕分人の中にも私のような理系オンチ人間がいらっしゃるとは思いますが、切り込むべきは支援の制度の在り方です。
仕分けの結果を最終的に実行するかどうかは、大臣レベルの判断に委ねるのですから、仕分け作業は自らの信じるところによって、思いっきりやれば宜しいかと。
科学者の方々も、仕分担当者の見識が問われるなどと専門家特有の「上から目線」、「素人が何を言っているか」というような調子で声高に文句を唱えるのではなく、必要性や効率性などを、科学の専門家ではない仕分担当者にも理解してもらえるような説明ができなかった担当官僚の不勉強、準備不足こそを責めるべきです。
それこそ、ご自身の見識が問われます。
担当官僚も、ある意味で国民的ヒーローのノーベル賞受賞者たちの知名度を利用して世論を動かそうとする姑息な戦術は、即刻止めてもらいたいものです。
仕分担当者の皆さんは、様々な賞を受けられた高名な科学者の皆さんの威光と反論に怯むことなく、ネジリ鉢巻で頑張ってもらいたいと思います。
ところで、今日は「大学野球」秋季リーグ戦決算号の発売日。
さっそく丸善で買ってきました。
昼休みにざっと目を通しましたが、勝てなかったシーズンはどうしても気持ちが昂ぶりませんねえ…
そして、目を真っ赤にして学生席に挨拶する早稲田の四年生たちの写真を、私は正視できませんでした。
「大学野球」の中で、東都の秋季リーグ戦で3位となった国学院の竹田監督が「今季の東都リーグは、四年生のベンチ入り人数の多い順にチームの順位が並んだ感じ」とおっしゃっています。
早稲田についても、早慶戦で四年生の頑張りがあったものの、やはりシーズンを通してグラウンドでチームの牽引する強力なリーダー役が不在であった感は、やはり否めません。
これは人材面だけでなく、選手の起用方針の問題でもあります。
ともあれ、大学スポーツは、実戦の中で最上級生がチームを引っ張らなければ土壇場で勝てません。
例年の比べて選手層が薄いのではないかという声も聞く現在の二年生、一年生たち。
でも、彼らが最上級生になった時に、チームの核となる選手が途絶えることがないようにしなければなりません。
各学年にリーダーを育成していくことの重要性を、改めて思い知らされたシーズンとなりました。
事業仕分け大賛成です。
文科省官僚が計画した事業は、全て廃止すべきと思っています。
文部科学省の仕事は、質の高い教育を提供し、子供達が良い社会生活を送れるようにすることです。ところが、官僚達は、デタラメ政策で子供達の人生を台無しにしました。
大学を天下り機関に変え、世界最低にまで堕落させたのも文科省官僚です。
不登校、退学者20万人、引きこもり、ニート60万人という現実こそ、文科省官僚の無能と腐敗を明らかにしています。文科省こそ、日本社会を衰弱させる癌です。「『おバカ教育』の構造」(阿吽正望 日新報道)を読むと、すべてが分かります。絶対に許せません。
不道徳で無責任な腐敗官僚の行う事業は、国民にとって危険です。
誰もが、事業仕分けで文科省を廃止すべきと、確信する筈です。
初めてコメントさせて頂きます。
このブログで週刊ベースボールの写真の事を知り早速雑誌を購入しました。
本当に懐かしく、昔の事をいろいろ思い出しました。
中学生の頃、学校の図書館でアサヒグラフ・東京六大学野球特集を見つけました。
早稲田のページには、阿部投手(大館鳳鳴)、矢野投手(今治西)、八木内野手(興国)などの写真が
掲載されており東京、早稲田、早稲田野球部に憧れていた田舎の野球少年にとって強烈な衝撃でした。
私の憧れだったのは、松本匡史選手(当時は哲? 報徳学園)、吉澤俊幸選手(日大三高)の二人です。
特に松本選手については、脱臼した後自転車のチューブで固定して試合に出場した時など
本当にドキドキしながらテレビを見ていた記憶があります。
当時は、今と違ってインターネットは無い代わりに、NHKテレビ、ラジオで結構頻繁に六大学野球の
実況放送があった様に思います。
時は流れ、吉澤選手の息子さんが名門日大三高の遊撃手(時に、豪腕投手)としてプレーしている姿を
見るにつけ時間の流れの早さに愕然とします。
部外者には絶対知る事が出来ない早稲田野球部の情報や
昔懐かしい話が多いので、今後も更新内容を楽しみにしています。
長文になり申し訳ありませんでした。
阿部さん、矢野さんをはじめ、懐かしい選手の顔ぶれですね。
先日の記念フォーラムで、ビール片手に矢野さんとお話しする機会がありました。
私が今治西高校を訪問した際に、矢野さんのお名前がダッグアウトに貼られたプレートに刻まれていたのを見つけたとお話ししたら、「今治西から早稲田の野球部に進んだのは、私が第一号なんです」とおっしゃるのでビックリ!
現在の宇高くんまでつながる今治西から早稲田へのルートを切り開いたのが、矢野さんでした。
吉沢さんともお話ししました。
吉沢さんの俊足、強肩、強打は群を抜いていました。
日ハムにいた新庄選手のような選手でした。
盗塁王・松本さんは在学中は「哲」さんでした。
故障が多かったので、姓名判断してもらった結果、匡史と改名したと聞いています。
抜群の脚力と、加速していくようなスライディングの技術は、現在に至るまで、松本さんを超える選手はでてきていません。