須長さん(川越工業出身)は、私と同学年。
四年生の時は背番号1を着け、正一塁手として主に六番を打っていた中距離打者です。
ちなみに当時のスタメンはこんな顔ぶれでした。
9西本(報徳学園)
7佐々木(大谷)または成島(早実)
6中屋(早実)
5岡田(北陽)
2金森(PL学園)
3須長(川越工業)
8永関(天理)
4亀山(平安)または宇佐美(今治西)
1 北口(天理)、向田(前橋工業)、関口(竜ヶ崎一)、三谷(今治西)
今でも、選手たちのユニフォーム姿が目に浮かびます。
写真は、週刊ベースボール増刊号・1978年春季リーグ戦展望号からお借りしました。
四年生の時は背番号1を着け、正一塁手として主に六番を打っていた中距離打者です。
ちなみに当時のスタメンはこんな顔ぶれでした。
9西本(報徳学園)
7佐々木(大谷)または成島(早実)
6中屋(早実)
5岡田(北陽)
2金森(PL学園)
3須長(川越工業)
8永関(天理)
4亀山(平安)または宇佐美(今治西)
1 北口(天理)、向田(前橋工業)、関口(竜ヶ崎一)、三谷(今治西)
今でも、選手たちのユニフォーム姿が目に浮かびます。
写真は、週刊ベースボール増刊号・1978年春季リーグ戦展望号からお借りしました。
もちろん岡田は別格でした。皆さんはどんな50歳を迎えたのでしょうか。主様 ご存知ならご紹介お願いします。
4年間1度しか優勝しませんでした。麻雀荘から次の半チャンを取り止めて、神宮に行く者、バイトに向かう者、別のメンバーを探す者、などの様々な姿が思い浮かびます。 以上
北口―金森のコンバートバッテリーが印象に残っています
当時の石山監督が早稲田を勇退されてプリンスホテルの初代監督に就任されるのと同時に卒業したので、プリンスに進んだ選手の多いことが、私たちの同期の選手たちの特徴でしたね。
強肩強打の遊撃手・中屋主将は、プロ入りも噂されましたが、プリンスホテルに進み、監督も務めました。
今は社業に専念し、プリンスホテルの執行役員。
さすが主将!
二塁から捕手にコンバートされ首位打者を獲得した金森くんは、プリンスホテル経由でプロ入りし西武などでプレー。
ホークス、タイガースなどでコーチ等を務めた後、現在は北信越リーグの石川で監督です。
なお、学生時代の栄二から永時→栄治と名前を変えています。
須長一塁手も卒業後はプリンスホテルに進み、その後に埼玉県で高校野球の指導者となりました。
俊足・強肩・巧打の永関外野手も卒業後はプリンスホテルに進み、今もホテルマン。支配人としてテレビに出演したこともあります。
攻守にスピード感のあった佐々木外野手は、トヨタ自動車に進み、現在はトヨタの野球部長。
佐竹、大谷、田中幸長らの後輩たちを部長としてサポートしてくれています。
不動の一番バッター・西本外野手は、日本生命でプレーした後に社業に専念。
佐々木くんが『西本くんが同期の出世頭だ』と話していましたから、仕事でもトップバッターのようです。
優勝決定後に学生席の演台で私と肩を組んで都の西北を歌った北口投手は、松下電器に進みました。
亀山内野手は三菱自工京都に進みました。
関西に就職した二人は神宮でも見かけませんが、きっと元気にやっていると思います。
特に北口投手に再会する機会があったら、『あの時に肩を組んだのは私です』と挨拶して、思い出話に花を咲かせたいのですが。