去る3日午後、あの芦毛の怪物“オグリキャップ”が、繋養先の北海道新冠町、優駿スタリオンステーションにおいて、右後ろ脚を骨折し亡くなったとの驚きのニュースが瞬く間に競馬界を襲った・・・・・享年25歳。
「3日の午後、馬房に入れようと迎えにいったところ、放牧地でバランスを崩して右後ろ脚を骨折しました。日常の動きの中でのアクシデントだけに本当にショックです。」と同スタリオンの山崎努主任がしぼり出すような声で状況を説明する。
(出典:ギャロップ 7/18号抜粋)
地方から移籍して大活躍したハイセイコーに続いて、同じく地方から移籍したオグリキャップの活躍は、再び競馬ブームに大きな火を着けた・・・・・中央のエリート軍団をものの見事に打ち負かす姿に酔いしれ、競馬を知らない人もこの2頭の馬名を口にするほどのスターホースであった。
1987年5月、笠松競馬のデビュー戦こそ2着であったが、その後1着10回、2着1回で翌年中央に移籍。
1988年3月、中央移籍後の第1戦、ペガサスS(GⅢ)を皮切りに瞬く間に重賞6連勝の離れ技をやってのけた。
残念ながらクラシック路線への出走資格がなくて、その年(1988年)の秋の天皇賞で2着、ジャパンカップ3着、有馬記念1着と古馬とのGⅠ戦線で一気にその実力を魅せつけられ・・・・・多くの競馬ファンが酔いしれた。
それから、2年後の1990年10月の天皇賞(秋)・・・・6着。11月のジャパンC・・・・11着。
さすがのオグリもこれで終わったのかと思われて臨んだラストランの有馬記念
鞍上もその年の安田記念で勝利した武豊騎手(当時21歳)に乗り替わっての最後の戦い。
1990年12月、暮れの大一番「有馬記念」のファンファーレが鳴った・・・・入場者数17万7779人。当時の年間売り上げも3兆円を超えている時代
4枠8番で、屈辱の4番人気“オグリキャップ”は、スタートよく中団の外目につけて追走、向こう正面でも折り合って気持ちよさそうに中団から前へと徐々に上がっていく。
勝負どころの3、4コーナーではグーンと外から詰めて、直線に向くと早くも2、3番手に進出し直線の坂下から先頭に躍り出る・・・・脚いろ。
1番人気の⑬ホワイトストーン(私の好きな馬)が終始内の好位を追走し直線では最内から先頭を伺う、3番人気のメジロライアンが外から先頭に立ったオグリキャップを追って・・・・・・・。
「さぁー がんばるぞ、オグリキャップ」
「オグリだ、オグリだ」
「オグリキャップ優勝ゴールイン」
実況アナウンサーの興奮した声がいつまでも耳について・・・・・忘れられない。
中山に詰めかけていたすべての競馬ファンのどよめきと“オグリコール”が、TV観戦しているこちらまで怒涛の如くやってきて・・・・記憶に残る有馬記念となった。
オグリキャップのご冥福を静かに祈りたい。(夫)
参考資料:ギャロップ、サンスポ、JRA-VAN NEXT他
「1989年マイルCS優勝時」(内がオグリキャップ)(出典:JRA)
「3日の午後、馬房に入れようと迎えにいったところ、放牧地でバランスを崩して右後ろ脚を骨折しました。日常の動きの中でのアクシデントだけに本当にショックです。」と同スタリオンの山崎努主任がしぼり出すような声で状況を説明する。
(出典:ギャロップ 7/18号抜粋)
地方から移籍して大活躍したハイセイコーに続いて、同じく地方から移籍したオグリキャップの活躍は、再び競馬ブームに大きな火を着けた・・・・・中央のエリート軍団をものの見事に打ち負かす姿に酔いしれ、競馬を知らない人もこの2頭の馬名を口にするほどのスターホースであった。
1987年5月、笠松競馬のデビュー戦こそ2着であったが、その後1着10回、2着1回で翌年中央に移籍。
1988年3月、中央移籍後の第1戦、ペガサスS(GⅢ)を皮切りに瞬く間に重賞6連勝の離れ技をやってのけた。
残念ながらクラシック路線への出走資格がなくて、その年(1988年)の秋の天皇賞で2着、ジャパンカップ3着、有馬記念1着と古馬とのGⅠ戦線で一気にその実力を魅せつけられ・・・・・多くの競馬ファンが酔いしれた。
それから、2年後の1990年10月の天皇賞(秋)・・・・6着。11月のジャパンC・・・・11着。
さすがのオグリもこれで終わったのかと思われて臨んだラストランの有馬記念
鞍上もその年の安田記念で勝利した武豊騎手(当時21歳)に乗り替わっての最後の戦い。
1990年12月、暮れの大一番「有馬記念」のファンファーレが鳴った・・・・入場者数17万7779人。当時の年間売り上げも3兆円を超えている時代
4枠8番で、屈辱の4番人気“オグリキャップ”は、スタートよく中団の外目につけて追走、向こう正面でも折り合って気持ちよさそうに中団から前へと徐々に上がっていく。
勝負どころの3、4コーナーではグーンと外から詰めて、直線に向くと早くも2、3番手に進出し直線の坂下から先頭に躍り出る・・・・脚いろ。
1番人気の⑬ホワイトストーン(私の好きな馬)が終始内の好位を追走し直線では最内から先頭を伺う、3番人気のメジロライアンが外から先頭に立ったオグリキャップを追って・・・・・・・。
「さぁー がんばるぞ、オグリキャップ」
「オグリだ、オグリだ」
「オグリキャップ優勝ゴールイン」
実況アナウンサーの興奮した声がいつまでも耳について・・・・・忘れられない。
中山に詰めかけていたすべての競馬ファンのどよめきと“オグリコール”が、TV観戦しているこちらまで怒涛の如くやってきて・・・・記憶に残る有馬記念となった。
オグリキャップのご冥福を静かに祈りたい。(夫)
参考資料:ギャロップ、サンスポ、JRA-VAN NEXT他
「1989年マイルCS優勝時」(内がオグリキャップ)(出典:JRA)