咲とその夫

 思いもよらず認知症になった「咲」の介護、その合間にグラウンド・ゴルフを。
 週末にはちょこっと競馬も。
 

旅の流れで・・・伊丹十三記念館

2011-09-29 22:44:00 | 日記
 25日(日)、旧友たちと再会した「○○雀会」の翌日のことである。最後に訪れる勇壮な松山城に行く人たちと行かない人たちに分かれた。当方とNi夫妻の二組で松山城へ・・・その後、Ni夫妻と別れて最後の観光地へ向かった。

 帰りの高速インターチェンジに近いこともあって、幹事Ki君が推薦していた「伊丹十三記念館」へ、カーナビをセットして出発した・・・。その記念館の近くまで来たところで、「間もなく左折してください・・」のメッセージが流れたが、その左折すべき橋の手前を通過したので橋を渡り切ったところを左折。

 暫らく川沿いを走って、左折して1車線の橋を渡りすぐに左折したが、それらしき建物が見当たらない・・・外観が黒っぽい箱型の建物が見えた。


(出典:伊丹十三記念館 公式HP 抜粋)

 どうやらこれが目的地の「伊丹十三記念館」らしい。駐車場に車を止めると2台の車があった。何とそのうちの1台は、幹事のKi夫妻の車である。すると、館内から夫妻が出てきた。
 「随分と時間が経っているのにここで再び会うとは・・・」と言うとKi夫妻も驚いたようで、「主人が時間をかけて観ていたので遅くなりました・・・」とのこと。少し、立ち話をして入館した。その後、再びKi夫妻と高速PAのレストランでバッタリと出会うとは・・・。(笑)

 ところで、この記念館にやって来る進入路が分かりづらく、Ki夫妻もやはり迷ったとのこと、当方たちも大回りをして来たと・・・双方で大笑い
 いささか、分かりづらい建物、さらに進入路も分かりづらいことがマイナスである・・・下調べが不十分だったかも。

 さて、駐車場から建物へ向かうと、館内の敷地の一角に伊丹十三氏の愛車「イギリスの高級車ベントレー」が展示されており、この高級車が訪れる人を出迎えてくれる・・・粋だね。
 
 そして、いよいよ入館。この日は、当方たちともう一組の若いカップルのお客さんのみであって、じっくりと様々な展示品を見ることができた。伊丹十三氏と言えば、俳優であったこと、映画監督であったこと・・・それ以外のことはよく知らなかったが、絵のうまさには驚き、文才のある方であったと驚き、素晴らしき才能に驚きの連続であった。

 伊丹十三氏の監督作品は、すべて観たものである・・・当時、映画の世界に新風が吹き込まれたと思った。その着眼点の素晴らしさに感動したことが思い起こされた。

 その映画の世界が、この記念館において再びよみがえってくることから、感動を禁じ得なかった。

 そして、この記念館は、少年時代から青年時代、壮年時代へと伊丹十三氏の成長の過程に沿った人間味豊かな、天才・奇才と呼ばれる所以を学ぶことができるスペースでもある。

 昭和初期に活躍された父・伊丹万作氏の生き様なども分かるようになっており、息子の伊丹十三氏の誕生と成長について父親の眼から見た感動すべき言葉が、壁面に書き込まれていた。思わず、立ち止まって読み、父・伊丹万作氏の子供たちへの愛情を感じ取る事ができる素敵な人である。

 10作品の映画を世に出した伊丹十三氏も何か思い悩まれることも多かったのだろうか、自らの命を絶たれる結果となった・・・凡人の我々には理解し難いことである。この記念館を訪れて改めて、伊丹十三氏の凄さが分かっただけに残念である。

 ところで、夫人の女優で館長の宮本信子さんが時折この記念館に帰られるとのこと、

 次回は、

 9 月30 日(金)13 時~16 時ごろ  10月1 日(土)11 時~15 時ごろ

  とのことであった・・・残念。(咲・夫)


[追 記]
 伊丹十三は、商業デザイナー、俳優、エッセイスト、TVマン、雑誌編集長、映画監督と興味のおもむくままに様々な分野の職業に分け入り、多彩な才能を発揮した人でした。
 また、音楽愛好家、猫好き、乗り物マニア、料理通など、趣味人としても一流の見識を持っていたことは、つとに有名でした。
 「常設展示室」には、伊丹十三の足跡を具体的な資料でたどることができるよう、十三の名前にちなむ13のコーナーが設けてあります。あなたはここで、伊丹十三という人物の未知の一面に出会うことになるでしょう。
(出典:伊丹十三記念館 公式HP 抜粋)


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