紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

奇跡のふたり

2007-09-25 15:03:25 | テレビ
 本日もNHKの番組である。教育テレビの午後10時25分~50分『知るを楽しむ/私のこだわり人物伝 9月/植木等ー世の中スイスイ「無責任」』の最終回。

 テキストは買ったものの、いままで一度も見なかった。でも今日は何が何でも見なければ。なにしろ案内役が彼の付き人だった、また愛弟子でもあり、実の親子より太い情でつながる小松政夫である。

 ・・・ということで、今日も就寝の日付が替わってしまうのを覚悟して観てきました。その甲斐あり、久々テレビで奇跡的に美しいものをみせていただいた、という気持になる。

 植木等(=おやじさん)のひとつひとつを語りながら、絶句し、慟哭する小松政夫に、思わず感情移入してしまう。植木等の、どんな陰りを帯びたときも淡々とした晴れやかな心。そんな決して自分で曇らせる事の無い賢明な植木等の人生、それと相似形をなす素直に澄み渡った小松政夫の人生が重なっている様子は、小松政夫の言葉以上に、小松政夫自身から立ち上って来て、見ていてそのあまりの美しさに呆然としてしまった。

 ひととひととは、こんな風に思いやり合って生きて行くこともできるんだ、と。いさぎよく、勇気を持って、あたたかく。小松政夫より、なにか大きな希望を貰ったように思う。

 それは昭和ののどかな時代だったから、ありえる話だった、と人はいうかもしれない。しかしこれを昔話にしてはいけない、と慟哭する小松政夫を見て、思う。

 愛する人を失うのはつらい。けれどそれ以上に、愛する人がいた人生を持てた事は、どんなに幸せだったかと思う。小松政夫の涙は喪失の悲しみだけではない。植木等と同じ時間を過ごした幸福な思い出を感謝する、溢れる思いだったような気がする。

お笑い☆生き物地球紀行

2007-09-24 23:36:58 | テレビ
 昨日ブログを書こうとPCの前に座り、沈思黙考していたら珍しくH氏が呼ぶ。「来て、来て~! ウツボカズラやで~」

 折しもNHKの(たぶんハイビジョン?)ネイチャー番組『生き物地球紀行』らしきものを放映中で、熱帯雨林のジャングルで巨大なウツボカズラが映る。その中にはなんとボウフラらしき生き物がうごめいているではないか! ウツボカズラは壺状の葉っぱの底に虫を誘い込んで補食する食虫植物である。これって自前で虫を養殖しているのだろうか? 途中から観たので、その辺りは謎である。

 次に世界一巨大な花、ラフレシアの登場である。ャPモンにも似たような名前の似たようなキャラがいるので、すっかり有名になった。沈んだ赤色に白っぽい斑点が入った、なんとも不気味な花である。しかも腐肉の臭いを発しハエなどの虫をおびきよせるという、とんでもない不吉な花である。私は子どもの頃、親戚のおさがりでいただいた『子ども百科』みたいな本でこの花の存在を知り、以来、アマゾンは恐ろしげな場所として刷り込まれた。もっとも「恐ろしい」ものは「魅惑的」なものでもあるので、いまだに中南米には大変惹かれている。

 一転コモド島に生息するコモドオオトカゲにチェンジする。涎をたらし蛇のように舌を出し入れする、ペットにするにはいかがなものか、と思われる生き物である。元・恐竜好きのH氏も「あいつはヨダレを垂らしてるからなぁ・・・」と彼に手を出すのは躊躇する模様。しかも肩で風をきってヨタヨタ歩く様は、どうも堅気とは思われない。

 そのとき、運悪くイノシシがこのトカゲの視界に入ってしまう。一瞬固まるふたり。一足早く我に返ったイノシシがくるりと向きを変え走り出す。ワンテンヲxれてトカゲが追いかける。えっ?! 早い! 早いぞ、トカゲ! あの、のったりとした動きは世を忍ぶ仮の姿だったのか?
 あっという間にイノシシに追いついたトカゲは、その凶暴な?本性をむき出しに、八つ裂きにしてイノシシを食す。満腹になったトカゲは、さも大満足といわんばかりに、ガニ股で肩で風を切り、のっしのっしと去ってゆく。

 そうかー、イノシシ撃退には、コモドオオトカゲがいいのか・・・野生の生き物による農作物の被害が出ているところは、要チェックな生き物である。

 しかしこの日、わたしたちに受けまくったのは、ハナカマキリという上品な姿態のカマキリである。その名の通り、ランなどの花そっくりの優雅な姿で、花に混じり獲物を待ち受ける、巧妙な擬態の肉食の昆虫である。
 蝶が蜜を吸おうとやってくる。至近距離まで来るや否や、両手を差し出して歓迎し「いらっしゃ~~い♪」とばかりにハグする。優雅な姿態とはウラハラに欠食児童のようにムシャムシャごっくんと一気に残さず食す。しかもカオのアップで判明したが、こいつの目は、楳図かずお先生描く『蛇女』にそっくり。

 夫婦でわいわい騒ぎつつ、爆笑しながら見る『生き物地球紀行』。もしかしたら、お笑い番組より笑いがぎっしりかもしれない。この番組自体のテイストにも、ほんのりとお笑い方向のそよ風が吹いているような気がするのだが・・・。

 

化粧地蔵

2007-09-23 23:36:45 | 季節
 きのう小学校の運動会までKちゃんを車で送っていったときのこと。

 信号待ちをしているときだったろうか、「おかーさん、これ! これ!」とKちゃんが言うので、振り向いて窓の外を見ると、白いお地蔵様が数体、祠の中にいらっしゃる。しかも黒い絵の具?で目鼻などが描かれている。これは、もしかすると・・・。

 「私、前からゆーてたやん、ここにめっちゃカワイイお地蔵様がいやはるて」

 え? そんなカワイイか??と、内心つぶやきつつ、
「これ、化粧地蔵と違うかな? 白黒モノトーンやけど。おかーさん、初めてみたわ~。感激~!!」

 化粧地蔵というのは、地蔵盆に子どもたちが絵の具でお地蔵さんを彩色するという、地域の伝統行事なのである。京都が発祥の地らしく滋賀県でも何カ所か見られるらしいが、私はつい最近apertureさんのブログ
「写真少年漂流記」で初めて拝見して知ったばかりである。(←トラックバック↓をご参照ください)

 私も子どもの頃、地蔵盆がたいへんに愉しみだった。女の子は浴衣を作ってもらい、ふわふわしたパステルカラーの帯を結んでもらい、地域の集会所へ夕方から集まって、お菓子を食べたり、肝試しをしたりして、夜遅くまで子どもだけ(小学生対象行事)で!遊んだ。高学年の子が責任者となり、ちいさい子の世話を焼き、お楽しみ会(各自出し物をしたり、ゲームをしたり)を仕切った。

 当日だけでなく、何日も前から「肝試し」の準備も極秘で行った。窒ナ骸骨を作ったり、お地蔵様周辺を飾る万国旗を描いたり、お菓子やジュースのセレクトや注文をしたり。当時は大人は田畑の仕事や家事のあれこれで忙しく、とても子どもの行事にまで手が回らなかったこともあり、子ども社会の中で、順送りにバトンを渡して行くシステムもあったので、結構子供会でいろいろと取り決め(学区の先生は参加している)、子どもだけでいろんなことをしていた。子どもだけ、というところが大事なのだ。

 そんな地蔵盆だったが、お地蔵様に化粧は施さなかったなぁ。マニアックにサウジアラビアの国旗を書くのも楽しかったけれど、お地蔵様に化粧も面白そうだなあ。

 さっきまで、地蔵マニアの方のブログなどを徘徊していて、子どもの手による化粧地蔵の破天荒な面白さ、あるいは、(たぶん)お母様の手による丁寧でマリー・ローランサンのようなパステルな色合いのお地蔵様など、たいへん興味深かった。表情もファンシーなキャラクターのようにかわいくほのぼのとしているもの、はじける笑顔、極悪!な地蔵というアンビバレンツなものまであって、見飽きない。日本には、こういう世界もあったのだ。

のほほん日和

2007-09-22 21:59:19 | 季節
 今日は運動会日和ともいうべき晴天で、青空の下、「天国と地獄」や「クシコスの郵便馬車」や各種マーチがあちこちで流れていたようだ。

 運動会日和とともに、稲刈り日和でもあり、午前中にはあちこちの車道をゆったりと稲刈り機が田んぼに向かって走っていた。お昼過ぎには苅られた稲の落ち穂を目当てに、白鷺がたむろしている田んぼも目撃する。藁が束ねられ、『三匹のコブタ』の長男のつくった藁の家を思わせるような小さな集落が田んぼに出現する。長男コブタたちの集落の出現。メルヘンである。オオカミはたぶん、来ない。

 いい天気にはなったが、真夏のような炎天下である。運動会プログラムの進行も、子どもたちの体調に充分に留意するため、先生方も気を揉まれたことであろう。

 昨年度小学校を卒業したKちゃんも、朝一より「PTAの綱引きに出る!」と母校の小学校へ元気に出かけたが、あまりの暑さに留意して、予定以上にたっぷり子どもたちの休憩時間(水分補給時間)をとるため、上記のプログラムは残念ながら割愛となった。Kちゃんは予想外の出来事にかなりガッカリだったようだが、それでも久々先生とおしゃべりができたため、なにかすっきりとした表情をしていた。

 今日はぞんぶんに地面の上を駆け抜けた子どもたちも多かったことだろう。走る、走る、走る! とんでもなく早い子どもたちのリレーは、エキサイティングで爽快ですらある。

 我家ではH氏の腹具合が疾走だった。脂汗を滴らせながら、珍しく寝込むH氏。本日の予定はすべてキャンセル。私は家族の送迎で、家と隣町を4往復、車で疾走した。

 本日駆け回った子どもたち、先生方、保護者の方々、大活躍の役員さんたち、どうもお疲れさまでした。明日からの連休で、リフレッシュしてください。H氏も、無理せずゆっくり寝るべし!

 と言う訳で、本日はぜんぜん「のほほん」ではなかったけれど、午前中に見た風景がたいへんに「のほほん」だったので、タイトルにしてみました。 

数寄者たち

2007-09-21 21:35:50 | 読書
 『へうげもの』第5服(巻)を読む。

 華麗、ゴージャス、舶来趣味で、数寄者としても大名たちのカリスマだった織田信長。彼亡き後、趣味悪過ぎの豊臣秀吉についてゆくことになる古田織部は、数寄で天下を取ることを自分に誓う。彼が最終的に越えなければならない壁は巨人・千利休。

 という流れになってきて、古田織部の数寄者としての「名声」はどんどん広まっていくのだが、そして本人もトップ・オブ・ザ・数寄に近づいていると自信満々なのだが・・・。

 金子を惜しまず金策に走り回り、彼がやっと建てた聚楽第の住居は、どうも大勘違いだったみたいで。あのずばっとした物言いが冴える千利休さえ、ホントのことを言ったら古織(古田織部)は大ショックだろうから可哀想すぎて言えないよ~、と困惑する。それもオリジナルならまだしも、物真似でしかない。

 しかも古織はそんな師匠の困惑顔にすら「ぐひひ、師匠がわしの侘び寂びの境地の高さに妬いておられる」と勘違いをさらに続投。

 締めは長谷川等伯の襖絵で、今回のクライマックスである。長谷川等伯は有名な『松林図』の屏風絵の人である。『松林図』は「わびさび」の極致といわれている。
 しかしこの襖絵の連なりには、古織ならずとも、のけぞるのけぞる! えええ~~っ、あの長谷川等伯がなぜにこんな現代アートを!??とのけぞった後、受けまくって爆笑! 作者、遊びすぎ(笑)

 侘び寂びのはずが、現代アート襖絵になり、激怒する古織は長谷川等伯に向け刃を抜く。しかしそこで千利休が「これはよい」と一言。
「ものまねでない古織さまらしさがあります」と絶讃するから、緊迫する画面は一転、『いなかっぺ大将』っぽく笑って誤摩化す古織に場面転換。
 そして以上のストーリーの章タイトルは、『カモナ・マイ・聚楽』。『カモナ・マイ・ハウス』というジャズのスタンダードをもじってある。

 ちなみに今回初登場、在野のキング・オブ・数寄者「ノ貫(へちかん)」は、私とKちゃんの大のお気に入りキャラ。そこにいるだけで和む(または笑える)キャラです。