「絶望した!」
・・・というと、だれがどう見ても “さよなら絶望先生” にしか見えない。
しかし、真に絶望を見た作家は “さよなら絶望先生” 程度の絶望ではすまないのは周知のとおり。
絶望というと何をひっぱり出すのが適当だろうか?
キェルケゴールの “死に至る病” でも出そうか?
これは違う気がする。
わざわざベタなキリスト教徒のフリをするという立場で書いているので、仏教国である日本人の魂には届かない。
では太宰治の “人間失格” でも出そうか?
これも違う気がする。
ある意味で波乱万丈すぎていて、現代における絶望と同じ意味を語ってはいない。
では絶望にふさわしい作品は誰か?
わたしだったら、あびゅうきょ氏(※1)のマンガをまっさきに推す。
氏の作品には “晴れた日に絶望が見える” や “絶望期の終り” などがある。
読んでみればわかるが、これら作品はとにかく絶望が深い。
これほど作者の闇が入魂されている作品もそうそう無いだろう。
氏の作品には、人生に, 世界に, 自分に, 政府に, ありとあらゆる意味で絶望した男が主人公として現れる。
これは作者そのものの代弁といっても間違いなかろう。
そして主人公に対応するかたちで女の子も登場する。
全部で2人しか登場人物が出てこないことも多い。
女の子は絶望して立ち止まる主人公を導く者として描かれる。
あるときは自己や未来はそれほど捨てたものではないと極僅かながらの絶望のなかに開いた穴を伝えて去っていく。
そしてそれを読んだものは、まだ絶望しきって何もせず全てを放棄する事を選択するには早過ぎるのだと気付く。
またあるときは強硬なまでに未来が無いことを示し、死を選択すべきであると伝えて去っていく。
そしてそれを読んだものは、まだ自分が死を選択すべきと判断するほどには絶望しきっていない事に気付く。
氏の描く女の子はとても美しい魂を持っている。
それは、ベタな萌え系のマンガとは全く異なる、とても純粋でとても神聖なものとして描かれる。
これは異性に絶望した男だからこそ理想像の女の子として描けるものだ。
氏は現代の日本に生きる全ての男を代弁して絶望しているのではなかろうか。
そして氏の体感した絶望のさらに先にあるもの、氏の著作にはそれが唯一描かれているのだ!
わたしも氏と同じく人類には絶望しているようなところがあり、また結婚しないで人生終わりそうだと考えるのも同じである。
氏の場合は、恋人も妻もいない人生の敗北者だと絶望する。
わたしは妻の維持費と住宅ローンと子供の養育費にまわすはずだったカネを長期投資に回し遊び金に使い、それはそれで余裕をもって楽しく生きているし、はなから老後はプチリッチな1人暮らしを満喫する予定である。
そもそも、自分のもてるほとんど全てに近い労力と時間と金銭と引き換えにしてもいいから死ぬまで一緒に過ごしたいと思えるような女がこの世にいるとも考えがたい。
そういうところからして、あびゅうきょ氏とわたしのいだく絶望の意味するところは天と地ほどの開きがある。
そのあびゅうきょ氏の絶望のさらに先にあるもの、それを垣間見るだけでも作品を読んでみてはいかがだろう?
実際、当人のコミケブースに立ち寄ったこともあるが、氏はかなりシャイな感じのする人物だ。
絶望というプレスを受け、そして鍛造した鋼のごとく静かにたたずむ魂、その入魂の作がそこにはある。
【※1 あびゅうきょ】
あびゅうきょ公式HP
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/
・・・というと、だれがどう見ても “さよなら絶望先生” にしか見えない。
しかし、真に絶望を見た作家は “さよなら絶望先生” 程度の絶望ではすまないのは周知のとおり。
絶望というと何をひっぱり出すのが適当だろうか?
キェルケゴールの “死に至る病” でも出そうか?
これは違う気がする。
わざわざベタなキリスト教徒のフリをするという立場で書いているので、仏教国である日本人の魂には届かない。
では太宰治の “人間失格” でも出そうか?
これも違う気がする。
ある意味で波乱万丈すぎていて、現代における絶望と同じ意味を語ってはいない。
では絶望にふさわしい作品は誰か?
わたしだったら、あびゅうきょ氏(※1)のマンガをまっさきに推す。
氏の作品には “晴れた日に絶望が見える” や “絶望期の終り” などがある。
読んでみればわかるが、これら作品はとにかく絶望が深い。
これほど作者の闇が入魂されている作品もそうそう無いだろう。
氏の作品には、人生に, 世界に, 自分に, 政府に, ありとあらゆる意味で絶望した男が主人公として現れる。
これは作者そのものの代弁といっても間違いなかろう。
そして主人公に対応するかたちで女の子も登場する。
全部で2人しか登場人物が出てこないことも多い。
女の子は絶望して立ち止まる主人公を導く者として描かれる。
あるときは自己や未来はそれほど捨てたものではないと極僅かながらの絶望のなかに開いた穴を伝えて去っていく。
そしてそれを読んだものは、まだ絶望しきって何もせず全てを放棄する事を選択するには早過ぎるのだと気付く。
またあるときは強硬なまでに未来が無いことを示し、死を選択すべきであると伝えて去っていく。
そしてそれを読んだものは、まだ自分が死を選択すべきと判断するほどには絶望しきっていない事に気付く。
氏の描く女の子はとても美しい魂を持っている。
それは、ベタな萌え系のマンガとは全く異なる、とても純粋でとても神聖なものとして描かれる。
これは異性に絶望した男だからこそ理想像の女の子として描けるものだ。
氏は現代の日本に生きる全ての男を代弁して絶望しているのではなかろうか。
そして氏の体感した絶望のさらに先にあるもの、氏の著作にはそれが唯一描かれているのだ!
わたしも氏と同じく人類には絶望しているようなところがあり、また結婚しないで人生終わりそうだと考えるのも同じである。
氏の場合は、恋人も妻もいない人生の敗北者だと絶望する。
わたしは妻の維持費と住宅ローンと子供の養育費にまわすはずだったカネを長期投資に回し遊び金に使い、それはそれで余裕をもって楽しく生きているし、はなから老後はプチリッチな1人暮らしを満喫する予定である。
そもそも、自分のもてるほとんど全てに近い労力と時間と金銭と引き換えにしてもいいから死ぬまで一緒に過ごしたいと思えるような女がこの世にいるとも考えがたい。
そういうところからして、あびゅうきょ氏とわたしのいだく絶望の意味するところは天と地ほどの開きがある。
そのあびゅうきょ氏の絶望のさらに先にあるもの、それを垣間見るだけでも作品を読んでみてはいかがだろう?
実際、当人のコミケブースに立ち寄ったこともあるが、氏はかなりシャイな感じのする人物だ。
絶望というプレスを受け、そして鍛造した鋼のごとく静かにたたずむ魂、その入魂の作がそこにはある。
【※1 あびゅうきょ】
あびゅうきょ公式HP
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/