(・・・つづき、前回はフィギュアが突然有名になった事情について)
さて、当時のフィギュアは色も塗っていないバラバラ死体である。
そして買い求めたあと、自分で色を塗り組み立てる時代だった。
ところがこれはかなり難易度が高い。
実際わたしは当時のを買ったことがないのではっきりはわからないが、当時のフィギュアは当時のガンプラよろしく、見たらわかるほど型のつなぎ目が大きかったはずで、しかもこれはガンプラで発生しているよりもフィギュアで発生しているほうが遥かに目立つため自力で修正しなければならない。
塗装にしたってかなり難易度が高い。
それなりに大きなフィギュアを色むらなく塗装しなければならない。
ガンプラの場合はそれっぽい色のスプレー缶を買ってきて吹き付けるだけでそれっぽい物にしあがるし、なにより始めっからそれなりに色がついているので初心者は色を塗るほどまでしなくても良い。
ところがフィギュアの場合はそうもいかず、それっぽい色がない場合も多く、しかもキャラが好きであればあるほど色の違いが気になってくるというガンプラにはない副作用が発生する。
それに、塗料がかわく前と後で色が異なるので、それを予め考慮に入れておけるだけの技量がなくてはならない。
最低でもエアブラシ使いとなることは必須である。
そして何より難しいのは、凹凸の乏しい眼球にホンモノよろしく多彩な色をのせなければならないことだった。
これは金型技術の都合かもしれないが、当時のフィギュアは直立不動体勢の可愛げに欠けるポーズのものも案外多かった気がする。
関節が自由に動くガンプラではありえない悩みである。
腕前がある者の中にはそれも自力で修正するものもいた。
当時、フィギュアに手を出すということはかなり難易度の高い所業であった。
初心者はまずガンプラを組み立てるだけのところから始めた。
そして中級者になると、ガンプラを塗装したりプチ改造したりするところに進む。
その後になると道がわかれる。
ガンプラの箱の参考例を上回る完成度を目指して達人となるべく修行する者もいた。
モビルスーツよりもさらに複雑で難易度が高くしかも高価なモーターヘッドの製作に手を出す者もいた。
さらに自由な造詣をもとめ、プラモデルという半完成品に頼ることなくフルスクラッチに挑戦する者もいた。
ガンプラでモデルの製作に自信をつけ、そろそろフィギュアに手を出してみようかという者もいた。
だから、フィギュアに手を出すということは、当時ではそれなりに腕を磨いたものだけが口にできる栄光であったのだ。
プラモも上級者になると硬派な漢が増える傾向にある。
だからフィギュアに手を出すというと、ナンパなほうへひよったヤツだと思われるフシもたしかにあった。
しかし、フィギュアに手を出せるだけの腕前を持っていることは尊敬された。
当時は趣味でフィギュアをやるということは人に誇れる過酷で立派な趣味だったのだ。
(ちなみにわたしはというと、とうとうガンプラの腕前は中級者どまりに終わってしまった。
フィギュアもやってみたかったが、とてもじゃないがあの眼球の色は塗れそうにないと思ってあきらめた。
結局その先へは進むこともなく、その代わりになぜか電子工作の道を歩むことになる。
それが人生を決めてしまうわけだが、それはまた別の機会にでも語ることとしよう。)
しかし今はどうだろう。
自他ともに認めるアニオタであっても、
「趣味はフィギュア」
というのははばかられる。
今でもフルスクラッチで市販されていないフィギュアを自作する凄腕の者もたしかにいるが、そんなのはかなりの少数派でしかない。
いまのフィギュアは買って部屋に置くだけの趣味に成り下がってしまったからだ。
たぶんいま技量のある者たちはみずからのことを
「趣味はフィギュア」
とは言わず
「趣味はフルスクラッチ」
と語るであろう。
それくらい時代は変わってしまったのだ。
当時、ちゃんとした完成品が市販される時代がいずれやって来るだろうとは思っていた。
それは思いのほか短時間でやってきた。
いざそれがやってきてしまえば、もはやそれがアタリマエにしか見えなくなった。
別に当時の半完成品フィギュアが懐かしいわけでも何でもないが、当時の凄腕のフィギュア職人の人たちはいったいどこにいってしまったのだろうと、ふとそう思うわけである。
ひょっとしたら魔改造にでも明け暮れているのだろうか・・・?