今日はアイマス最大の禁忌に触れてしまうかもしれん。
貧乳派のわたしがチチキングあずさを語ってみようではないかと思うのだ。
あずさ派のアイマス師匠の逆鱗に触れるかもしれんのだが、そのへんは戯言ということでカンベンしてほしい。(^^;
【ニコニコ動画】アイドルマスター 「I Want」全員分
まず↑これを見よう。
ナイトメアブラッドという衣装を着た全員分である。
あなたの目は誰に釘付けになるだろうか?
最後に登場する、究極にセクシーバディーなあずさ。
そう答えるのは正常の範囲内である。
わたしはどうだろうか。
あずさのセクシーバディーはどーでもいい。
ナイトメアブラッドならぬナイムネガフラットと称される千早にしか目が行かない。
それが貧乳派の貧乳派たる持病なのである。
【ニコニコ動画】アイドルマスター 千早 あずささん 真 GO MY WAY 体操服
つぎに↑これを見てみよう。
セクシー路線たるナイトメアブラッドの正反対に位置する体操服を着せたものだ。
これをあなたはどう見るか?
ナイムネガフラットのときの千早よりはまだ見れると思うかもしれない。
あずさはもっとセクシー衣装のほうが似合うと思うかもしれない。
わたしはどうだろうか。
千早は何を着てもかわいい。
そこまでは想定の範囲内だ。
また、あえて言うならば、想定の範囲内程度にかわいい。
ところがどっこい、この動画の見所はそこだけではない。
体操服のあずさは貧乳派のわたしが見てもなかなかにグッと来るものがあるのだ。
体操服のあずさは、何だかわからないけどドキドキするほどかわいい。
これはいったい何なのだろう?
ナイトメアブラッドほどはチチキング的なものを意識させないデザインだからだろうか。
確かにそれもあるかもしれない。
しかし、それ以外にも何かが潜んでいる気がしてならない。
体操服の千早はフツーにあり得そうだ。
しかし、体操服のあずさはフツーにはあり得そうにはない。
体操服の千早にはなくて、体操服のあずさにだけあるもの。
それが事の本質である。
体操服のあずさを見ていると、なんだかこう、目覚めてはいけない何モノかに目覚めてしまいそうな、背徳的な何かを感じる。
そしてこの何モノかに目覚めてしまいそうなあずさの衣装は実に数が少ない。
何だろうかこの感情は・・・?
これがギャップ萌えというものではなかろうか!?
ギャップ萌えとは、本来ありえない組み合わせを持つキャラクターの魅力について語るときに使われる。
たとえば・・・
【ニコニコ動画】はぴねす! 渡良瀬準 画像
↑こんなやつ。
しょんじょそこいらの女の子なぞ話にならんほど可愛らしい。
けれども男。
これを人呼んで “男の娘” という。
そして紳士をして
「こんなにかわいい子が女の子のはずがない」
とまで言わしむる。
【ニコニコ動画】【化物語】ひたぎのツンドラカルタ
↑こんなやつ。
いつもは美人の優等生。
けれども二人っきりのときは主人公を罵倒しまくり殺人予告など日常茶飯事。
けれども稀にサラッとデレたことも言う。
そこをして紳士はツンデレならぬツンドラと称し愛を受け入れる。
これでわかってもらえたであろう。
貧乳派は本質的にギャップ萌えを理解しているのだ。
貧乳の女の子にはセクシー衣装を着せ、その少しだけしかないことを強調されたおっぱいを見て愛でる。
巨乳の女の子には子供っぽいロリ衣装を着せ、ロリチックなんだけど実は良く見るとセクシーなダイナマイトバディーという、その美しいスタイルを見て愛でる。
ベタベタな萌えよりも、むしろそのほうが萌えるとは思わないだろうか?
世の中にはおっぱいを強調しすぎた作品があまりにも多すぎる。
これはハチミツに砂糖をまぶして食べる行為に等しい。
海原雄山が貧乳派だったとしたら、きっと
「全く・・・アメリカ人好みのあさましい食い物だ・・・」
と、巨乳女優のセクシー水着グラビアを見てそう評価するだろう。
海原雄山を満足させるためには、貧乳が胸の内に隠れきっているように、隠し味に桑の実を入れてうならせるしかないのである。
シロウトならばそれでも良い。
巨乳女優のセクシー水着グラビアを見て愛でるだけでもいい。
我々のように二次元に精通したクロウトはそれだけを愛でるようであってはならない。
眼球で見るのではなく、心の目で見る。
わずかに垣間見える本質の姿をとらえて愛でる。
それこそが本来到達すべき楽しみ方であると、わたしはそう思えてならないのだ!
巨乳にしたいなら、いくらでも大きくすればいい。
大きく描くだけならいくらでも大きく描ける。
けれどもそれで満足だろうか?
それを自問自答したとき、はじめてあずさの巨乳を愛でることができるというものだ。
貧乳派のわたしがチチキングあずさを語ってみようではないかと思うのだ。
あずさ派のアイマス師匠の逆鱗に触れるかもしれんのだが、そのへんは戯言ということでカンベンしてほしい。(^^;
【ニコニコ動画】アイドルマスター 「I Want」全員分
まず↑これを見よう。
ナイトメアブラッドという衣装を着た全員分である。
あなたの目は誰に釘付けになるだろうか?
最後に登場する、究極にセクシーバディーなあずさ。
そう答えるのは正常の範囲内である。
わたしはどうだろうか。
あずさのセクシーバディーはどーでもいい。
ナイトメアブラッドならぬナイムネガフラットと称される千早にしか目が行かない。
それが貧乳派の貧乳派たる持病なのである。
【ニコニコ動画】アイドルマスター 千早 あずささん 真 GO MY WAY 体操服
つぎに↑これを見てみよう。
セクシー路線たるナイトメアブラッドの正反対に位置する体操服を着せたものだ。
これをあなたはどう見るか?
ナイムネガフラットのときの千早よりはまだ見れると思うかもしれない。
あずさはもっとセクシー衣装のほうが似合うと思うかもしれない。
わたしはどうだろうか。
千早は何を着てもかわいい。
そこまでは想定の範囲内だ。
また、あえて言うならば、想定の範囲内程度にかわいい。
ところがどっこい、この動画の見所はそこだけではない。
体操服のあずさは貧乳派のわたしが見てもなかなかにグッと来るものがあるのだ。
体操服のあずさは、何だかわからないけどドキドキするほどかわいい。
これはいったい何なのだろう?
ナイトメアブラッドほどはチチキング的なものを意識させないデザインだからだろうか。
確かにそれもあるかもしれない。
しかし、それ以外にも何かが潜んでいる気がしてならない。
体操服の千早はフツーにあり得そうだ。
しかし、体操服のあずさはフツーにはあり得そうにはない。
体操服の千早にはなくて、体操服のあずさにだけあるもの。
それが事の本質である。
体操服のあずさを見ていると、なんだかこう、目覚めてはいけない何モノかに目覚めてしまいそうな、背徳的な何かを感じる。
そしてこの何モノかに目覚めてしまいそうなあずさの衣装は実に数が少ない。
何だろうかこの感情は・・・?
これがギャップ萌えというものではなかろうか!?
ギャップ萌えとは、本来ありえない組み合わせを持つキャラクターの魅力について語るときに使われる。
たとえば・・・
【ニコニコ動画】はぴねす! 渡良瀬準 画像
↑こんなやつ。
しょんじょそこいらの女の子なぞ話にならんほど可愛らしい。
けれども男。
これを人呼んで “男の娘” という。
そして紳士をして
「こんなにかわいい子が女の子のはずがない」
とまで言わしむる。
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↑こんなやつ。
いつもは美人の優等生。
けれども二人っきりのときは主人公を罵倒しまくり殺人予告など日常茶飯事。
けれども稀にサラッとデレたことも言う。
そこをして紳士はツンデレならぬツンドラと称し愛を受け入れる。
これでわかってもらえたであろう。
貧乳派は本質的にギャップ萌えを理解しているのだ。
貧乳の女の子にはセクシー衣装を着せ、その少しだけしかないことを強調されたおっぱいを見て愛でる。
巨乳の女の子には子供っぽいロリ衣装を着せ、ロリチックなんだけど実は良く見るとセクシーなダイナマイトバディーという、その美しいスタイルを見て愛でる。
ベタベタな萌えよりも、むしろそのほうが萌えるとは思わないだろうか?
世の中にはおっぱいを強調しすぎた作品があまりにも多すぎる。
これはハチミツに砂糖をまぶして食べる行為に等しい。
海原雄山が貧乳派だったとしたら、きっと
「全く・・・アメリカ人好みのあさましい食い物だ・・・」
と、巨乳女優のセクシー水着グラビアを見てそう評価するだろう。
海原雄山を満足させるためには、貧乳が胸の内に隠れきっているように、隠し味に桑の実を入れてうならせるしかないのである。
シロウトならばそれでも良い。
巨乳女優のセクシー水着グラビアを見て愛でるだけでもいい。
我々のように二次元に精通したクロウトはそれだけを愛でるようであってはならない。
眼球で見るのではなく、心の目で見る。
わずかに垣間見える本質の姿をとらえて愛でる。
それこそが本来到達すべき楽しみ方であると、わたしはそう思えてならないのだ!
巨乳にしたいなら、いくらでも大きくすればいい。
大きく描くだけならいくらでも大きく描ける。
けれどもそれで満足だろうか?
それを自問自答したとき、はじめてあずさの巨乳を愛でることができるというものだ。