ひさびさに何気なくTVを見ていたら、とある経済についての番組をやっていた。
その経済番組が限度を超えて酷すぎたので、ちょいとここで書いてみたい。
その番組の趣旨はこうだ。
・理解できないような複雑な金融商品を作ったから悪い
・アメリカの企業が儲け主義に走りすぎたから失敗した
・いま新たに儲け主義に走りはじめており、また同じ失敗を繰り返そうとしている
これを見てあなたはどう思うか?
何だかわからんが特定の政治臭が漂ってきていると、わたしはそう思った。
また、この言いがかりにデジャブを感じた。
そのデジャブの元凶は1980年代後半にあった。
今でこそアタリマエだが、その頃はコンピュータによる制御というのが一般的になりつつあった時代だ。
そしてその変革期、日教組や赤い人たちはこぞってコンピュータに対するネガティブキャンペーンを行っていた。
その趣旨はこうだ。
・コンピュータのような理解できないような複雑なものを作るのは悪いことだ
・企業がコンピュータを使って効率を追求するような儲け主義に走っている現状では、いつか必ず失敗するに決まっている
・文明を発達させたおかげで第二次世界大戦のような悲惨な出来事が起きており、また同じ失敗を繰り返そうとしている
その頃のコンピュータ批判と今回のTV番組の趣旨は、こいつらおどろくほど似ているとは思わないだろうか?
そしてこれらはもう1つ共通することがある。
1980年代後半の当時、コンピュータを大々的に批判している人たちのほとんどは、実際にキーボードもさわった事もないほどコンピュータに対して無知だった。
まだワープロソフトを使った事があるとか、プログラミングをかじった経験があるとか、それくらいなら許せるかもしれない。
だが、感情的に批判している人たち(当時の小中学校の教員たち)は、わたしが知る限り全員がコンピュータに対して無知なこと極まりない酷いヤツらだった。
さて今回。
理解できないような複雑な金融商品を作ったから悪いと批判している人たち。
こいつらどの程度理解しているのだろうか。
自分から「理解できないような」と言っていることからして、ほんの少しも理解しているフシを感じられない。
だいたいひどいマスコミなんか、経済欄担当記者のくせしてCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)のことをクレジット・デリバティブ・スワップなんて書いている記事を見たこともあるくらいなのだから、彼らの程度なんかたかが知れている。
もし批判するにしてもだね、たとえば・・・
持っている債権のリスクヘッジのためにCDSを使うのは正しい。
本来的な意味からすればCDSには存在意義がある。
しかし、ヘッジするための資産も持ってないのにCDSを使うのは良くない。
そうすると該当の会社が倒産すると儲けが出るようになる。
会社が倒産するように画策するヤツらが出てくるようになるので、景気の悪化が加速される可能性がある。
フルヘッジを上回るCDSの買いポジションを持つことに何らかの規制をかけるべきではなかろうか。
・・・とでも言ってくれればまだ納得する。
ところが、CDSやらMBSやらのことを全部ひとくくりにして「理解できないような複雑な金融商品」と言い、「だから悪い」と結論付けるのは、あまりにも頭が悪いと言わざるを得ない。
自分で理解できないならちゃんと理解するまで勉強して、そのうえでどいういう面では良くてどういう面では悪いかを語るのがスジであろう。
自分の頭が悪いことを人のせいにするのはいかがなものかと思ってしまうわけだ。
せっかくTVのニュースでやってるくらいなんだから、せめて経済をまともに勉強したことのないタダのアニオタのわたしより遥かにレベルの低いことをやるのはやめてほしい。
いや、そういうレベルの低いことしかできないほどTV局のレベルが低下したからこそ、TVというメディアが落ちぶれつつあるとも言えるのかもしれない。
こんなレベルの低いTV局は淘汰されて当然だ。
それからもう1つ。
アメリカの企業が儲け主義に走りすぎていて、また同じ失敗を繰り返そうとしている説。
儲け主義に走りすぎだというのは確かにそう思う。
株主利益に傾注しすぎていて、長期投資が困難になり、短期で利益が出る方策にばかり手を打たなければならなくなっている現状は良いとは言いがたい。
そのおかげてGMは燃費は良いが利益率の低い小型車の開発を怠ることになり倒産したし、かつて真空管を作っていたアメリカの企業で半導体を作れる会社は1つもないし、弊害は少なからずある。
しかし、また同じ失敗を繰り返そうとしていると批判するのは何かがおかしい。
アメリカが失敗した理由をよく検討し、同じ失敗をしないように規制をかけるべきである。
たとえば銀行の自己資本比率規制だとか、銀行と証券会社の役割分担とかの施策がそれに当たる。
いまある法規制のなかで企業が儲け主義に走っても経済全体が大失敗しないようにするべきだろうし、競争が激化しすぎてギリギリな危ない橋をわたらないとやっていけないヤツらがわんさか増えるのも避けるべきかもしれない。
もちろんそういう事を考えているヤツらは政府にもいる。
これから発生しそうな規制がどんな内容でどんな経済的トレードオフがあるのかには興味がある。
だからTV番組ではそういうことをやってほしい。
単に企業のモラルを批判するだけだった例の番組に出てきたヤツら。
こいつらの言うとおりにしていたら、それこそまた同じ失敗を繰り返すのは必然である。
我々はどうすべきだったのかをちゃんと解説してほしいし、だれでもできるモラル批判に終始するようでは、あまりにも頭が悪いとは思わないだろうか。
企業は儲けを追及するものだ。
その儲けのいくらかは社員の懐にも入り、社会にも還元され、国家の財政にも貢献する。
だがヤツらは企業が儲けることそのものが悪だとでも言わんばかりに批判の声を強める。
さて、企業が儲けることそのものが悪だと言っている人がどこかにいたのを知っているだろうか?
マルクス主義者である。
ようするに赤い人たち。
彼らの主張によれば、社員と社会と国家の取り分が企業の取り分によって減っていると考える。
これがどこまで正しいかどうかはここでは議論するまい。
ついでに言うと、彼らの理想とする共産主義の計画経済下では、モノの価格は国が決めるし企業の運営は国がする。
だから彼らの言うところの「理解できないような複雑な金融商品」というものが発生する余地はない。
さて、これでピンときただろう。
1980年代後半のコンピュータ批判も赤い人たちだった。
さきのTVの頭の悪い経済番組は赤い人が作っている疑いが濃厚だ。
彼らは
「我々は庶民の見方ですよ」
という顔をしてやってくる。
こういう顔をしてやってくるヤツらが一番危険だ。
ヒトラーだって庶民の見方という顔をしてやってきた。
(まるで韓国のように(笑))民族主義者だということでマスコミには右翼扱いされているが、それは正しい認識とは言いがたい。
あれは国家社会主義ドイツ労働党ということからしても主張するところは左翼(赤い人)的な傾向のほうがかなり強い。
なぜ右翼扱いされたままなのかというと、ヒトラーが赤い人だったとバレてしまい、赤い人とはヒトラーなみであると世間に認識されると困る人がマスコミにも大勢いるからだという仮説は十分なりたつ。
わたしがこの後に何を言いたいか、ここまで読んでくれたみなさんなら十分お分かりいただけるかと思っている。
その経済番組が限度を超えて酷すぎたので、ちょいとここで書いてみたい。
その番組の趣旨はこうだ。
・理解できないような複雑な金融商品を作ったから悪い
・アメリカの企業が儲け主義に走りすぎたから失敗した
・いま新たに儲け主義に走りはじめており、また同じ失敗を繰り返そうとしている
これを見てあなたはどう思うか?
何だかわからんが特定の政治臭が漂ってきていると、わたしはそう思った。
また、この言いがかりにデジャブを感じた。
そのデジャブの元凶は1980年代後半にあった。
今でこそアタリマエだが、その頃はコンピュータによる制御というのが一般的になりつつあった時代だ。
そしてその変革期、日教組や赤い人たちはこぞってコンピュータに対するネガティブキャンペーンを行っていた。
その趣旨はこうだ。
・コンピュータのような理解できないような複雑なものを作るのは悪いことだ
・企業がコンピュータを使って効率を追求するような儲け主義に走っている現状では、いつか必ず失敗するに決まっている
・文明を発達させたおかげで第二次世界大戦のような悲惨な出来事が起きており、また同じ失敗を繰り返そうとしている
その頃のコンピュータ批判と今回のTV番組の趣旨は、こいつらおどろくほど似ているとは思わないだろうか?
そしてこれらはもう1つ共通することがある。
1980年代後半の当時、コンピュータを大々的に批判している人たちのほとんどは、実際にキーボードもさわった事もないほどコンピュータに対して無知だった。
まだワープロソフトを使った事があるとか、プログラミングをかじった経験があるとか、それくらいなら許せるかもしれない。
だが、感情的に批判している人たち(当時の小中学校の教員たち)は、わたしが知る限り全員がコンピュータに対して無知なこと極まりない酷いヤツらだった。
さて今回。
理解できないような複雑な金融商品を作ったから悪いと批判している人たち。
こいつらどの程度理解しているのだろうか。
自分から「理解できないような」と言っていることからして、ほんの少しも理解しているフシを感じられない。
だいたいひどいマスコミなんか、経済欄担当記者のくせしてCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)のことをクレジット・デリバティブ・スワップなんて書いている記事を見たこともあるくらいなのだから、彼らの程度なんかたかが知れている。
もし批判するにしてもだね、たとえば・・・
持っている債権のリスクヘッジのためにCDSを使うのは正しい。
本来的な意味からすればCDSには存在意義がある。
しかし、ヘッジするための資産も持ってないのにCDSを使うのは良くない。
そうすると該当の会社が倒産すると儲けが出るようになる。
会社が倒産するように画策するヤツらが出てくるようになるので、景気の悪化が加速される可能性がある。
フルヘッジを上回るCDSの買いポジションを持つことに何らかの規制をかけるべきではなかろうか。
・・・とでも言ってくれればまだ納得する。
ところが、CDSやらMBSやらのことを全部ひとくくりにして「理解できないような複雑な金融商品」と言い、「だから悪い」と結論付けるのは、あまりにも頭が悪いと言わざるを得ない。
自分で理解できないならちゃんと理解するまで勉強して、そのうえでどいういう面では良くてどういう面では悪いかを語るのがスジであろう。
自分の頭が悪いことを人のせいにするのはいかがなものかと思ってしまうわけだ。
せっかくTVのニュースでやってるくらいなんだから、せめて経済をまともに勉強したことのないタダのアニオタのわたしより遥かにレベルの低いことをやるのはやめてほしい。
いや、そういうレベルの低いことしかできないほどTV局のレベルが低下したからこそ、TVというメディアが落ちぶれつつあるとも言えるのかもしれない。
こんなレベルの低いTV局は淘汰されて当然だ。
それからもう1つ。
アメリカの企業が儲け主義に走りすぎていて、また同じ失敗を繰り返そうとしている説。
儲け主義に走りすぎだというのは確かにそう思う。
株主利益に傾注しすぎていて、長期投資が困難になり、短期で利益が出る方策にばかり手を打たなければならなくなっている現状は良いとは言いがたい。
そのおかげてGMは燃費は良いが利益率の低い小型車の開発を怠ることになり倒産したし、かつて真空管を作っていたアメリカの企業で半導体を作れる会社は1つもないし、弊害は少なからずある。
しかし、また同じ失敗を繰り返そうとしていると批判するのは何かがおかしい。
アメリカが失敗した理由をよく検討し、同じ失敗をしないように規制をかけるべきである。
たとえば銀行の自己資本比率規制だとか、銀行と証券会社の役割分担とかの施策がそれに当たる。
いまある法規制のなかで企業が儲け主義に走っても経済全体が大失敗しないようにするべきだろうし、競争が激化しすぎてギリギリな危ない橋をわたらないとやっていけないヤツらがわんさか増えるのも避けるべきかもしれない。
もちろんそういう事を考えているヤツらは政府にもいる。
これから発生しそうな規制がどんな内容でどんな経済的トレードオフがあるのかには興味がある。
だからTV番組ではそういうことをやってほしい。
単に企業のモラルを批判するだけだった例の番組に出てきたヤツら。
こいつらの言うとおりにしていたら、それこそまた同じ失敗を繰り返すのは必然である。
我々はどうすべきだったのかをちゃんと解説してほしいし、だれでもできるモラル批判に終始するようでは、あまりにも頭が悪いとは思わないだろうか。
企業は儲けを追及するものだ。
その儲けのいくらかは社員の懐にも入り、社会にも還元され、国家の財政にも貢献する。
だがヤツらは企業が儲けることそのものが悪だとでも言わんばかりに批判の声を強める。
さて、企業が儲けることそのものが悪だと言っている人がどこかにいたのを知っているだろうか?
マルクス主義者である。
ようするに赤い人たち。
彼らの主張によれば、社員と社会と国家の取り分が企業の取り分によって減っていると考える。
これがどこまで正しいかどうかはここでは議論するまい。
ついでに言うと、彼らの理想とする共産主義の計画経済下では、モノの価格は国が決めるし企業の運営は国がする。
だから彼らの言うところの「理解できないような複雑な金融商品」というものが発生する余地はない。
さて、これでピンときただろう。
1980年代後半のコンピュータ批判も赤い人たちだった。
さきのTVの頭の悪い経済番組は赤い人が作っている疑いが濃厚だ。
彼らは
「我々は庶民の見方ですよ」
という顔をしてやってくる。
こういう顔をしてやってくるヤツらが一番危険だ。
ヒトラーだって庶民の見方という顔をしてやってきた。
(まるで韓国のように(笑))民族主義者だということでマスコミには右翼扱いされているが、それは正しい認識とは言いがたい。
あれは国家社会主義ドイツ労働党ということからしても主張するところは左翼(赤い人)的な傾向のほうがかなり強い。
なぜ右翼扱いされたままなのかというと、ヒトラーが赤い人だったとバレてしまい、赤い人とはヒトラーなみであると世間に認識されると困る人がマスコミにも大勢いるからだという仮説は十分なりたつ。
わたしがこの後に何を言いたいか、ここまで読んでくれたみなさんなら十分お分かりいただけるかと思っている。