教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

なぜアイテム課金は後ろめたいのか

2011-10-02 00:07:14 | オタネタ全般
はじめに言っておく。
わたしはネトゲはほとんどやっていない。
モバゲにいたってはやったことすらないから、モバゲのアイテム課金をしようと思うような場面に遭遇すらしたことがない。

しかし!

今日はモバゲのアイテム課金について語るという暴挙を成す。

なぜか?

わたしは、アイテム課金などというものがない(またはオマケ要素でしかない)、コンシューマーゲームやPCゲームやアーケードゲームのユーザーの立場としてゲームを語ることができる。
だからここで、ネトゲやモバゲではない、古参ゲーマーの立場を代表して語りたい。



我々はゲーマーである。
ときには自宅で寝食を忘れてギャルゲーのヒロインと時を共に過ごすこともあるし、ときにはゲーセンでシューティングにコインを投下し死に物狂いで弾を避けることもある。
それが我々の人生だ。

我々は世間の一般人とくらべるとゲームに投下する銭の額は桁が何個も違うほど多いかもしれない。
そんな我々は、ともすればアイテム課金に走る人間の立ち位置に最も近いかのようにも見えてしまう。

しかし!

そんな我々でもアイテム課金は後ろめたい。
後ろめたい・・・というか、安易にアイテム課金をしてしまうと何か誇りを失ってしまうかのような、美学的に受けつけないものをそこに感じる。

どうしてなのか?

アイテム課金はゲーマーが最も重視していることを全否定するものだからだ。



ゲーマーが最も重視していること、それは何か?

ゲームに熟練して達成することである。

たとえばRPGでは、レベルを上げて最も強いとされるラスボスを討伐すること。
たとえばギャルゲーでは、ヒロインと共に時を重ね続けて幸せな人生を謳歌すること。
たとえば格ゲーでは、難易度の高いコンボの練習をして強い敵の僅かな隙をついて倒すこと。
たとえばシューティングでは、絶対に避けられそうもない狂気の弾幕を避ける腕前を身につけること。

それがゲームにおける熟練して達成することである。
そしてこれには「熟練」と「達成」の両方が必須である。

しかし中には、「熟練」がなくて「達成」だけがカンタンに手に入るモノも世にはある。
それがアイテム課金の成果である。



ゲーセンにある格ゲーの対戦台で例えてみよう。

くる日もくる日もコンボの練習をし、ボタンを押してから発動までのモーションの長さを理解し、当たり判定の僅かな違いを体で憶えた猛者の人たち。
かたやひょっこり現れたただの素人。
このどちらが強いだろうか?

そんなものは質問するだけ無駄である。
格ゲーの対戦台は熟練度がとても大きく左右し、ラッキーで覆せるような範囲は意外なほど僅かしかない。
将棋で有段者に素人が勝てないのと同じである。

ではここでアイテム課金のようなシステムが登場したとしたらどうなるだろうか?

100円入れればふつうの対戦。
さらに300円入れれば相手の必殺技が全て無効。
さらに500円入れれば300円課金のヤツにも必殺技が当たる特殊効果を追加。

これはどうだろうか?

300円入れればひょっこり現れた素人でもスコアランカークラスの達人にさえ勝てるかもしれない。
300円入れたヤツはゲームに精通するという「熟練」がないにもかかわらず、相手を倒したという「達成」だけを味わう。
そしてさらに500円入れたヤツが現れていずれ負ける。

アイテム課金とはそういうものだ。

これでゲームが成り立つのだろうか?

成り立たない。
こんなものでは客はつかないからだ。
ゲーマーが重視している、ゲームに熟練して達成することを全否定しているからだ。

我々はアイテム課金は後ろめたいと感じる。
理由はこのような価値観によるものだ。
だからこんな格ゲーがあったとしてもゲーマーは誰も寄り付かない。



しかし!

昨今はモバゲのアイテム課金が大流行しているではないか!
これは言ってることと違うじゃないか?

いやまて。
これにはカラクリがある。

格ゲーで超必殺技のゲージはランダムでたまることになっていて、確率的には10試合に1回くらいしか撃てないとしよう。
しかし300円のアイテム課金をすれば1試合に2回づつそのゲージがmaxまでたまり、10試合すると壊れるとする。

相手の攻撃は自分がレバーを逆方向に倒して防御しなければ防げない。
しかし300円のアイテム課金をすれば1/2の確率で本来食らうはずだった相手の攻撃を自動防御してくれ、これも10試合すると壊れるとする。

本来ならば”レバー半回転+ABボタン同時押し”のような少々複雑な操作をしなければ出ない必殺技があるとしよう。
しかし300円のアイテム課金をすれば”→+A”で出るようになるとし、これまた10試合すると壊れるとする。

だが基本料は無料という”自称”親切設計。

これならどうだろうか?

これもまた達人と素人の腕前の差を銭で埋めるという意味では同じである。
しかし対戦相手には自分が重課金プレーヤーだから勝ったということがバレない。
対戦相手の達人からすれば相手のほうが巧かっただとか相手はラッキーに支えられたのだとあきらめるところだ。

とはいえ、こういうゲームにはそもそも対戦相手となるアイテム課金していない達人というものは存在しえない。
アイテム課金していないヤツらは単に無料だから遊んでいるだけであって、そんなゲームに達人になるまで熟練することに意義を見出さない。
そしてこの無料プレーヤーは「熟練」がないにもかかわらず相手を倒したという「達成」だけを味わいたい課金プレーヤーのためのエサとなる。
カンタンに勝てて気を良くした課金プレーヤーは、いつの間にやらパチンカスかと見まごうほどに月何万もアイテム課金に銭を使い、自分の実力で成したのではない偽りの勝利に酔いしれていくことになっていくという寸法だ。

これがアイテム課金のカラクリである。
そしてこういう形で与えられる勝利は我々ゲーマーの最も望まない形での勝利なのだ。
極論すれば相手にお金を渡してわざと手加減してくれと言っているようなものではないか!



ここでは格ゲーを例にだしたが、わたしは格ゲーはやっていない。
とはいえゲーセンでシューティングをするのは大好きだ。

シューティングでは、常人では見た瞬間にあきらめてしまうような狂気の弾幕を死にもの狂いで避け、そして避けきったときの快感は、それはナニモノにも代えがたい。
それは自分が熟練して達成したからこそのモノであり、その世界はシューターにしか見ることを許されない。

だが、月何万もアイテム課金に銭を使うようなヤツらは、わたしのようなことは絶対したがらない。
なぜなら、カンタンに達成できるものだけが欲しいからだ。

せいぜい
「おまえくらい腕前があればシューティングも楽しいけどさぁ…、俺はおまえとは違うんだよ…」
と羨望と諦観の目で見るくらいであり、シューターの多くが若かりしころ見た達人のプレイのように
「すげー! 俺もいつかこの弾幕を避けきってやるぜ!!」
と心踊らされることは絶対ないだろう。



我々は彼らのような人間にはなりたくないと見てしまう。
それはあたかも、ブランドもののバッグを買いあさっているバカねぇちゃんでも見るかのごとく。