「こんなコーヒーは嫌だー!」
・・・というようなパターンはいくつもありうる。
たとえば。
エスプレッソが並々とつがれた150ccの缶コーヒーとか。
エスプレッソというと、30ccくらいしか入っていないのに並のコーヒーなみの成分がそれに抽出されているという、エクスポーション的な飲み物である。
エスプレッソがそんだけあったら角砂糖は殺人的なまでにドカドカと投入しないと飲めないし、
万が一それに挑戦してしまったらラリッてしまうほどにまで気持ちよくなれるに違いあるまい。
我が家にもエスプレッソマシンはある。
だから挑戦しようと思えば挑戦することはできる。
だが我輩にはそこまでのフロンティアスピリッツはない。
皆の者、我輩のことをチキンと呼んでくれたまえ(笑)。
しかし!
エスプレッソと名のつく150ccの缶コーヒーは、なんと実在する。
しかも複数種類も。
それはいったいどんな核弾頭級のドリンクなのか?
わたしはその未知の世界にチャレンジすべく、そのエスプレッソと名のついた缶コーヒーを手にとった。
さて、それに口をつける。
なんと・・・それは!
ふつうの缶コーヒーだった。 orz
エスプレッソと書いてあるのにエスプレッソではない缶コーヒーもたいがいだが、実はもっと酷いのに出くわしたこともある。
「ブラック 加糖」
と書かれた缶コーヒーだ。
これは言いえて妙である。
単語2つしか書かれていないのに、たったそれだけで矛盾している。
たとえていうなら「若い女性(43)」というテロップみたいなもんだ。
これは気になる。
いったいどんな恐るべき味がするのだろうか?
わたしは我が身を犠牲にしてまでしてそれを手に取る覚悟を決めた。
さてどうだったか?
深煎り豆だとかそういう好みの問題を飛び越えてただただ苦く、
しかも砂糖がギトギトに入っていてめちゃくちゃ甘ったるい。
「おまえコーヒーをブラックで飲んだことないだろwww」
と企画者に言いたいくらいひどかった。
たぶんそいつにとってのブラックコーヒーとは、苦いのをガマンして飲むのがかっこいい的な意味でしか無糖の味を理解できなかったんじゃないかな、きっと。
恐らくもう廃品になっているだろうけどさ。
缶コーヒーとは変な世界である。
・・・というようなパターンはいくつもありうる。
たとえば。
エスプレッソが並々とつがれた150ccの缶コーヒーとか。
エスプレッソというと、30ccくらいしか入っていないのに並のコーヒーなみの成分がそれに抽出されているという、エクスポーション的な飲み物である。
エスプレッソがそんだけあったら角砂糖は殺人的なまでにドカドカと投入しないと飲めないし、
万が一それに挑戦してしまったらラリッてしまうほどにまで気持ちよくなれるに違いあるまい。
我が家にもエスプレッソマシンはある。
だから挑戦しようと思えば挑戦することはできる。
だが我輩にはそこまでのフロンティアスピリッツはない。
皆の者、我輩のことをチキンと呼んでくれたまえ(笑)。
しかし!
エスプレッソと名のつく150ccの缶コーヒーは、なんと実在する。
しかも複数種類も。
それはいったいどんな核弾頭級のドリンクなのか?
わたしはその未知の世界にチャレンジすべく、そのエスプレッソと名のついた缶コーヒーを手にとった。
さて、それに口をつける。
なんと・・・それは!
ふつうの缶コーヒーだった。 orz
エスプレッソと書いてあるのにエスプレッソではない缶コーヒーもたいがいだが、実はもっと酷いのに出くわしたこともある。
「ブラック 加糖」
と書かれた缶コーヒーだ。
これは言いえて妙である。
単語2つしか書かれていないのに、たったそれだけで矛盾している。
たとえていうなら「若い女性(43)」というテロップみたいなもんだ。
これは気になる。
いったいどんな恐るべき味がするのだろうか?
わたしは我が身を犠牲にしてまでしてそれを手に取る覚悟を決めた。
さてどうだったか?
深煎り豆だとかそういう好みの問題を飛び越えてただただ苦く、
しかも砂糖がギトギトに入っていてめちゃくちゃ甘ったるい。
「おまえコーヒーをブラックで飲んだことないだろwww」
と企画者に言いたいくらいひどかった。
たぶんそいつにとってのブラックコーヒーとは、苦いのをガマンして飲むのがかっこいい的な意味でしか無糖の味を理解できなかったんじゃないかな、きっと。
恐らくもう廃品になっているだろうけどさ。
缶コーヒーとは変な世界である。