損が得になる。
1921年、晃はついにビジネスを開始した。狙いは、三井物産や三菱商事などの大手が取り扱わないもの。満州の大豆粕を仕入れて、南オランダの農業組合に売ることにした。大豆粕というのは、ダイズから油を絞った残りで、よい飼料になる。隙間のビジネスといえる。さっそくオランダ人の飼料取り扱い専門の仲買人と契約を結び、大連の日清製油を通して1トンの大豆粕を購入した。
ところが、荷がロッテルダム着くと、なんと仲買商が雲隠れしてしまったのだ。飼料の急激な値崩れと買い手が見つからなかったことが原因だった。晃は途方にくれてしまったが、契約上、生じた損害をすべてかぶらざるを得なかった。初めてのビジネスが、とんだトラブルを引き起こしたのである。忘れもしない、損失は1800ギルダーにのぼった。今で言えば、1000万円くらいだろうか。
もちろんそんなお金はなかった。支払い先と協議して、借金をすることにした。大豆や油といった利益率の良い物産の荷渡監督をやって手数料から返済をした。毎日懸命に働いて、なんと2年間で負債を完済してしまった。ある日、仕事が終わってホッとしながらロッテルダムの繁華街を歩いていると、逃避していた仲買人とばったり出会った。
「ごめんなさい、アキラさん。ワタシ、ずっとあなたに会いたいと思っていました。まことに申し訳ないことをしました。じつは田舎に逃げ帰っていました。父や母からも、ひどく叱られました。ぜひあなたが蒙った損害を弁償させてください。お願いします。どうぞワタシの不徳を許してください。」
「いや、むしろ、私のほうがお礼を言いたいくらいですよ。この失敗が転機となって私に同情が集まり、逆に大豆や油の差配を任されるようになったのです。今では、ロッテルダムだけでなく、ロンドン、ハル(イギリス)、ハンブルグ、アントワープ、スカンジナビア諸国、オラン(アルジェリア)、カサブランカなど向けの荷渡監督事業を拡大することができました。ずいぶん儲けさせていただきました。あなたには感謝しなければならない。」と晃は切り返した。
この答えに、仲買人は、感極まったように涙ぐんだ。このとき得た心境を、晃は後日、「不二の法門」と呼んでいた。
つづく