DALAI_KUMA

いかに楽しく人生を過ごすか、これが生きるうえで、もっとも大切なことです。ただし、人に迷惑をかけないこと。

遍歴者の述懐 その13

2012-11-19 11:32:18 | 物語

一視同仁の愛

1924年、25歳の晃はロンドンにいた。思うところがあって、日々、大英博物館の図書室に通っていた。彼が座って作業をしている席は、かのカール・マルクスが、19世紀中ごろ30年間通って資本論を書いた同じ席であった。そこで晃は、油脂国際取引のための基本条項であるロンドン契約もしくはリバプール契約に関して、調べごとをしていた。これは、欧州へ輸出されるすべての油脂原料がこの契約に基づいて執行されている現状の打破にかかわるものであった。この契約があることで、英国は、いかなる場合でも1%の手数料を手に入れることができた。仮に、積載船が沈没して積み荷がすべて失われても、英国の仲買人は利益を得ていたのである。国際的不平等といえた。

博物館からの帰り道、ロンドン郊外へ向かうバスに乗った。車内はひどく込み合っていたが、とつぜん老齢の英国紳士が立ち上がって、晃に席を譲ろうとした。

「どうぞ、お座りください。」

「ありがとうございます。しかし、私は25歳でまだとても若いので、座らなくても大丈夫です。」

「遠慮なさらないでください、この地はあなたにとっては異国の空です。さぞ不慣れなこともあるでしょう。ただ、その代り、あなたにお願いしたいことがあります。もし我が国の同胞が、あなたの国で困っていたら、ぜひ面倒を見ていただけないでしょうか。」

「もちろんです。」

晃は、かの紳士の暖かい申し出を受け入れることにした。たかがバスの席ひとつ、されどその席が、大きな結果をもたらすこともある。

ロッテルダムに帰って、この話を妻のラウラにした。すると彼女は、興味ある話を聞かせてくれた。

「ロッテルダム港のそばに、子沢山の靴修理屋さんがいるのだけれど、日本人の船員さんを世話しているのですって。なんでも南米に向けて出航した貨物船に乗り遅れた人で、次の航海までここで待っているらしいの。おかみさんの話だと、同じくらいの年の息子さんが南アフリカへ行く貨物船に乗っているらしくて、とても他人事とは思えなくて世話をしているらしいのよ。日本人の船員さんに良くしておけば、きっと神様が息子さんをお守りくださるって言っていたわ。」

一視同仁というのはこのことか、と晃は思った。古くて新しいもの、それは人と人とをつなぐ愛であり、何げない普段の生活の中に生かされてこそ、持続するものなのだろう。

つづく

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遍歴者の述懐 その12

2012-11-19 00:46:16 | 物語

大正時代の英国

ニューヨークを出た船が、英国のリバプールに着いたのは1週間後だった。ここからロンドンへは列車で移動することにした。

「荷物が多いので、預けましょうよ。」とラウラが言うので、3個の大型カバンをチッキにすることとした。駅員に聞くと、「後ろに連結した貨物車両に自分で積み込んでください。」と言われてしまった。預り証も受取証もない。客が勝手に積み込んで、勝手に降ろしていく。

「本当に大丈夫かな。」

ラウラは「大丈夫よ。」と言うが、晃は心配でならなかった。

列車が止まるごとに小走りに降りては、荷物の確認に出かけた。いい加減疲れた頃にロンドンに着いた。荷物を取りに行くと、少し元の位置はずれていたが、確かにカバンは積み込んだ車両にそのままあった。晃は、英国人を少しでも疑った自分が恥ずかしかった。当時の日本内地鉄道では、考えられなかったことだったからである。

晃は、同じような出来事を、英国のハル港から列車で3時間ほど行った所にあるスカンソープという小さな町のホテルで経験した。

「新聞が欲しいのだけれど。」とコンシェルジュに聞くと、「入り口に積んでありますから、自分でお金をおいて好きな新聞を持っていってください。」と言われた。確認に行くと、新聞の横の小皿の中に小銭が入っていた。

日本という国で、現代のような道徳観がいつごろ形成されたのかは明らかではない。少なくとも、1924年大正13年頃は、あまり道徳的ではなかったようだ。当時を振り返って、「衝撃的な経験でした。」と晃は語っている。

「日本人は世界にまれに見る、礼節をわきまえた民族である。」と記述したのは、16世紀に日本へキリスト教をもたらしたフランシスコ・ザビエルだと言われている。また、明治の教育者、新渡戸稲造は、日本人の道徳の根底には武士道があると語っている。しかし、考えてみるに、道徳観というのは時代によって変節しているし、一貫したものではなかったのかもしれない。常に軌道修正する教育がなければ、人間は簡単に堕落するようである。

つづく

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