発展の陰に
1923年大正12年2月20日、東京駅前に「丸ノ内ビルヂング」が完成した。地上8階建て、地下1階建ての本格的な高層建築であった。
晃は早速、近代化した東京の絵葉書を買って、オランダへのお土産とした。やっと日本も欧米並みになった気がしてうれしかった。
「ヨングさん、この絵葉書を見てください。これで日本も欧米の仲間入りです。」と、ロッテルダムのヨング名誉領事に差し出した。ところが、ヨング氏の反応は鈍かった。
「アキラさん、私は20歳ころに長崎出島へ行きました。日本人は、蒸気船にびっくりしていました。さっそく幕府から軍艦の注文がオランダに来ました。進水式には、榎本さんらが引き取りに来ました。陣笠をかぶり、日本の刀を差した侍が珍しくて、子供たちがついてまわりました。その時、一人の侍が折りたたんだ紙を道端に捨てました。子供は、お菓子でも入っているのかと思って、喜んだ紙を拾ってあけました。びっくりしましたね。鼻をかんだ紙だったのです。立派なビルディングもいいですが、大切なのはそれを使う人の心です。」
晃は、とても恥ずかしかった。確かに、江戸末期、日本には公衆道徳はなく、ごみを捨てたり道端で平気で小用をしたりして、外国人のひんしゅくを買ったことは伝え聞いていた。しかし、大正12年の今になっても、山川はおろか公道にでもところ構わずごみを捨てる習慣は改善されていない。
一方、オランダ人は、たばこの火つけに使ったマッチの軸を残らず家に持ち帰り、暖炉で燃やしている。公徳心とは何か、それを思い知らされた気がした。はなやかな外観は、それを支える美徳があってこそ価値があるのだということを、ヨング氏から教えられた気がした。
ちなみに、丸ノ内ビルヂングは、同年9月1日起こった関東大震災によって外壁や構造などに損害を受けたが、大きな被害はなく被災者救援の拠点の一つとなった。その後、大改修して1926年に営業が再開された。
つづく