大人も子供も、懸命になって山道を登る。
樹齢数百年にも達するトチノキの巨木に会うためだ。
ただそれだけのことだが、樹間を通り抜ける風に身をさらすと、嫌なことは忘れてしまう。
辛いことや、悲しいことや、淋しいことがあれば、山道を歩いてみればいい。
家族と一緒でもよいが、一人ならなおよい。
ゆっくりと、急がずに歩いていると、思わぬ発見をしたりする。
それらはすべて、あなたのものだ。
無理をしないで、思う存分に無駄な時間を楽しめばよい。
そうして、人とのいざこざや、自分の無力さなど、どこかに置いてきてしまおう。
帰去来の辞(陶淵明)
***
さあ故郷へ帰ろう。
故郷の田園は今や荒れ果てようとしている。
どうして帰らずにいられよう。
今までは生活のために心を押し殺してきたが、
もうくよくよしていられない。
今までが間違いだったのだ。
これから正しい道に戻ればいい。
まだ取り返しのつかないほど大きく道をはずれたわけではない。
やり直せる。
今の自分こそ正しく、
昨日までの自分は間違いだったのだ。
舟はゆらゆら揺れて軽く上下し、
風はひゅうひゅうと衣に吹き付ける。
船頭に故郷までの道のりを訪ねる。
朝の光はまだぼんやりして、よく先が見えないのがツライところだ。
***
やがてみすぼらしい我が家が見えてくると、
喜びで胸がいっぱいになり、駆け出した。
召使は喜んで私を迎えてくれる。
幼子は門の所で待ってくれている。
庭の小道は荒れ果てているが、
松や菊はまだ残っている。
幼子を抱えて部屋に入ると、
樽には酒がなみなみと用意されている。
徳利と杯を引き寄せて手酌し、
庭の木の枝を眺めていると、
顔が自然にニヤケてくる。
南の窓に寄りかかってくつろいでいると、
狭いながらも我が家はやはり居心地がいい、
そんな気持ちにさせられる。
庭園は日に日に趣が増してくる。
門はあるが常に閉ざしていて
訪ねてくる者もいない。
杖をついて散歩し、
時に立ち止まって遠くを眺める。
雲は峰の間から自然に湧き出してくる。
鳥は飛び飽きて巣に戻って行く。
あたりがほの暗くなって、もう日が暮れようとしている。
庭に一本立った松を撫でたりしながら、私はうろついている。
***
さあ故郷へ帰ろう
俗世間と交わるのは、もうよそう。
世間と私とは最初から相容れないものだったのだ。
いまさらまた任官して、どうしようというのか。
親戚の人々との心のこもった話を楽しみ、
琴を奏でて書物を読んで…
そうしていれば憂いは消え去る。
農夫がやってきて私に告げる。
そろそろ春ですね、
西の畑では仕事が始まりますと。
ある時は幌車を出すように命じ、
ある時は小舟に乗って田んぼに出かける。
奥深い谷に降りたり、
けわしい丘に登ったりする。
木は活き活きと生い茂り、
泉はほとばしって流れていく。
万物が時を得て栄える中、
私は自分の生命が少しずつ、
終わりに近づいているのを感じるのだ。
***
まあ仕方の無いことだ。
人間は永久には生きられない。命には限りがある。
どうして心を成り行きに任せないのか。
そんなに齷齪して、どこへ行こうというのか。
富や名誉は私の願いではない。
かといって仙人の世界、などというのもアテにならない。
天気のいい日は一人ぶらぶらし、
傍らに杖を立てておいて、畑いじりをする。
東の丘に登ってノンビリ笛を吹き、
清流を前にして詩を作る。
自然の変化に身をゆだね、
死をも、こころよく受け容れる。
こんなふうに天命を受け容れてしまえば、
もはや何のためらいも無いだろう。