京都の話を書いている。
六月中にやろうと自分で決めた課題の内、これだけ終わらず、
今もまだ終わっていない。
いつもは標準語で脚本を書いていたので、最初は京都弁で書くことに随分戸惑った。
どうもリズムがくるう。
私が書いているのは京都弁とも違う花街言葉、
舞妓さんたちが使う「~どすなぁ」などののんびりした言葉だ。
標準語の人と京都弁の人が脚本の中で喋っていると、
テンポが違うことがはっきりわかる。
私自身、喋るのが遅いと言われてきた理由が何となくわかった。
慣れてくるとこのテンポの違いが面白くなってくる。
私は花街の言葉は使ったことがないけれど、
意識して使ってみると、意外と抵抗無く使える。
言葉というものは、思った以上に体に染み付いている様だ。
脚本を書く上で方言を喋れるというのは得することが多くて、
私は標準語と関西弁と花街言葉を喋ることが出来て良かったなぁと思う。
それを生かせないと意味が無いわけだけど。
花街言葉を書いているうちに、最近では東京にいるのに京都弁が強くなって来た。
東京の夏にはあまり季節感が無いけれど、京都の夏はイベントが多い。
今年は参加できない代わりに、
「もうすぐ祇園さんどすなぁ」
「そうどすなぁ」と登場人物たちが喋っている。
六月中にやろうと自分で決めた課題の内、これだけ終わらず、
今もまだ終わっていない。
いつもは標準語で脚本を書いていたので、最初は京都弁で書くことに随分戸惑った。
どうもリズムがくるう。
私が書いているのは京都弁とも違う花街言葉、
舞妓さんたちが使う「~どすなぁ」などののんびりした言葉だ。
標準語の人と京都弁の人が脚本の中で喋っていると、
テンポが違うことがはっきりわかる。
私自身、喋るのが遅いと言われてきた理由が何となくわかった。
慣れてくるとこのテンポの違いが面白くなってくる。
私は花街の言葉は使ったことがないけれど、
意識して使ってみると、意外と抵抗無く使える。
言葉というものは、思った以上に体に染み付いている様だ。
脚本を書く上で方言を喋れるというのは得することが多くて、
私は標準語と関西弁と花街言葉を喋ることが出来て良かったなぁと思う。
それを生かせないと意味が無いわけだけど。
花街言葉を書いているうちに、最近では東京にいるのに京都弁が強くなって来た。
東京の夏にはあまり季節感が無いけれど、京都の夏はイベントが多い。
今年は参加できない代わりに、
「もうすぐ祇園さんどすなぁ」
「そうどすなぁ」と登場人物たちが喋っている。