社会人である自分には、夏休みと呼べる期間は余りに短く、2008年の夏に高校3年生の息子と自転車で行った糸魚川サバイバルツアーについて記します。
今、この旅を思い起こせば、世界でなく国内、そして内なる自分に向かったものだったかもしれません。
やはり特別な旅でした。
サイクリングの道程は、浜松を出発して標高1060mの新野峠を越え、飯田⇒松本⇒長野⇒妙高⇒上越⇒糸魚川までの、太平洋から日本海を結ぶ420kmを自転車で丸1日かけて走破するというもの。
浜松ののイチヤサイクルさんが毎年企画し、今年初参加で親子での完走を目指しました。
高校3年生にもなれば、親離れは当たり前だが、自分の大きなハードル超えという目標に向かって挑む事の大切さと、得られた達成感を忘れられない記憶に刻み付けてあげたいという、照れくさいけれど親父としてのそんな思いがあったのも事実です。
また、自分自身も体力と精神力のハードル超えに挑戦して達成感を得たい、それを親子で達成してみたいという思いもありました。
出発に当たっては、安全に配慮し、チェックポイントとサポートカーが配備されています。
いざ浜松を出発しても突然の雨が降る中の深夜の新野峠越え、補給を取り体調を維持し、声を掛けながら睡魔を抑えて走る飯田市街、息子に押され頭から水を掛けながら走る灼熱の妙高越え、体調不良でサポートカーに移る友人との別れ、日本海が見えたときの喜び、ゴールで待ち構える友人達との再会は、何事にも得がたい喜びと達成感がそこにありました。
結果的には擦れた尻の痛みを抑えながら、25時間かけて親子共々何とか一緒に完走することが出来たのは生涯忘れられない思い出になりました。
自分のハードル超えと、その後に続く達成感。
これは、視点を変えればこんな身近なところから世界中まで、どこにでも、その場があるのかもしれないと振返り思っています。
僕の好きな言葉に次のものがあります。
これは故坂井三郎さんが自身の戦記「大空のサムライ」の中で記述していた言葉だが、中学生の時に読んだその一節が今も脳裏に焼きついて離れません。
「どんな悪条件下に立たされても、またこれが最後だと思われる事態に直面しても、日頃試した己の力を信じて、頑張って頑張り抜かなければならない。またそういう者にのみ活路は開けて行くものである。」
今回の経験が、日頃鍛えた己の力として、息子のこれからの人生の大きな糧となってもらいたいと願えた事が、2008年の夏の大きな思い出だったのかもしれません。
今、この旅を思い起こせば、世界でなく国内、そして内なる自分に向かったものだったかもしれません。
やはり特別な旅でした。
サイクリングの道程は、浜松を出発して標高1060mの新野峠を越え、飯田⇒松本⇒長野⇒妙高⇒上越⇒糸魚川までの、太平洋から日本海を結ぶ420kmを自転車で丸1日かけて走破するというもの。
浜松ののイチヤサイクルさんが毎年企画し、今年初参加で親子での完走を目指しました。
高校3年生にもなれば、親離れは当たり前だが、自分の大きなハードル超えという目標に向かって挑む事の大切さと、得られた達成感を忘れられない記憶に刻み付けてあげたいという、照れくさいけれど親父としてのそんな思いがあったのも事実です。
また、自分自身も体力と精神力のハードル超えに挑戦して達成感を得たい、それを親子で達成してみたいという思いもありました。
出発に当たっては、安全に配慮し、チェックポイントとサポートカーが配備されています。
いざ浜松を出発しても突然の雨が降る中の深夜の新野峠越え、補給を取り体調を維持し、声を掛けながら睡魔を抑えて走る飯田市街、息子に押され頭から水を掛けながら走る灼熱の妙高越え、体調不良でサポートカーに移る友人との別れ、日本海が見えたときの喜び、ゴールで待ち構える友人達との再会は、何事にも得がたい喜びと達成感がそこにありました。
結果的には擦れた尻の痛みを抑えながら、25時間かけて親子共々何とか一緒に完走することが出来たのは生涯忘れられない思い出になりました。
自分のハードル超えと、その後に続く達成感。
これは、視点を変えればこんな身近なところから世界中まで、どこにでも、その場があるのかもしれないと振返り思っています。
僕の好きな言葉に次のものがあります。
これは故坂井三郎さんが自身の戦記「大空のサムライ」の中で記述していた言葉だが、中学生の時に読んだその一節が今も脳裏に焼きついて離れません。
「どんな悪条件下に立たされても、またこれが最後だと思われる事態に直面しても、日頃試した己の力を信じて、頑張って頑張り抜かなければならない。またそういう者にのみ活路は開けて行くものである。」
今回の経験が、日頃鍛えた己の力として、息子のこれからの人生の大きな糧となってもらいたいと願えた事が、2008年の夏の大きな思い出だったのかもしれません。