ともちの小さなGLOBE

人生は一期一会のLong and winding road。小さな地球儀をめぐる日々をブログにしました。

震災について思う

2011-03-13 20:17:17 | 徒然なるままに
今回の震災で亡くなった方々に謹んで哀悼の意を表します。

11日の地震発生時、浜松で長い揺れを感じインターネットを確認すると東北地方で大きな地震があったとの速報。
当初のネット情報も断片的なもので、帰宅しTVでの映像を見るまで、ここまで被害が大きいとは想像出来なかった。

津波警報が出る中、帰宅…TVをつけると、94年から98年の5年間、仕事で何度も往来した大船渡市の悲惨な映像が目に飛び込んで来た。
一関からドラゴンラインと呼ばれた大船渡線で、気仙沼を通ってリアス式海岸をギザギザと走る電車に揺られて大船渡まで行った記憶が今でも思い起こされる。
あそこには、確かにごく普通の美しい日本の街並があった。
かつての仲間はどうなっているのか、この突きつけられた現実の前に茫然とする自分。

ここ浜松で東海大地震が来ると言う警告も、子供の頃の記憶を呼び覚ませば、僕が小学生だった40年近く前から言われている。(宝物だった天体望遠鏡を子供なりに何時でも持ち出せるようにしていたっけ…)
そして12日に街に出れば、いつもと変わらない人の往来。デパートも買い物客で混雑している…
…同じ日本なのに…言いようの無い矛盾と無常…
この日常生活が一瞬で無くなる事から目を逸らす事は到底出来ない。

一方、この機会に国家の危機管理を考えれば、現地視察を早急に総理大臣が行う事は良しとしても、危険状態の回避に全力投球中の原発に視察に入るとは自らのパフォーマンス優先で大局を見えない事として言語道断。国の代表である総理が視察すれば現場スタッフが世話をしなければならない事も考えられないのか?結果的にその後の爆発事故に至るまでの対処に遅れをきたしたのではないかという批判は今後受けざるを得ないだろう。
はたして、こんな無能な舵取りで日本は良いのか…?

釈然としない気持ちの中、世界に目を向けてCNNニュースやBBCニュースを見れば、世界中が大震災のNEWS一色になっている。
イデオロギーを超えた国際援助も続々と来ている。
友人であるモルディブのShifauからも心配のメールと電話が入ってきた。
あらためて不合理だらけの世界にも慈しむ気持ち…「愛」ってあるなあと思い嬉しくなった。
What a wonderful world…
心温まるこんなサイトも開設されていた…
http://prayforjapan.jp/message/
日本は素晴らしい。まだまだ捨てたものではない。

そして13日の夕方、大船渡出身のマサに重い気持ちで連絡を取ると、彼の家族はみんな無事だったとの事で胸をなでおろした一日。

言いようの無い週末だった…

3月17日:
震災の悲惨なNEWSは日を送る毎に酷くなり、原発関連の大惨事は世界中が注視している。
「核」は神のものなのか…
原発事故の大惨事の中で、命の危険を顧みず懸命に惨事回避に努める現場の人々には頭が下がる思いがする。

東電の説明には人手不足との表現も出る事態の今、振り返って「メンテナンス」とは何なのかあらためて考えてみた。

「メンテナンス」とは一般的に「サービス」「保守点検」「整備」と言う呼び名でアフターセールスサービスに関する業務として称されている。

一方、目先の利益を追かける無能な経営者からは、この「サービス」という職種に対して、維持管理費用ばかり掛かって利益を生み出さない部門と言う馬鹿な発言も聞く。
しかし、この「サービス」という部門はCS(Customer Satisfaction)と呼ばれる顧客満足に直結するものであって、ここを蔑ろにした企業は必ず大きなしっぺ返しを食らう。
販売製品が即、一般人に直結する車やレジャー商品などは、お客さんの顔が見えるゆえCSを理解しやすいかもしれないが、はたして、原発の「顧客」は誰だったのか…
当然、答えは「株主」ではなく「国民」の筈だ。

ドラッカーの言葉に以下の一節がある。

われわれの「顧客」を決定する時、私たちは事業のありようを決定することになる。

振り返って今回の事故で、後日この事故が総括された結果メンテナンスに対する不備があったとすれば、それは「顧客」というものの本質を東電が見えていなかったからなのかもしれない。

この惨事が1日も早く終わる事を願って止まない。