ともちの小さなGLOBE

人生は一期一会のLong and winding road。小さな地球儀をめぐる日々をブログにしました。

災害は吾人より富を奪い得ても勇気を奪い得ず

2011-03-29 21:54:05 | 徒然なるままに
今日の新聞にあった、南三陸で最後まで命がけで津波警報を放送し続けながら、濁流に呑まれてしまった遠藤未希さんの記事に涙した。未来のある24歳なのに無常を感じざるを得ない。

不幸があると日本では「自粛」という言葉が巷に往来する。
これは、日本人の「思いやり」の連帯意識が根底にあるからだと解釈したい。
しかし、過度の全体主義的自粛は、復興への行動に水を注すものにならないかを危惧してしまうのも事実だ。
身近では、5月の連休に行われる浜松祭りも早々と中止が決定した。被災者の方々の気持ちを考えると祭りの中止は頷ける部分もあるけれど、あえて誤解覚悟で言えば、過度の自粛により人の動きが止まることは、お金が回らない事に繋がるのも事実だ。それは経済活動の停滞を意味し、税収入の悪化に結び付くのは経済学のいろはの「い」。税収入が無いと復興支援に行き詰る事からも、大きな行事は中身を自粛する部分と色分けし、不足する警備の部分も責任感を持った凛としたお互いの助け合いを持つ事でなんとか出来なかったものか…成功出来れば皆の気持ちを、より強く一つにするチャンスに繋げられたのかも知れないのに…
僕は過度な自粛よりも皆が現状を理解し、凛として顔を上げて、考え行動する勇気が、今こそ必要だと思う。

一方、部品調達もままなら無い状態にある製造業では、多くの生産ラインがストップしているのも現実。おそらく、リーマンショックからの景気浮上にも水を注すかもしれない。
これに加え、前述の過度の自粛が負の要因として働かない事を切に祈りたい。
松下幸之助翁の言葉に次のものがある。
「みんなが、「不景気だ不景気だ」というときは、まだ不景気ではない。
みんなが「もうダメだ」と思ったときが、本当の不景気なんだ。」

日本は戦後の焼け野原からも復興してきた。僕は、「もうダメだ」と諦めない勇気が奇跡を起こしてきたと信じている。
そして、「どんな悪条件下でも、これが最後だと思われる事態に直面しても、頑張って頑張り抜かなければならない。そう言う者にのみ活路は開けて行くものである。」という意識が奇跡へのプロローグになって欲しいと願って止まない。

今回の震災で多くの犠牲者が出た事は、今も信じたくない事実…

大船渡に残った、かつての仕事仲間の一人が亡くなった知らせを先日聞いた時は本当に辛かった。もう10年前、大船渡工場を閉める時に、地元に残る従業員の方々の再就職先を親身になって最後まで探し続けた志田さん。本当に素晴らしい人だったのに残念でならない。

天災を不運と片付けるのも、あまりにも悲しい。

「災害は吾人より富を奪い得ても勇気を奪い得ず」
そして、
「勇気あるところに、希望あり」

今こそ勇気が必要だ。