児童文学の同人誌に発表される作品に時々感じることに自己目的化があります。
本来児童文学作品は、出版して(紙の本だけでなく電子書籍でもOKです)子どもの読者に読んでもらおうと思って書かれるはずです。
ところが、書かれた作品世界が、現在なのか、作者が子どものころなのかがあいまいな作品も、中にはあります。
こうした作品を同人誌に発表する意義について少し考えてみました。
まず、作者は、はたして主人公と同年代の現在の子どもに向けて書いているのでしょうか?
実際には、このようなあいまいな作品を読みたい子どもは、非常に限定されていると思われます。
出版社もそのことはよく承知しているので、こうした作品をいくら書いても本になることはないでしょう。
三十年ぐらい前で、作品のできが良ければ可能性はあったと思います。
でも、今ではもっと同時代性を高めるか、エンターテインメントの要素を盛り込むかしないと、出版は難しいでしょう。
次に、作者は児童文学ではなく、子どもを主人公にした小説を書きたかったのではないかという疑問があります。
もし小説を書きたかったのでしたら、大人の読者が耐えうる人物造形なりテーマなりがないと、やはり出版は難しいでしょう。
最後に、作者が同人誌に掲載されることを目標にしていないかという心配があります。
同人誌という閉じた世界で、同人に向けて書くことだけを自己目的化するのは、作家としての視野を狭める危険性があります。
どちらにしても、こうした作品は中途半端で市場性はありませんので、書き手自身が自分ががどの方向に進むかを決めることが大事だと思います。
本来児童文学作品は、出版して(紙の本だけでなく電子書籍でもOKです)子どもの読者に読んでもらおうと思って書かれるはずです。
ところが、書かれた作品世界が、現在なのか、作者が子どものころなのかがあいまいな作品も、中にはあります。
こうした作品を同人誌に発表する意義について少し考えてみました。
まず、作者は、はたして主人公と同年代の現在の子どもに向けて書いているのでしょうか?
実際には、このようなあいまいな作品を読みたい子どもは、非常に限定されていると思われます。
出版社もそのことはよく承知しているので、こうした作品をいくら書いても本になることはないでしょう。
三十年ぐらい前で、作品のできが良ければ可能性はあったと思います。
でも、今ではもっと同時代性を高めるか、エンターテインメントの要素を盛り込むかしないと、出版は難しいでしょう。
次に、作者は児童文学ではなく、子どもを主人公にした小説を書きたかったのではないかという疑問があります。
もし小説を書きたかったのでしたら、大人の読者が耐えうる人物造形なりテーマなりがないと、やはり出版は難しいでしょう。
最後に、作者が同人誌に掲載されることを目標にしていないかという心配があります。
同人誌という閉じた世界で、同人に向けて書くことだけを自己目的化するのは、作家としての視野を狭める危険性があります。
どちらにしても、こうした作品は中途半端で市場性はありませんので、書き手自身が自分ががどの方向に進むかを決めることが大事だと思います。
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