2015年にピューリツァー賞を受賞したアメリカの小説です。
といっても、舞台は第二次世界大戦中のフランスとドイツです。
視力を失ったフランスの少女と、無線技術の才能があまりにもあったために二年も早く戦場に送り込まれたドイツの少年の出会いを描きます。
500ページを超える大作ですが、二人が出会うのは458ページ、別れるのは467ページで、一緒にすごしたのは一日足らずです。
以下に各章を示します。
第0章 1944年8月7日
第1章 1934年
第2章 1944年8月8日
第3章 1940年6月
第4章 1944年8月8日
第5章 1941年1月
第6章 1944年8月8日
第7章 1942年8月
第8章 1944年8月9日
第9章 1944年5月
第10章1944年8月12日
第11章1945年
第12章1974年
第13章2014年
ご覧のように、フランス解放ごろの1944年の6日間(少女と少年は、同じフランスのサン・マロにいました)の出来事の間に、徐々に近づいていく10年間(第三帝国は1933年から1945年ですからその期間をほぼカバーしています)の二人と、フランスとドイツの姿を描いています。
加害者だとか被害者だとか声だかに叫ばなくても、戦争が人々をいかに巻き込んで不幸にしていくか(少女の父親は収容所に連れて行かれて行方不明のままです。少年の親友は士官候補生の学校でのリンチで精神に異常をきたし、妹はドイツの敗戦直前にロシア兵にレイプされ、彼自身は少女と別れた直後に死にます)が見事に描かれています。
この作品は大人の読者を対象とした小説ですが、少女と少年の幼い時代から十代までが描かれているので児童文学やヤングアダルト向け小説とも重なる部分があります。
また、詩的な美しい描写が随所にあること、187もの短いエピソードを巧みに組み合わせて構成されていること、「炎の海」と呼ばれる133カラットのブルーダイヤモンドの行方を探すミステリー的な要素があることなど、様々な評価すべき点があります。
日本語版の裏表紙に掲げられたワシントンポストの書評の抜粋の中の「いくつかの場面では涙を禁じ得ない」は単なる惹句ではありませんが、日本のいわゆる「泣ける小説」とは明らかに一線を画しています。
といっても、舞台は第二次世界大戦中のフランスとドイツです。
視力を失ったフランスの少女と、無線技術の才能があまりにもあったために二年も早く戦場に送り込まれたドイツの少年の出会いを描きます。
500ページを超える大作ですが、二人が出会うのは458ページ、別れるのは467ページで、一緒にすごしたのは一日足らずです。
以下に各章を示します。
第0章 1944年8月7日
第1章 1934年
第2章 1944年8月8日
第3章 1940年6月
第4章 1944年8月8日
第5章 1941年1月
第6章 1944年8月8日
第7章 1942年8月
第8章 1944年8月9日
第9章 1944年5月
第10章1944年8月12日
第11章1945年
第12章1974年
第13章2014年
ご覧のように、フランス解放ごろの1944年の6日間(少女と少年は、同じフランスのサン・マロにいました)の出来事の間に、徐々に近づいていく10年間(第三帝国は1933年から1945年ですからその期間をほぼカバーしています)の二人と、フランスとドイツの姿を描いています。
加害者だとか被害者だとか声だかに叫ばなくても、戦争が人々をいかに巻き込んで不幸にしていくか(少女の父親は収容所に連れて行かれて行方不明のままです。少年の親友は士官候補生の学校でのリンチで精神に異常をきたし、妹はドイツの敗戦直前にロシア兵にレイプされ、彼自身は少女と別れた直後に死にます)が見事に描かれています。
この作品は大人の読者を対象とした小説ですが、少女と少年の幼い時代から十代までが描かれているので児童文学やヤングアダルト向け小説とも重なる部分があります。
また、詩的な美しい描写が随所にあること、187もの短いエピソードを巧みに組み合わせて構成されていること、「炎の海」と呼ばれる133カラットのブルーダイヤモンドの行方を探すミステリー的な要素があることなど、様々な評価すべき点があります。
日本語版の裏表紙に掲げられたワシントンポストの書評の抜粋の中の「いくつかの場面では涙を禁じ得ない」は単なる惹句ではありませんが、日本のいわゆる「泣ける小説」とは明らかに一線を画しています。
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