今回も七十年代の代表的な作品のあらすじに多くの紙数を割いたために、著者の考察は非常に限られたものになってしまいました。
紹介された作品は、砂田弘「さらばハイウェイ」、安藤美紀夫「でんでんむしの競馬」、神沢利子「いないいないばあや」(その記事を参照してください)、皿海達哉「なかまはずれ町はずれ」、さとうまきこ「絵にかくとへんな家」です。
著者の考えをまとめると、六十年代の児童文学が「子どもという存在に未来に向けた「希望」というシンボルとして捉える」事が多かったのに対して、七十年代の児童文学は「子どもという存在が(私の)「原点」」と捉えているとしています。
六十年代の出発世代がこの時期に自分の子ども時代を書きだした理由として、「軍国少年少女」であった彼らがその時代を書くことが、当時を肯定的に捉えているのではないかと思われることを恐れていたのではないかと推測しています。
それに対して、戦後生まれの団塊世代(著者と同世代)や少し上の戦争の記憶がない世代は初めから「自分の子ども時代」を書くことに抵抗がなかったのです。
また、著者は、七十年代の児童文学の特徴として「同時代性」をあげていますが、これは六十年代の児童文学にもあったことで、ただ描かれ方が違ってきた(六十年代は社会主義リアリズムによって同時代を捉えることが多かった)だけでしょう。
以上のようにこの論文では、七十年代の代表作とその特徴についての共通理解をまとめていますが、これだけでは現象(創作)の後追いにすぎないのではないでしょうか。
なぜ、このような作品群が生まれたかの著者なりの考察がもっと欲しかったです。
この問題について私見を述べると、七十年安保の挫折を経て、六十年代に多く生みだされた社会主義リアリズム作品(山中恒「赤毛のポチ」や古田足日「宿題ひきうけ株式会社」など)が低調になり(後藤竜二や古田足日などは書き続けていましたが)、七十年代には新しい私小説的児童文学作品が生まれてきました。
その背景としては、高度成長時代を経て近代的不幸(戦争、飢餓、貧困など)を克服した日本人(当然、児童文学作家たちも含まれます)が、現代的不幸(アイデンティティの喪失、生きることのリアリティの希薄さなど)に初めて直面し、いわゆる「自分さがし」へ回帰していったものと思われます。
「社会の変革」よりも「自分の変革」を志向したいわゆる「成長物語」が、この時期多く書かれ、子どもたちにも受け入れられました。
また、高度成長の影響で児童文学ビジネスが成立するようになったことで、多様な児童文学が出版される状況が整ってきたこともあげられるでしょう。
当時の小中学生の読書調査を見てみると、偉人の伝記やいわゆる「世界名作」が上位を占めていて、子どもの読書においては「教養主義」が生き残っていたようです。
当時は、少年(少女)漫画週刊誌やテレビの子ども向けアニメ番組が全盛期で、子どもたちは、娯楽は漫画雑誌やテレビアニメに求め、「児童文学」にはより教育的なものを求めていたのでしょう。
このように、書き手側の事情と読み手側の事情が一致して、七十年代は「現代(創作)児童文学」が初めて同時代の子どもたちに広く読まれるようになりました。
書き手の子ども時代の話を、読者は伝記を読むように受容していたのかもしれません。
ただ、同時代性という点では、作者(大人)たちと子どもたちではまだずれがあったように思われます。
大人である書き手は、大学の大衆化、社会改革の行き詰まりなどにより、すでに前述した「現代的不幸」に直面していましたが、読者である子どもたちがこれらに直面するのは、大人たちがバブル景気に浮かれる八十年代に入ってからです(もちろん早熟な子どもはいつの時代にもいるので、児童文学作家の森忠明などは、彼の自伝的作品をみるとすでに五十年代に「現代的不幸」に直面していたようです)。
また、七十年代後半の児童文学の動きで忘れていけないのが、漫画的キャラクターの活躍するエンターテインメントの誕生(例えば、那須正幹の「ズッコケ三人組」シリーズは1978年にスタートしています)でしょう。
このことは、八十年代以降の「現代児童文学」の多様化と衰退に大きな影響を与えました。