作者が妻とともに(今では考えられないことですが、費用の関係か、あるいは教育上の関係か、10歳をかしらにした三人の子どもたちは日本に残してきます)、1957年からロックフェラー財団の基金(日本で創作活動をしている人たちを一年間海外に派遣しました)で、アメリカの片田舎にあるガンビアという大学町で暮らしていた時の話です。
翌1958年の3月に、春を求めて(ガンビアは北部にあるのでまだ冬です)南部へバス旅行します。
ここで登場するグレイハウンド・バスというアメリカ全土を縦横に走っていた長距離バスは、飛行機旅行が今のように安価ではなかった時代に庶民がアメリカを旅行する一般的な方法で、いろいろなアメリカ文学にも登場しました。
私自身も、若いころにこれを利用してアメリカを旅行することを夢見ていましたが、実際にアメリカへ行くようになった(ほとんどが出張でしたが)ころには、飛行機とレンタカーの組み合わせで旅行するのが一般的になっていました。
この作品においても、作者の観察は、風景などよりも、車内やバスターミナルで知り合ったアメリカの人々との触れ合いに発揮されています。
60年も前のことなので、作者の女性観(特に妻に対して)や人種観(特に黒人に対して)などには、現在の基準で言えば古い(善悪ではなく時代の変化によるものです)のですが、それを差し引いても人間観察の鋭さは随所に発揮されています。
特に、メンフィスのバスターミナルでの人種差別の体験(公民権運動が勝利する前なので、待合室は白人用と有色人種用に分かれていました)において、有色人種用の待合室(そこで待っているのは全員が黒人です)へも行かれず、白人用の待合室で咎められないかとビクビクしている姿は非常に生々しく、当時のアメリカの状況や日本人のこの問題への理解を端的に表していて興味深かったです。
そもそもこの基金による派遣の目的は、優れた作家によって海外の様子を日本人に知らせて相互理解を深めるためにあるので、そういった意味では庄野潤三(特に、海外では一般的である妻と一緒になったカップルとして)を派遣したのは、大成功だったと思います(詳しくは「ガンビア滞在記」という長編に書かれています)。
翌1958年の3月に、春を求めて(ガンビアは北部にあるのでまだ冬です)南部へバス旅行します。
ここで登場するグレイハウンド・バスというアメリカ全土を縦横に走っていた長距離バスは、飛行機旅行が今のように安価ではなかった時代に庶民がアメリカを旅行する一般的な方法で、いろいろなアメリカ文学にも登場しました。
私自身も、若いころにこれを利用してアメリカを旅行することを夢見ていましたが、実際にアメリカへ行くようになった(ほとんどが出張でしたが)ころには、飛行機とレンタカーの組み合わせで旅行するのが一般的になっていました。
この作品においても、作者の観察は、風景などよりも、車内やバスターミナルで知り合ったアメリカの人々との触れ合いに発揮されています。
60年も前のことなので、作者の女性観(特に妻に対して)や人種観(特に黒人に対して)などには、現在の基準で言えば古い(善悪ではなく時代の変化によるものです)のですが、それを差し引いても人間観察の鋭さは随所に発揮されています。
特に、メンフィスのバスターミナルでの人種差別の体験(公民権運動が勝利する前なので、待合室は白人用と有色人種用に分かれていました)において、有色人種用の待合室(そこで待っているのは全員が黒人です)へも行かれず、白人用の待合室で咎められないかとビクビクしている姿は非常に生々しく、当時のアメリカの状況や日本人のこの問題への理解を端的に表していて興味深かったです。
そもそもこの基金による派遣の目的は、優れた作家によって海外の様子を日本人に知らせて相互理解を深めるためにあるので、そういった意味では庄野潤三(特に、海外では一般的である妻と一緒になったカップルとして)を派遣したのは、大成功だったと思います(詳しくは「ガンビア滞在記」という長編に書かれています)。
庄野潤三全集〈第4巻〉 (1973年) | |
クリエーター情報なし | |
講談社 |