もちろん、この「児童文学補完計画」というタイトルは、「エヴァンゲリオン」の「人類補完計画」のパロディなのでしょうけれど、著者の認識は子どものための文学としての児童文学はすでに死滅していて、子どもと大人の共通のエンターテインメントに変貌しているという認識の上に立っています。
そして、この「児童文学」がよりどころとするものの一つが、子ども時代へのノスタルジアだと述べています。
そして、それは巌谷小波の「こがね丸」などでスタートしたとされる日本の児童文学の先祖がえりではないかとしています。
ただし、ノスタルジアの実例として挙げているのが、はやみねかおるの「モナミは世界を終わらせる?」を除くと、「STAND BY MEドラえもん」をはじめとしたアニメだったり、トルーマン・カポーティの「誕生日の子どもたち」などの一般文学なので、はたして著者が予見したようにこれからノスタルジックな児童文学作品がたくさん書かれていくかはまだわかりません。
また、ノスタルジアとは反対に、子ども時代に帰りたくないという感情をノストフォビア(本当の意味は違いますが)という言葉に当てはめて、岩瀬成子の「きみは知らないほうがいい」(その記事を参照してください)を紹介していますが、この方が児童文学の書き手としてはしっくりいきます。
私に限らず、児童文学の書き手は、子ども時代に満たされていなかったことが多く、それゆえに子ども時代を舞台に作品を書くことに固執している場合が多いようです(私は、そのことを過去をねつ造すると呼んでいます)。
しかし、いずれの場合でも、こうしたアプローチは、現在リアルタイムで子ども時代をおくっている読者からはますます遠ざかることになるでしょう。
著者のような評論家はそれでもいいかもしれませんが、実作者には著者がこの論文の中で過去のものとしている「新しさ」を求め続けてほしいと思っています。
それが、ポスト「現代児童文学」の地平を切り拓くものだと、今でも信じています。
日本児童文学 2017年 04 月号 [雑誌] | |
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