日本児童文学学会の第51回研究大会で、発表された研究発表です。
児童文学の古典である「小公女」について、原作と映像再話の体験者がどのくらい作品内容を理解できているかを、大学生を対象にアンケート調査したものの分析報告でした。
かなり大掛かりな調査で興味深い内容でした。
ご存知のように、「小公女」はいろいろな形(完訳、抄訳、漫画、アニメや映画のノベライズなど)で出版されていますし、映像化も様々な形(実写版映画、アニメテレビ、実写版テレビなど)で行われているので、それぞれの影響を分離独立するのは困難が予想されます。
この研究では、特に、完訳本とアニメテレビに着目して、それらの影響を検討しています。
興味深かったのは、テレビアニメーションのナレーションが一番印象に影響していることでした。
「語り」というものが、受容する側に大きな影響を持つのでしょう。
これは本の読み聞かせが、子ども自身の黙読よりも記憶に残ることと同様なのでしょう。
今回の結論としては、視聴している子どもたちには、映像を構造的に読み取る力は身についていないことがあげられていました。
しかし、「小公女」は2009年に、「小公女セイラ(原作のセーラではなく)」として、時代を現代に、舞台を日本に移して翻案された、志田未来が主役のテレビ実写版公開されたので、調査対象者の年齢から言ってもこのテレビ番組の大きな影響が出ていたことが予想されました。
質疑のときにそのことを質問すると、発表者も苦笑しながらそのことを認めていました。
ただ、今回はその影響を定量的に解析できていないそうです。
最新の映像作品が持つ直接的、間接的(自分は視聴していなくても友人から話を聞くなど)な影響は、非常に大きいことが改めて実感できました。
例えば、「くまのプーさん」などは、大半の人にとっては、ミルンのストーリーやシェパードの挿絵ではなく、ディズニーのアニメとして記憶されているに違いないと思います。
私自身の経験でも、ケストナーの「ふたりのロッテ」は、読む前に当時の人気子役だったヘイリー・ミルズ主演の「ふたりのロッテ」を翻案したディズニー映画「罠にかかったパパとママ」を見ていたので、その後に「ふたりのロッテ」を読んでも、なかなか映画のイメージを払しょくできずに困ったことがありました。
物語の放送形態論―仕掛けられたアニメーション番組 | |
クリエーター情報なし | |
世界思想社 |