1923年(大正12年)に発表された、国境をそれぞれ一人で守る、大きな国の老人の兵士と、小さな国の青年の兵士の、つかの間の友情と残酷な別れを描いた掌編です。
僅かな紙数で、まったく戦争のシーンを描かずに、国境沿いに咲き、やがて散っていく一株の野ばらに託して、厭戦的な気持ちを読者の胸に刻みこむ文章の切れ味は、さすがに坪田譲治をして天才と言わせた作者の非凡な才能を感じさせられます。
おそらく、この作品を真似た数しれぬ追随者がいたと思われますが、一見簡単なようで絶対真似できない、いわゆる童話的資質(関連する記事を参照してください)の有無を問われる種類の作品でしょう。
こういう作品を読むと、現代児童文学が批判して切り捨てた、近代童話の象徴性や詩情が、実は読者の心の中に文学という芸術を育むのにいかに大切だったかが、ガチガチの現代児童文学論者の私にも分かります。
僅かな紙数で、まったく戦争のシーンを描かずに、国境沿いに咲き、やがて散っていく一株の野ばらに託して、厭戦的な気持ちを読者の胸に刻みこむ文章の切れ味は、さすがに坪田譲治をして天才と言わせた作者の非凡な才能を感じさせられます。
おそらく、この作品を真似た数しれぬ追随者がいたと思われますが、一見簡単なようで絶対真似できない、いわゆる童話的資質(関連する記事を参照してください)の有無を問われる種類の作品でしょう。
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