1953年に発表されたいわゆる早大童話会「少年文学宣言」(正式な名称は「「少年文学」の旗の下に!」、その記事を参照してください)を詳細に検討しています。
学生の同人誌に発表された明らかに気負った若書きの「宣言文」を、詳細に文章や用語まで分析することにどこまで意味があるのかは疑問ですが、作者の指摘の中で以下の三点が興味深かったです。
第一点は、この宣言文に児童文学に「社会性」をもたらそうという意思を認めつつも、作者がこの文章を書いた1994年の時点で、それが薄れていることを指摘している点です。
私見では、この時点で児童文学には「社会性」は完全に消滅していて、「現代児童文学」を支えた三つの特徴の一つである「変革への意志」が失われた時点で、少なくとも早大童話会が主張した「少年文学(「現代児童文学」と同じと考えていいと思います)」は終焉していたのだと思われます。
二点目は、「作家の主体性」の問題ですが、これもまた、次第に「読者(子どもたちに本を手渡す媒介者も含めて)」に主導権を奪われて(売れる物しか出版されなくなりました)、バブル崩壊後の1990年代半ばには失われていました。
最後の点は、古田足日や鳥越信たち当時の早大童話会(後の少年文学会も含めて)のメンバーを、「児童文学」の将来を担う「旗手」だとする認識ですが、これも1960年代までは後藤竜二なども含めてそれは正しかったと思われますが、その後は革マル派のパージなどによって、その伝統は完全に失われてしまいました(詳しくは、「早大児文サークル史」の記事を参照してください)。
作者の文章が書かれてからさらに三十年以上がたち、「少年文学宣言」からは七十年以上の時間が流れ、鳥越先生に続いて2014年には古田先生もお亡くなりになった現在では、宣言文に込められていた児童文学に対する彼らの情熱を思うと、隔世の感がします。
鳥越、古田、両先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。
「現代児童文学」をふりかえる (日本児童文化史叢書) | |
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