私が少年時代にテレビでプロレスを見ていたころに、アントニオ猪木とともにスーパースターであったプロレスラーが昭和62年に書いた自伝(おそらく本人が口述したものを、あとがきで謝辞を述べている菊池孝氏が文章化したのでしょう)です。
少年時代や高校野球時代(二年で中退して史上最年少の16才でプロ野球選手になったのは初めて知りました。もっともそのころすでに身長は2メートル以上あったようですが)、それに巨人(二軍では最優秀投手だったのですが、本人いわくチーム内の派閥のせいで一軍で登板する機会はあまり与えられなかったようです)の投手時代、アメリカ武者修行時代などの前半は、すでにマンガ(「ジャイアント旋風」)で概要は知っていたものの、本人の口で語られると細部がクリアで興味深かったです。
また、アントニオ猪木とタッグを組んで「BI砲」として活躍した時代は、祖父の部屋で一緒に見た懐かしい試合が次々に出てきて感慨深かったです。
その後の日本プロレスが崩壊し、全日本プロレスを立ち上げて、アントニオ猪木の新日本プロレスなどといろいろな抗争(興業の争いや選手の引き抜きあいなど)を社長として戦った話が、当事者の片側から一方的に書かれているのであまり読み味はよくなかったです(本人も書きにくいと言っていますし、私自身もそのころはプロレスを見なくなっていたせいもありますが)。
ご存知のように、プロレスは、相撲や総合格闘技やボクシングとは違って、本当の真剣勝負ではない(シリーズ中は毎日のように試合があるのでいちいち真剣勝負をやっていては体が持ちません。レスラー同士の因縁などでセメントマッチと言って真剣勝負をやる場合もあります)のですが、この本ではあたかも真剣勝負であるかのような記述で統一されています。
その一方で、本人は全日本プロレスのプロモーター(興行を主宰します)であるとともに、ブッカーであったとも明言しています。
この本では、ブッカーを選手契約者と訳していますが、実は、ブッカーとはブック(すなわち試合のシナリオないし、そのシリーズ全体の筋書き)を書く人のことで、つまり演劇でいう脚本家なのです。
そういった意味では、ジャイアント馬場は、偉大なプロレスラーであるとともに、優れた経営者(全日本プロレスの社長で、アメリカのプロレス組織のNWAの副会長)、凄腕のプロモーター(外人レスラーの招聘や各シリーズの地方巡業の運営など)、そしてブッカーとしての名脚本家といった、マルチの才能を持った人物だということができます。
こうした興味深い人物たちを子どもたちに紹介するのも、かつては児童文学の重要な役割りだったのですが、最近は低調なようです。
少年時代や高校野球時代(二年で中退して史上最年少の16才でプロ野球選手になったのは初めて知りました。もっともそのころすでに身長は2メートル以上あったようですが)、それに巨人(二軍では最優秀投手だったのですが、本人いわくチーム内の派閥のせいで一軍で登板する機会はあまり与えられなかったようです)の投手時代、アメリカ武者修行時代などの前半は、すでにマンガ(「ジャイアント旋風」)で概要は知っていたものの、本人の口で語られると細部がクリアで興味深かったです。
また、アントニオ猪木とタッグを組んで「BI砲」として活躍した時代は、祖父の部屋で一緒に見た懐かしい試合が次々に出てきて感慨深かったです。
その後の日本プロレスが崩壊し、全日本プロレスを立ち上げて、アントニオ猪木の新日本プロレスなどといろいろな抗争(興業の争いや選手の引き抜きあいなど)を社長として戦った話が、当事者の片側から一方的に書かれているのであまり読み味はよくなかったです(本人も書きにくいと言っていますし、私自身もそのころはプロレスを見なくなっていたせいもありますが)。
ご存知のように、プロレスは、相撲や総合格闘技やボクシングとは違って、本当の真剣勝負ではない(シリーズ中は毎日のように試合があるのでいちいち真剣勝負をやっていては体が持ちません。レスラー同士の因縁などでセメントマッチと言って真剣勝負をやる場合もあります)のですが、この本ではあたかも真剣勝負であるかのような記述で統一されています。
その一方で、本人は全日本プロレスのプロモーター(興行を主宰します)であるとともに、ブッカーであったとも明言しています。
この本では、ブッカーを選手契約者と訳していますが、実は、ブッカーとはブック(すなわち試合のシナリオないし、そのシリーズ全体の筋書き)を書く人のことで、つまり演劇でいう脚本家なのです。
そういった意味では、ジャイアント馬場は、偉大なプロレスラーであるとともに、優れた経営者(全日本プロレスの社長で、アメリカのプロレス組織のNWAの副会長)、凄腕のプロモーター(外人レスラーの招聘や各シリーズの地方巡業の運営など)、そしてブッカーとしての名脚本家といった、マルチの才能を持った人物だということができます。
こうした興味深い人物たちを子どもたちに紹介するのも、かつては児童文学の重要な役割りだったのですが、最近は低調なようです。
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