人気テレビドラマの脚本家であるとともに直木賞作家の著者は、稀代のエッセイの名手ですが、特にその中にたびたび登場する父親像は秀逸です。
時には暴力も振るうような暴君で、典型的な戦前の亭主関白なカミナリ親父なのですが、その一方で家族、特に子どもたちへの愛情にあふれています。
この人物像は著者の代表作の一つである「あ・うん」に登場する父親にも生かされていて、そのためか、エッセイを読んでいるとテレビドラマでその役を演じたフランキー堺の姿が浮かんできてしまいます。
「字のない葉書」とは、敗戦間際に3月10日の東京空襲で命拾いして、幼くて不憫なのでそれまで手元に残していた著者の下の妹(上の妹はとうに疎開しています)も甲府に疎開に送り出した時に持たせた葉書の事です。
父親がおびただしい葉書のすべてに自分あての宛名を書いて、まだ字が書けない幼い妹に、「元気な日はマルを書いて、毎日一枚ずつポストに入れなさい」と、持たせたのです。
最初は紙いっぱいはみ出すほどの威勢のいい赤鉛筆の大マルのはがきが届いた(地元の婦人会が赤飯やボタ餅で歓待してくれたので、南瓜のツルまで食べるほどの食糧難だった東京から行った妹はとても嬉しかったのでしょう)ものの、翌日からマルが急激に小さくなり、それがやがてバツになり、それも届かなくなってしまいます。
三月目に母親が迎えに行った時、百日咳を患っていた妹は、虱だらけの頭で三畳の布団部屋に寝かされていました。
妹を迎えるために、著者と弟は、普段は父親にうるさく管理されている家庭菜園(戦中は食べ物がないので庭をつぶして野菜を植えていたのです)の南瓜をすべて収穫して、客間に並べて待っています。
夜遅くに妹が帰ってきたとき、父親は裸足で家を飛び出して、痩せた妹の肩を抱いて声を上げて泣きました。
ここには、父親の子どもに対する愛情の、一つの理想形があると思います。
私は、二人の息子たち(もうとっくに成人していますが)を一度も叩いた(たとえおしりでも)ことはありませんが、この時の著者の父親のような愛情をみせたことがあるかどうかは自信がありません。
時には暴力も振るうような暴君で、典型的な戦前の亭主関白なカミナリ親父なのですが、その一方で家族、特に子どもたちへの愛情にあふれています。
この人物像は著者の代表作の一つである「あ・うん」に登場する父親にも生かされていて、そのためか、エッセイを読んでいるとテレビドラマでその役を演じたフランキー堺の姿が浮かんできてしまいます。
「字のない葉書」とは、敗戦間際に3月10日の東京空襲で命拾いして、幼くて不憫なのでそれまで手元に残していた著者の下の妹(上の妹はとうに疎開しています)も甲府に疎開に送り出した時に持たせた葉書の事です。
父親がおびただしい葉書のすべてに自分あての宛名を書いて、まだ字が書けない幼い妹に、「元気な日はマルを書いて、毎日一枚ずつポストに入れなさい」と、持たせたのです。
最初は紙いっぱいはみ出すほどの威勢のいい赤鉛筆の大マルのはがきが届いた(地元の婦人会が赤飯やボタ餅で歓待してくれたので、南瓜のツルまで食べるほどの食糧難だった東京から行った妹はとても嬉しかったのでしょう)ものの、翌日からマルが急激に小さくなり、それがやがてバツになり、それも届かなくなってしまいます。
三月目に母親が迎えに行った時、百日咳を患っていた妹は、虱だらけの頭で三畳の布団部屋に寝かされていました。
妹を迎えるために、著者と弟は、普段は父親にうるさく管理されている家庭菜園(戦中は食べ物がないので庭をつぶして野菜を植えていたのです)の南瓜をすべて収穫して、客間に並べて待っています。
夜遅くに妹が帰ってきたとき、父親は裸足で家を飛び出して、痩せた妹の肩を抱いて声を上げて泣きました。
ここには、父親の子どもに対する愛情の、一つの理想形があると思います。
私は、二人の息子たち(もうとっくに成人していますが)を一度も叩いた(たとえおしりでも)ことはありませんが、この時の著者の父親のような愛情をみせたことがあるかどうかは自信がありません。