「現代児童文学論集4」にも再録されている評論です。
児童文学の評論には珍しく、社会情勢の変化に伴う児童文学の変化を論じているので、その後のいろいろな評論や論文に引用されています。
1953年6月に早大童話会が発表したいわゆる「少年文学宣言」(正しくは「少年文学の旗の下に」、その記事を参照してください)は、明確に「変革の文学」を志向していたとし、その影響下で1950年代から1960年代に発表された多くの作品はこの「変革の文学」の範疇に入るとしています。
それら社会的視野に立つ作品として、、「少年文学宣言」のメンバーであった山中恒の「赤毛のポチ」を筆頭に、「もんぺの子」同人の共同執筆の「山が泣いている」、松谷みよ子の「龍の子太郎」、国分一太郎も「鉄の町の少年」、住井すゑの「夜あけ朝あけ」などをあげています。
また、佐藤さとるの「だれも知らない小さな国」、いぬいとみこの「木かげの家の小人たち」、「ながいながいペンギンの話」、今江祥智の「山のむこうは青い海だった」、柴田道子の「谷間の底から」、神沢利子の「ちびっこカムのぼうけん」なども、「変革の論理」の路線に含まれているとしています。
作者は、これらの作品の共通理念は「子どもを通しての人間の未来に対する限りない信頼感」だと述べています。
そして、これらの作品の執筆時期は1950年代で、社会主義リアリズムが志向されていた背景があったことを指摘しています。
つまり、その時代の「”敵”は、アメリカ帝国主義と復活しつつある日本独占資本主義であり、その”敵”に子どもを含む労働者・農民階級を対置させ、子どもの成長を描くことによって変革の必然性を語る」というのが、創作方法であったとしています。
そのころに、「最終的にめざしたものがソビエト型社会主義であった」とも述べています。
それが、1960年代になって変質を遂げた原因には、スターリン批判による社会主義神話の崩壊、六十年安保の挫折、日本の高度成長による中間階層の増大、児童文学がビジネスとして成り立つようになったことによる出版社や作家たちの資本主義化などを挙げています。
そして、1970年代になると、「変革の意志」をもった作品は完全に姿をひそめ、現状を批判するだけだったり過去を回帰したりするなどの、「これ以上悪くなってはならぬ」という「自衛の思想」の作品が目立つようになっていると批判しています。
そんな中で依然として「変革の論理」を持つ作品として、古田足日の「ぼくらは機関車太陽号」、後藤竜二の「算数病院事件」をあげて、肯定的に評価しています。
1950年代から1970年代という二十年以上にわたる期間を短い紙数でまとめているので、駆け足になった感は否めませんが、作品や作家の姿勢の変化を社会情勢の変化を背景に概観していて非常に参考になりました。
特に、1950年代から1960年代への変化の背景は、作者自身も当事者であるせいかリアリティがあり、うなずけるものが多かったです。
それに比較すると、1960年代から1970年代への変化の背景については、七十年安保をめぐる学生運動や市民運動などの動きや挫折に触れておらず、それらの児童文学への影響について述べられていないので不満が残りました。
また、作者は明確に当時の革新勢力側の立場にたって書いているので、研究論文としてみれば(もちろんこれは評論で研究論文ではないのですが)としては、客観性に欠けている部分もあります。
しかし、この評論は、私が特に深く考察したいと思っている「狭義の現代児童文学(1950年代から1990年代初頭まで)と社会との関係」にアプローチが近く、良い点も悪い点も含めて多くの示唆が得られました。
多様化の時代に (現代児童文学論集) | |
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